紫陽花は夢に染まる
「あっめあっめふっれふっれかっあさっんがー♪」
梅雨という時期にふさわしく、しとしとと雨が降り続くある日の帰り道、彼女は懐かしい歌を口ずさみながら、ぼくの前でくるくると回りながら歩いていた。
「危ないよ」
「大丈夫ですよ。そんな子供じゃあるまいし」
そう答えて彼女はくすくすと笑ったが、その行動は十分子供だろう。小学生か、と突っ込みたくなる。
はあ、と一つため息をついたそのとき、
「あっ、アジサイですよ」
その声につられて彼女の視線をたどっていけば、昔よく遊んでいた公園の花壇にアジサイが咲いていた。彼女はカオを輝かせながら、それに近づいていく。
「きれいですねえ」
「そうだね」
「確か、アジサイって土の性質によって色が変わるんですよね。その土の色に染められてしまうなんて、何だかちょっとロマンチックだと思いませんか?」
「土の色だったら、茶色だと思うけど」
「それはもう現実主義だとかそういうレベルじゃなくて、ただのイヤガラセにしか聞こえませんが」
「冗談だよ」
うっとりと恍惚の表情を浮かべて両手を組んでいた彼女が、ぼくの一言でじとりと目を細め、ほおをふくらませている。これはある意味、
「でも、何だかあなたとわたしみたいですね」
「え?」
「だって、わたしはあなたの言葉に一喜一憂して、最後には結局あなたに笑顔にさせられてしまうんですから。わたしはあなたに染められているんでしょうね」
また他人が聞いたら恥ずかしくなるようなことをさらりと言って、彼女はにこっ、と微笑んだ。彼女が言ったことが、今まさに再現されているようだ。
ぼくは慣れているので別に恥ずかしくはないが、彼女がぼくと同じようなことを考えていたことに驚いてしまった。確かにぼくは彼女を染めているのかもしれない。
だけど、
「君は、染まってなんかいないよ」
「え?」
ぼくが静かに口を開くと、アジサイを愛でるように眺めていた彼女がぱっとこちらを向いて、かくり、と首を傾げた。
「どういう意味ですか?」
「だって、君は今日も夢を見ているから」
「はい?」
「もちろん、ぼくに影響されているところはあるかもしれないけれど、ぼくが君に現実を突きつけても、君は決して現実主義者にはならないだろう?」
それは現実を見ないという意味ではないが、いつも夢を見続ける彼女は、ぼくに染められてなどいないのだ。
すると、
「確かにわたしは現実主義者にはなっていませんけど、でも、現実がなければ夢を見られないんですよ? だから、わたしは十分あなたに染められていますよ」
そんな言葉を紡いだ彼女が見せたのは、ぼくのすきな、あのあどけない笑顔。彼女の言うように、ぼくはやっぱり彼女を染めているのだろうか。――でも、
ぱしゃり、水たまりを踏んでしまったような音が聞こえた。ふと顔を上げれば、いつの間にか数メートル先にいた彼女がくるりと振り向いて、
「さあ、帰りましょう!」
と言ったので、ぼくは「ああ」と応えてゆっくりと歩き出した。
確かにぼくは、彼女を染めているのかもしれない。でも、ぼくも彼女に染められているのだ。その証拠に、先ほどぼくは彼女と同じこと――ぼくが彼女を染めている、なんてそんな夢見がちなこと――を考えていた。
「ぴっちぴっちちゃっぷちゃっぷらんらんらん♪」
ぼくたちはお互いを染め、お互いに染められている。だけど、決して染まらない部分もある。染まらないのなら、補えばいい。ぼくは彼女のアダムで、彼女はぼくのイヴなのだから。――ああ、どうやらぼくは相当彼女に染められているようだ。
でも、それも現実で、きっと悪くはない。




