16 女の子だから
ロナ拐われ事件から約二週間が経ち、エド達はいつものペースを取り戻してフラフラと島や街に立ち寄っては仕事し、また海に出てはのんびりと次に寄る場所を決め、そしてまたその場所に立ち寄るというのを日々繰り返していた。
「うははははは!!今でも思い出し笑いしちまうよ…あれは…!!」
調理場とダイニングとを隔てる調理台の上に寄りかかってレイバーは笑い声を上げる。
ちょうど昼食が終わり、彼は皆の食後の皿を洗いながら仲間と談笑していた。もちろん仲間の中にはロナも入っている。
「や…笑いすぎ…だろ、レイバー…ふ…」
「ロッジの方こそ…ぶふっ」
ひゃひゃひゃひゃ
と部屋に響くその声は、次第にそこにいる者達に伝染していく。
今彼らの話題となっているのは十日程前のこれもまた事件なのだが、エリーファーストキス奪われ事件についてである。
エリーつまり女装したエドのことなのだが、ひどい依頼人セモンスの頼みにより、彼は女装してセモンスの新彼女に成り済まし、彼の現彼女であったミカエラとの破局を狙ったが、何故か彼女と勝負をすることになり、その最中に悲しいかな大事なファーストキスを奪われてしまったのだ。エドにとっては女装することすら躊躇われることだったのに、ファーストキスをましてや男に奪われたのはこの上なく屈辱的で、ショッキングな出来事だった。
が、彼の悲劇を目の当たりにした彼らにとっては、どうしようもなく面白いのである。
男前だが、決して儚げな美少年とは言えないエド兄貴の女装姿は何とも滑稽で、また完璧に似合っていないとも言えないばかりに歪で笑止千万のその姿は、部下達の心を掴むには充分な程だったのだ。
「いやぁ…。
ふふっ…オレもびっくりしたよ、エドが帰って来たときは!
だって出かける時はいつも通り男前だったのに、帰って来ると金髪ロン毛のちょっとゴツくて胸がボインなバッチリ化粧の…ってもうツッコミどころありすぎっ!!」
レイバーはまた当時を思い出したのか、笑い声が口から漏れだす。
レオイはレイバーに付け足すように言った。
「─でも似合ってたすよね」
どっ
確かに 確かに とその場にいる皆が頷く。そしてまた彼らの笑い声は響いた。
─それを聞きつけて誰かの足音が食堂にドシドシと近づいてくる。
「あ、エドに聞いたんだけどさ、あれ、あいつのファーストキスだったらしい─」
バンッ!!
「「!!」」
「てめぇらうるせえよ…!!」
ドアを勢いよく開けて入ってきたのは、ディールだった。
「ディール」
「笑い声、外まで聞こえてンだけど」
声のトーンからも顔色からも彼が今不機嫌だということがすぐにわかった。
アイトワやレイバーを除いて側にいたロナや他の者達は彼の気迫に圧され、少し呆けている。
レイバーは対抗するわけもなく何ともないように彼に言葉を返した。
「別に良いだろ?
今は暇な時間なんだし」
「─ああ。ただのくだらねぇ話なら別に問題ねぇさ。
だがてめぇらは……。
ちっとは兄貴のこと考えてんのかよ。
てめぇらにゃあ面白かったのかもしれねぇが…、当の本人は辛いどころじゃねぇ筈だ。
プライドとか色んなモノ盗られちまったんだぞ…!!」
「ファーストキスとかもねぶふっ」
レオイの一言でまた皆吹き出す。
「…………っっっ!!
おい!!真面目に聞けよ!!
他人事だからって笑い話にしやがって…、しかも一週間以上も前の事を…!!
兄貴をバカにすんのも大概にしろ!!」
「あははは!ひーふふふははっ!
…は、だいたいさ…ふ、お前直接あ…あれを見てないからそんなこと言えるんだよ…っ。
凄かったよ、色んな意味でっ。
なんならもう一回女装してもらう?」
ぶちっ(ディールの何かが切れた音)
「レイバー、この野郎!!」
「はい、ストーップ」
「「!!」」
ここで初めてロナが言葉を発する。
「エド」
「おう、おはよぉさん」
「おはようって…もう昼なんだが」
「ははは、ついさっきまで昼寝しとったからな。
…─で、そしたらディールの怒鳴り声が聞こえてきて…
どしたん?」
「いや…その…」
ディールが返答を渋っていると、レイバーが面白可笑しそうに狐のような笑顔でこう答える。
「エドの女装姿もう一回見たいなって話してたらディールに怒られたんだ!」
「なっ、レイバー!!
お前なんてことを!本人の前で言うなよ!
兄貴気にしないでくだ─」
「なんやそんなことで揉めとったんか。
お前らもよう一週間前のことで盛り上がるなぁとは思うけど、ディールもそない腹立てんでええよ。
もう俺気にしとらんけ」
エドはへらっと笑った。
「!…兄貴…!」
「ま、女装はもうせんけどなっ。
─それより、なぁレイバー。お腹すいた。
おつまみ作っておつまみ」
「ええ?
さっき昼メシ食べたばっかしじゃないか」
「やけぇおつまみぃ」
エドは子どもの様に口を尖らせる。
そんな彼を見たロナは少し新鮮味を感じていた。
エドは前に自分でもガキだと言っていたけど、こんなあからさまに子どもっぽいところがあったんだな…
今まで少し大人びて見えたが…
「もー。しょーがないなー」
よっこらせとレイバーは立ち上がりエドのおねだり通りおつまみを作るため調理場へと立ち入る。
「よっしゃー」
エドはレイバーの座っていた椅子に腰掛け、顎をテーブルの上に乗せた。
彼の目は寝起きだからか、まだ完全には開けきっておらずトロンとしている。
「兄貴、今日は一段とだらけてますね…」
「レオイ、お前も人のこと言えんけどな…。
まあ、最近は色々と大変だったし、たまにはこういう日も大切やろー。
次の街には夕方にならんと着かんのや。お前らも今のうちにだらだらしとけー」
「そんなこと言ったらロナがけしからんって怒りますよ〜」
「な…人を口うるさいみたいにいうな!」
「そうやぞ。
ロナはお前らの為に言っとるんやから」
…口うるさいのに変わりはなんだな…
「……」
ロナが人知れず虚しい気持ちになっていると、調理場のほうから鼻をそそる香りが漂ってきた。
「エド!出来たぞー!」
「おー!ありが─」
「「いっただっきまーす!!」」
エドが皿を受け取ろうとしたが、すかさず別の者に奪われ、周囲の人々はその料理に群がる。
「まあ、こうなるだろうと多目に作ってたけどね…。
…それな、イカと長ネギのコパードスパイス炒めだからな…!…って誰も聞いてないか」
男共ががっついてるなか、ロナが嬉しそうにレイバーを振り返り見る。
…?
「レイバー!この味、コパード…とか言ったか…?いい風味があってイカと合ってるな!美味しい!!」
「………!」
そして彼女は顔を戻すと、再び料理に手をのばした。
「……………うん」
レイバーは少し驚くと、それから静かにほくそ笑み、中断していた昼の皿洗いをしに調理場へと戻った。
女の子って大事だね…!
彼がロナに感動しているのもつゆ知らず、新たにエドを加えた集団はまたおしゃべりに耽っていた。
「ところで、最近疑問に思っていたんだが…」
ロナが不意に口を開く。
「どうした?」
「エドは、この船の船長のようなものなのだろう?
大抵のものは皆エドに敬語を使うが、アイトワとレイバーは違うな。
最初は二人は上の立場の者なのかと思ったんだが…
エドに敬語を使うディールは二人にはタメ口を使っている。
…この船の上下関係はどうなってるんだ」
ロナは本当に不思議そうな顔をして尋ねた。
その疑問にエドが答える。
「あーそうやな…。
ロナは保安隊におったけん、俺らの関係がわからんのかもな…。
保安隊は上の者には絶対服従やけんなー…。
あんなぁ、確かに俺はここの頭っちゅうことになっとるけど、…なんやろ、頭っていうだけでこいつらの仲間にはかわりないって言うか…な?
つまり元々上下は無いわけで、こいつらが勝手に敬語を使っとるだけなんや」
「は?」
「え、そうなんすか?」
ロナと一緒に新入りのキグナスも反応した。
「え?…いや、え?
お前もか、キグナス?」
「はい…。だって俺も最近入ったばかりっすから…」
「もーディールー」
エドは眉をひそめディールを流し目で見る。
「え?俺のせいっすか」
「だってディールが大体新入りにここの伊呂波を教えるやん。ちゃんとしてくれよ〜」
「そんなっ…。
だって俺…!」
「そうだぞ頭。ディールにばかり押し付けないでお前が教えてやればいいじゃねぇか」
アイトワはすかさずディールのフォローをしてやる。
「だって俺、エド兄貴を敬って欲しいですから…!!」
「確信犯かよ」
「痛てっ」
ビシッと鋭いチョップがディールの脳天にぶちこまれた。
「ほれみろ、確かに変やと思ったんや。俺より年下は未だしも、年上の奴らまで敬語を使うから…。お前の仕業やったんか!」
「はは、まあまあ兄貴。ディールの言う通り、あんたは年上の俺らから見ても敬うには充分な力を持ってる。
だからここまでずっと俺たちゃ敬語を使ってきたんですよ」
「お前ら…」
エドは部下の言葉をじーんと身に染み込ませる。
「兄貴…口元に長ネギ付いてるっすよ」
「…お前ほんっとさっきから空気読めねぇよな…!!レオイ!」
ディールは持っていたフォークをレオイ向かって振り上げた。
ギャー!!
レオイは彼のフォーク攻撃をぎりぎりかわすと、悲鳴を上げ部屋からとび出し、それを追ってディールも部屋から出ていった。
それを見て皆はまた笑う。
「ま、そういうことらしいな、ロナ」
アイトワが彼女を見ると、まだ納得してなさそうな顔をしていた。
「じゃあ何故アイトワとレイバーは敬語を使わないんだ」
「それは簡単な話さ、俺とレイバーと頭、まあディールもだか…最初はこの船に乗ってたのがこの四人だったからだよ。
まあ…、ディールは特別、年下ってこともあるだろうがあいつは頭を尊敬しているからな…」
そう言ったアイトワの目は、どこか遠いところを見ているようで、なんだか空虚な目だった…。
「あの時は…こんな楽しい時間を過ごせるなんて思ってもみなかったな…」
「……?アイトワ…?」
「ああ、いや、独り言だ。気にせんでくれ」
初めの頃のディールといいエドといい、今のアイトワといい…、何か彼らにはあったようだ…。
でも今は無理な詮索はしない。
私もこんな風に彼らの仲間となれたのだ。
きっと自ずとそれを話してくれる時が来るだろう…。
「……」
そうしてロナはうるさい周りを見渡し、自分がその中に確かにいることを噛み締めた。
「なんや、ロナ。そない緩んだ顔して…」
「いや…なんだか…。
今となってはすごくここにいるのが幸せだな…って」
「………」
エドは彼女の言葉に目を見開く。
「…!」はっ
ロナは今自分が言った恥ずかしい言葉を思い返すと、席を立ち上がり、今の忘れろ!と言って赤らめた顔で食堂から走り去っていった。
エドとアイトワはお互い驚き顔を見合わせ、そしてぶはっと吹き出す。
「は…なんやまだ最近まで少し固かったけど…」
「やっと馴染んできたんだな…」
「………よかった…」
「ああ…」
本当に嬉しそうな顔しやがるな…エドは…
アイトワは、ロナが走り去った跡を見つめる彼に、横目で見ながら昔見ていた彼の姿を重ねていた。
こいつの本当の笑顔が、また絶望に変わらぬように…
俺らは仲間のことも、自分のことも守っていかなきゃな…
そして…いつかは…こいつの無実を証明してみせる……!
…さて、落ち着いたところだし…。
今度はどこに盗みに行くとするか…
◇◇◇◇◇
甲板にディールがいき倒れていた。
「…………」
その横を、ロナは通りすがる。
「おい!待てよ!」
「…何だ」
眉をひそめ、ロナはディールを睨む。
「何だじゃねーよ、こっちはレオイを捕まえ損ねて生き倒れてんだから少しは心配そうにしろよ!」
「なんだ構って欲しかったのか」
「むかつく言い方してくれんじゃねーか、オイ」
ロナは甲板の手摺にもたれて海を眺めた。
少しの沈黙が続いた後、ディールは立ち上がり、ロナと同じように海を眺めた。
ザザ…ン
ザザ…ン
「……おい」
突然ディールが話しかけてきたのでロナは少しびくついた。
「え?」
「いや、お前なんか心ここにあらずって感じだったから故郷のことでも考えてんのかな〜って…」
「……いや、故郷と言うより母親のことが…な」
「…母親……そうか…。
でもな、ロナ。俺らは当分あそこには戻れねぇんだ。今舞い戻っちまったら確実に保安隊に捕まるからな…」
そうだ、こいつらは私の故郷で盗み(未遂)をしたのだ。
「わかってるさ…」
「ごめんな…元はと言えば俺らが盗み(未遂)を働いたせいで…」
「……!」
心配してくれた…のか…
「ふふ…」
「!何がおかしい」
ディールはロナの反応に少し膨れる。
「この船は…船長だけでなく船員もおかしい奴らばかりだな」
「あ?」
「変な意味じゃない。
ただ、皆優しいなと思ったんだ。
トーテルの保安隊の男達は私を見下す者が多かったから…
少し今の環境が私にとってくすぐったいだけ」
「…最初は散々だったけどな」
「はは…
…でも、トーテルの保安隊もお父さんがいた時はあんなんじゃなかったんだけどな…」
「お父さん?」
「ああ。
私の父親も保安官だったんだ。とても優秀でね、腕を買われて中央支部にある保安部隊中枢本隊に引き抜かれたんだ。
…勿論トーテルと中央支部のべスディアとはかなり離れていたから、私達家族とは離れ離れの生活となった。それにあまりの遠さに給料の仕送りもままならなくて、私達の生活を案じたお父さんは新しい父親と結婚して良い生活が出来るようにと、お母さんに離婚を申し出たんだ。
お母さんは凄く嫌がったんだけど、結局離婚となってね…。それからも手紙のやり取りはずっと続いてたんだが、ある日突然ぷっつりとそれが途絶えた。何ヵ月後かにやっと久しぶりに手紙が来たかと思ったら…」
「…………」
ディールは静かに彼女を見つめる。
「それは父親の殉死を告げる手紙だった…」
海面に反射する光のせいか、ロナのエメラルドグリーンの瞳がキラキラと揺れて見えた。
「………」
「とても厳しく、優しい父親だったんだ。そして誰よりも強かった…」
「ロナ…」
ディールは何か言葉をかけようと試みたが、何も思い浮かばない…
ディールが戸惑っているのに気付いたロナは
「ああ、いきなりこんな暗い話してすまない。気にしないでくれ。
もう私は大丈夫なんだ、ディール達みたいな良い仲間がいるからな…!」
そう言って、笑った。
「…!」
「…?…どうした?ディール」
「なんで…」
「?」
ロナは俯いてしまったディールが心配になり、彼の顔を覗きこむ。
「…大丈夫か?ディール─」
バッ
突然顔を上げた彼の表情は、怒りに満ちていた。
「なんでそうなんだよ!
なんで辛いことを隠す!?今にも泣きそうな顔してたくせに、なんでそれを押し殺して笑って誤魔化す!?
泣きたいなら泣けば良い!!俺らみたいな仲間がいるってんなら、悲しみを隠さないでぶちまけりゃいいじゃんかよ!!
なんでそんな無理すんだよ!
お前も……兄貴も!!」
「!!…エドも…?」
「……!!」はっ
─しまった
ディールは思わずロナから目を背く。
そんな彼をロナは見つめた。
「……」
「すまん…ロナ…」
「エドって…
…女装のことか…?お前、さっき怒ってたしな…!」
ロナは何の迷いも無しに言った。
そっちか!!
「……」
「?違ったか」ロナは不思議そうに首をかしげる。
「いや…あながち間違っちゃいねぇけど…そっちじゃねぇっつうか…女装の話だけだったら俺もこんな熱くなんねぇっつうか…」
「?」
「ああいや、何でもない。
気にすんな」
「そうか…。けどな、本当に私は無理はしてない。
確かにさっき涙は堪えたけど、別に押し殺してる訳じゃないんだ。逆に言うと、笑顔になれるというのかな。お前らみたいな仲間がいるから大丈夫というのは事実だよ。
心配してくれてありがとう」
ロナは優しく笑いかける。
そんな様子のロナにディールは目を丸くする。
「………お前、そんな奴だったか?」
「二週間も寝食を共にすれば誰でもこうなるさ」
「そんなもんか…?」
いや…やべぇ、こいつ女なんだ…
今更ながらそんなことを意識し始めたディールは急に恥ずかしくなった。
「ああそれと、さっきは私の話も聞いてくれてありがとう」
「お…、おう」
「…」
ディールは彼女の顔が赤いのに気付いた。
「どうした…?大丈夫か?」
「いや、なんだか、素直に言い過ぎて…今頃恥ずかしくなってきたんだが…」
「…!
あぁ…!そっか…!素直に…な…!」
そういうことも素直に言うんじゃねぇよ!
こっちが恥ずかしくなんだろが!
二人揃って黙りこくり海を眺めていると
「二人でなんしとるんや」
気の抜ける声がした。
「エド」「兄貴」
「お前らいつの間にそんな仲良うなったん」
「聞いてくださいよ兄貴!
こいつ自分でもこっぱずかしい事何度も言いやがって…助けてくださいっ!」
「な!」
エドはそれを聞いてにやついた。
「おうそれなら俺もさっき聞いた。
…じゃあお返しゆうとこか」
「え」
エドは右手でロナの小顔をぷにっと掴み笑顔で言い放った。
「俺もロナが仲間になってくれて幸せや。ありがとぉな!!」
「っっ!!」
ロナはりんごの如く色で顔を染め上げる。
ディールも少しこそばゆい感覚をもった。
「じゃ、そろそろ街つくけぇ準備手伝ってくれ〜」
と手をひらひらとさせ、エドは顔を赤くした二人を残して普通に船室へと戻っていく。
「…………!」
あんたってすげえな…!
エド兄貴…!
◇◇◇◇◇◇◇◇
船室に戻ったエドはふと立ち尽くす。
…ロナ、俺が顔掴んだ後ふらふらしとったけど………………………………………、風邪気味かな。
いかん、ロナは女の子なんや、体調のことはしっかり気をつけてやらんと…!