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失われない美しさ

「わあ、結構積もりましたねえ」


 帰宅するべく学校を出ると、昼過ぎから降っていた雪が積もり、道路が白くなっていた。そこに向かって走り出す彼女のはしゃぐ姿は、相変わらず子供のようだ。


「滑ったら危ないよ」

「大丈夫です、よっ!?」

「あ」


 すべっ、という効果音が聞こえてきそうな勢いで、彼女は転んで尻もちをついてしまった。まったく、だから危ないと言ったのに、これでは忠告の意味がない。

 ぼくはため息をついてから彼女に近寄り、手を差し出した。


「はい」

「あはは、すみません」

「まったく、君は期待を裏切らないね」

「……それは誉め言葉でしょうか」

「さあ、君のすきなようにとったらいいと思うよ」


 苦虫を潰したような声を出しながらも、彼女はぼくの手を掴んで立ち上がり、ぱんぱんとコートについた雪を払った。


「大丈夫かい?」

「はい。転んだ拍子にちょっと雪を食べちゃいましたけど、何とか。そういえば、子供のころはよく雪を食べましたよね」

「いや、そんな覚えはないけど」

「ええー? 食べましたよ。ほら、飴と一緒に食べるとかき氷の味がする、みたいな」

「ああ、そういえば誰かがそんなことを言ってたね。でも、ぼくは食べてないかな」

「んなっ、面白くないですねえ。わたしは結構食べましたよ?」


 何が面白くないのかはわからないが、雪を食べたことは自慢にはならないと思う。というかむしろ、


「雪って結構汚いんじゃなかったっけ」

「そうですけど、今こんなに健康なんですから、特に問題はないと思いますよ?」

「そういう問題かな」

「ええ、そういう問題です。それとも何ですか? あなたにはこの雪が雑菌の塊に見えるとでも?」


 彼女はぼくよりも前に出たかと思うと、くるりと振り向いてばっと手を広げ、そう尋ねてきた。ムキになっているのか、眉間にシワが寄り、ほおはぷくりと膨れている。

 ぼくは彼女の後ろに広がる真っ白な雪を一瞥してから、一言こう告げた。


「まあ、見ようと思えば」


 それを聞いた彼女は、開いた口が塞がらないというようにあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。しかし、しばらくすると肩をすくめて首を横に振り、


「相変わらずあなたは現実主義者ですね」


 と言って呆れたようにため息をついたのだった。何と言われようと、それがぼくの性格なのだから仕方ない。

 すると、彼女はすっと屈み、またすぐに立ち上がって、にぱ、と笑った。ころころと表情が変わるあたりは彼女らしいと思う。


「わたしには、白くて冷たくて、きれいなものにしか見えませんよ?」


 そう言って彼女が差し出してきたのは、屈んだときにすくったと思われる雪。素手で触って冷たくないのだろうか。いや、素手で触っているからこそ「冷たい」という感覚があるのか。


「確かに、ぼくも昔は雪は白くてきれいなのもだと思っていたよ。雪はそういうものでしかないと信じていたんだ」


 はあ、と息を吐けば、それが白く凍りつく。


「でも、今は違う。それがきれいなだけじゃなくて、汚いということも知ってしまったんだから」


 別に雪が嫌いなわけではない。だけど、それに汚いところもあると知ってしまったぼくは、きっともう純粋な目で雪を見て、手放しに「きれいだ」と思うことはできないのだ。

 すると、彼女は何がおかしいのか、くすくすと笑い出した。


「何かおかしかったかい?」

「いえ、わたしだって雪が物質的には汚いことを知っていますよ。でも、だからと言って雪の白さや冷たさ、それから、美しさが失われたわけじゃありませんよね?」


 そう言った彼女の笑みは、ぼくの大すきな、あのあどけない笑顔だった。きっと、それは彼女が夢を見ている限り、失われることはないのだろう。


「それに、この世に完全なものなんてないんですよ。わたしにだって汚いところはあります」

「君に? どこが?」

「あれ、これは珍しく誉められている……!?」


 驚いたように目を丸くして、こちらを凝視する彼女。天然だから許されているが、時々失礼なことを言っているという自覚はあるのだろうか。


「君はきれいなものしか知らないと思っていたよ」

「そんなことありませんよ。夢ばかり見ているからって、汚いものを知らないわけではありません。夢を見ることは現実逃避ではないのですから。あなたが現実を見ているから、わたしは夢を見られるのですよ」

「それは、ぼくが汚いってことかな?」

「違いますよ。今ここに降り積もっている雪がきれいなのは、現実でしょう?」


 にこ、と微笑む彼女の周りに見える雪は、確かにきれいだ。きっとぼくの下で踏まれている雪だって、踏まれる前はきれいだったに違いない。


「ああ、そうだね」

「明日まで残ってるといいですね。明日は休日ですし、雪だるまを作りましょう!」

「ぼくは見ているだけにしておくよ」

「ええー?」


 彼女は不満そうに口を尖らせていたが、ほおは早くもゆるんでいた。きっと、ぼくが結局は雪だるまを一緒に作ってくれると信じているのだろう。

 それがあながち間違いではないと思ってしまったのが悔しかったので、明日は本当に見ておくだけにしておこう。




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