婚約してました
「あれ、なんか重大なことを忘れてる気がするんだけど」
「お嬢様、どうなされましたか?」
あれから3日が経った。なんとか、あの後アルリダを追い掛けて、医者は大丈夫だと伝えたのだが、結局目を覚ましたという事でもう一度来てもらった。勿論、頭に以上はなかったが、アルリダは最後まで心配していた。……ちなみに今までと態度を変えた事により、年も近いせいか仲良くなった。
思い出して3日にしてはとてもいい成果である。
ダージリンティーが注がれたカップを口元に運ぶ。ほのかに茶葉の匂いを仰いでから、音も立てずに少量を口に含んだ。アルリダは終始不思議そうに私を見つめている。
「いや、なんか忘れているような気がするんだよね……。 なんだったっけ?」
紅茶の揺らしながら、一体何を忘れてしまったのか思い出そうとしているが、なかなか思い出せない。むしろ、生前の記憶があまりにも飛び出て来て、そちらを思い出してしまう。……ああ、お母さんが得意だった親子丼が食べたいな。あれ、すっごい美味しかったのよね、こっちでもあるかな。
とんでもない方向に思考を飛ばしている私をよそに、アルリダは思い出したようにハッとした。
「もしかしたら、明日のお茶会パーティーのことじゃないですか?」
多分、それではない気がするのだが、勿論そのことも忘れていた。何故、思い出せなかったのだろう。
胸をつっかえる変な気持ちを飲み込み、盛大に頷いた。どうせ後で思い出せるはずだ。
「そういえば、そうだったわね。 そんなこと忘れていたわ」
「みんな、色々と忙しかったですものね。 明日はとっても可愛くめかしこみますわね、お嬢様」
「いや……、普通でいいんだけど……」
お茶会パーティーはここ最近でも行っていたが、記憶を取り戻してからは初めてである。少々嫌な予感がするのだが、私の着付けを楽しみにしているアルリダの手前、行かないとはなかなか言えなかったではないか。
お茶会とは貴族、特に子供が中心だが、の交流の場である。
「わぁ……、相変わらず貴族の集まる場所はきらびやかね……」
何度も見慣れたはずの光景は、とっても輝いて見える。これが現在社会に生きていて、パーティーなんていうものを参加したことがない者が見える補正というやつか。いや、実際眩しいのだが。
今夜のお茶会パーティーは王族などとても身分の高い人も参加しているらしい。何てったって王子様が来ているようだ。
王子様って一体どんな人なのか。王子様に憧れていた時期があった私はとても、ドキドキしてしまった。かぼちゃパンツは履いているのかな、履いていなかったら残念だわ。
「ごきげんよう、リディア様」
背後からかけられた声に振り返るとそこにはまだ挨拶をしていない令嬢の姿があった。この子は確か、ファイリアル子爵家のご令嬢だったはず……。
「ごきげんよう、リリアン様」
品の良さそうな笑みを浮かべ、小さく会釈をする。毎回ながら、貴族の皆様に挨拶をするのはめんどくさくてたまらない。端っこによって食べ物を摘まんでいたいものだ。だが、そんな事をしてしまえば、母に怒られるどころか、社会的マナーができない人間として周りから見られてしまう。それは何としてもごめんだ。そこいらにいるマナーの悪いチャラついてる人たちとは一緒にしてほしくないものだ。私としてもなんとかそこは避けたいのである。
「リディア様、最近ご機嫌がよろしいと噂は常々聞いておりますわ。 やはり、あの事に関係していますの?」
「あの事?」
一体何の話だろうか……。
最近、機嫌がいいというよりは性格がただ落ち着いただけだというのに。だけど、それを誰かに言うことはできないので、上手いこと気になる要件に畳み掛ける。
しかし、一体何故私の噂が広がっているのだろう。確かにとってもわがままだったが。
だが、今はそんな話をしているわけではないのだ。
「あら、いけない! お先に言わなきゃいけなかったのに! 失礼致しました。 おめでとうございます!」
いや、だから一体なにがおめでたいのでしょうか。
私の言葉が聞こえてないのか、はたまた無視をしているだけなのかはわからないが、見に覚えのない出来事に話がついていけない。別に誕生日はまだ先の話だし。
「あら。 それでは私はこれで失礼いたします。 邪魔しては悪いので」
「ええっ。 あの……」
まだ話があるんですが、と言い終わる前に彼女は早足にその場を去っていった。
追いかけることもできないまま、手を出した状態で相手の後ろ姿を見送る。
事情を聞きたかったのだが、仕方ない。他の人にちょちょっと聞こう。
踵を返し、踏み込もうと足を前に出した時、前方を確認していなかった私は誰かにぶつかった。
「ぅわっ! も、申し訳ありません……」
「これはこれは、かの有名なリディア嬢ではないか」
聞いたことがあるような声がして、顔をあげる。そこにいたのはなんとも綺麗なお顔を持つ少年だった。
蜂蜜を零したような金髪に、紫色の瞳。幼い顔立ちなのに、滲み出るフェロモン。思わず、息を飲み込んでしまうほど美しい少年ーーはて、どこかで見たことがあるではないか。
しかし、考えるよりも先に、記憶の隅に置いたリディアであった過去を思い出す。
いや、実際は過去ではないんだが、あまりにも前世の記憶が膨大でだな……。
それはさておき、重大なことを思い出した。なんと、この目の前にいる少年は王子様である。
しかもしかも、少し前の私は彼のことが大好きで大好きだった。私と彼はあまり関わりがなかったのだが人目で恋に落ちた。そして、無理やり婚約を取り繕ってもらったのである!
ああ、なんてことを忘れていたのだろうと後悔してももう遅い。何がかぼちゃパンツよ! あんなの履く王子様なんていなかったじゃない!
さて、それは置いといて、私はもう一つ思い出してはいけないようなものを思い出してしまったのかもしれない。
婚約者とかそれ以上に、大問題である。
私の頭が正常であればきっとここは乙女ゲームの世界なのではないのだろうか。
かくいう私は……かの有名な乙女ゲームの悪役令嬢にに転成してしまっていた。