第7話
同性への恋慕表現注意報発令。
『うっかりさん』
「おとんさま~連れてきたよ~」
ドアとベッドまでの距離が十メートル無かったからか、部屋に入ると既におとんさまは起き上がりベッドに腰掛けていた。
うん、こう、窓から降り注ぐ柔らかい光が降り注いでる様とか、そんな光を浴びて穏やかに微笑んでいる姿とか、やけに神々しい。口を開ければ「うーたん、うーたん」なのにな。見た目だけは神々しいな、我が父。
『待っていたよ、ガルストの名を継ぐ者』
あ、こっちの言葉喋ってくんない。そりゃそうだよね、日本語じゃガルストが状況良くわからないもんね。いいよ、私は後で聞くから。
ガルストは部屋に一歩足を踏み入れた状態で固まってしまっている。なんか、おとんさまは三百年以上前からこの世界にいたらしいから伝説の人物とかそんな感じなんですかね?
『……あなたは…、……オンノか?』
『うん、そうだよ。ずっと、君が来る日を待っていたんだ。さぁ、ここにおいで。全てを教えてあげよう』
おとんさまがガルストに手を差し出す。無駄に絵になるなオイ。
ガルストは導かれるようにお姫さまベッドに近づくと、厳かな面持ちでおとんさまの前に膝を付いた。
う~ん、つまらん。ガルストは跪いたまま、おとんさまと会話をしている。私はなんだかこの空気を壊しちゃいけない気がしたので、ドアの前で突っ立ってたんだけど、いい加減疲れた。
「椅子、椅子」
小声で呟いてきょろきょろと部屋を見渡す。
(あ、めっけ)
広い部屋、クローゼットっぽい扉の傍にガーデニングをしているちょっとお金持ちなご家庭にあるような、背もたれの細工が緻密な白い椅子が一脚あった。しかも、出窓のそばでもありなんとも気持ち良さそうではないか。座って待ってよ。
そう思って椅子を目指したのは大きな間違いだった。
急に体が傾いだかと思ったら、大きな音を立ててまるで人形のように力なく倒れる自分の姿。を、見つめる嵌めになった私。
咄嗟に振り返ると、二人が焦った表情でこちらへ駆け寄ってくる。高々一歩の距離をガルストが詰めた瞬間、幽体離脱状態の私が、体に引き寄せられる。
体に戻るその瞬間、半径十メートルの法則こえー!と思ったのは言うまでも無い。
***** ***** *****
『ツンなうーたん、ちょいデレる(父的に)』
『ウタ!?』
「うーたん!!」
オンノと話をしている間、ウタの気配は感じていた。言い訳に過ぎないかもしれないが、オンノの持つ空気に圧され私はただ彼の人から齎される話ばかりに気持ちがいってしまっていた。
きっと、体を休めたかったのだろう。椅子のそばで倒れた姿を目にした瞬間、己の浅慮さに腹が煮えくり返った。
ウタは体調を崩しているというのに!それを知っていながら彼女を気遣うことが出来なかった……!
『ウタ!大丈夫か、ウタ!』
駆け寄りそっと抱き寄せようとした瞬間、オンノがそれを阻んだ。
「駄目!おとんさまの目が黒いうちは、誰であろうと男の子には触らせないんだからね!」
オンノがウタを抱きかかえ、私のことを睨む。ウタの言葉に良く似た発音だったので、きっと間の言語なのだろう。
その声音から、私はオンノの怒りを買ったことを自覚する。それもそうだろう、ウタはどうやら『ガルスト』をオンノへと導く役回りだったようだ。となれば、オンノにとってウタは大切な部下に当るのだろう。
「……あのねぇ、おとんさま…馬鹿なこと言わないでよ……」
どうやら、大事には至らなかったらしい。安堵から思わずウタへと左手を伸ばしたのだが、その手をオンノに払われた。
『うーたんに触っちゃ駄目だったら!それにガー君、うーたんのこと呼び捨てしない!』
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(は……?)
何を言われたのか理解が出来ない。
ガー君?私のことか……?うーたんを……、うーたん?
いや、なんだ、この違和感は?先ほどまでの神秘然としたオンノとかけ離れた今の姿はなんだ?
「おい、おとんさま。今なんか絶対変なこと言ったっしょ?」
ウタが間の言葉をオンノに向ける。眉の寄った様子から、ウタはオンノに何か忠言をしたようだ。
「だって、会ってちょっとしか経ってないのに、うーたんを呼び捨てにするなんて仲良さそうで駄目だよ!」
「……アホか。ってか、むしろ私はおとんさまにうーたんって呼ぶのやめてけれって言ったはずなんだが」
オンノの支えを手で制し、ウタが立ち上がる。
「ほら、通訳。私がうっかり十メートルの距離から離れたせいで倒れちゃっただけだから大丈夫だよって、ほら伝えて」
ウタに何かを言われ、オンノがその頬を膨らます。
『うーたんがぁ……』
「不貞腐れた声ださない!」
突然、ウタが怒りの声を上げる。なんだ?ウタがオンノに仕えているのではなく、オンノがウタに仕えているのか?主従関係が見えずに混乱する。
「だってうーたん!」
「だってもそってもない!」
「ぶぅ~……」
オンノが唇をツンと突き出し黙り込む。その様子を見たウタが、そっと私の左手を取った。
「うーたん!」
「シャラァップ!……ガルスト、ごめんね?でもおとんさまも、悪気は無いんだ。さらっと三百年以上とか言ってたからなんとなく流しちゃってたけど……長い間、ずっと私のことを心配してて、だからちょっと変な人になっちゃっただけなんだよね……」
オンノを牽制した後、誠実な瞳と寂しそうな微笑みで何かを私に訴える。そしてその横でオンノが突然号泣し始めた。
(なんだ…なんなんだ一体……)
私の混乱は極値に達していた。
***** ***** *****
『英語も雑じったら大混乱』
なんか変な感じになっちゃったので、仕切り直しにちゃんとベッドの傍に二人分の椅子を用意して座る。もちろんこっちの言葉は私にはわからないので、おとんさまが通訳を挟んでくれるのだが、なんだかその言葉を丸呑み出来ない。
もういいや、ほんと後で聞こう。
それよりも私的にはガルストのプニプニ肉球が傷だらけなことのほうが気掛かりなんですね。
『つまり、ロピア君の策略だった訳だねぇ』
なにやらおとんさまがのんびりとした声を上げているので、ここだ!と思い声を掛ける。
「おとんさま!」
「なぁにうーたん!」
意外とノリがいいな、この父……
「ガルストが怪我してるから、手当てしたいんだけどメディカルボックス的なものはどこですか?どうせこの屋敷歩き回ってたんだろうから知ってるでしょ?」
「うん、知ってるねぇ。あそこの戸棚のとこに入ってるよ~。ちょっと待ってね。『ガー君、うちの可愛い愛娘が親切にも君の怪我の手当てがしたいらしいの。で、そこの戸棚にメディカル~……釣られちゃった。えっと、薬箱があるから一緒に取りに行ってね』ガー君も一緒に行くから取ってらっしゃい、うーたん」
うむ、半径十メートルの法則は中々難儀だな。いや、ずっとガルストの傍に居られるとかマジウハウハなんですけどね!
立ち上がってガルストを見ると、彼も頷き一緒に戸棚へ。と、後ろからポスッと音が聞こえ、振り返るとおとんさまが法則にやられていた。ほんと、難儀だな……
「たぶんこれかな」
さっさと戸棚を開いて目的の物を手に取ると、おとんさまの傍に戻る。
ムクリと起き上がったおとんさまが、私の手からメディカルボックスを奪おうとする。
「なにさ?」
「怪我の手当ては喋りながらでも出来るでしょ。おとんさまがやるからうーたんは休んでなさい」
「お断りします。二人で話してやがれ。暇人の私から仕事を取るな」
何より、野獣にこれでもかと触れられるチャンスを奪われてなるものか!
「ぶーぶー」
「いいから、話戻れっつの」
渋々といった様子で、おとんさまが会話を再開する。
『えっと、どこからだっけ?あぁ…だからそのせいでボクと言う存在が』
「これ消毒液?」
「え?うん」
そうか、これがガーゼなのは間違いないよな。んで……
『んっと?あー、つまりボクと言う存在を隠すことで王制を』
「ねぇ、包帯どこ?もしくはテープ的な何か」
『え?包帯?それは……「間違っちゃった。包帯はほら、これ段になってるからここ開けて」
「お、あったあった。ありがとおとんさま」
「んーん!いいんだよ、うーたん!」
テンション高いな、父。って言うか、突然テンション上がるな、父。
ん~、テープが無いから、消毒したらガーゼを当てて包帯巻くしかないかな。
『さて…どこまで話したっけ……』
『ロピア王の策略により貴方の存在した形跡が消されたと』
『あぁ、そうそう。結局、ガルストが何年も出てこなかったことで』
「ガルスト、手ー出してね」
「ガルストに対する忠義心が薄れてしまったんだよね。それに……あれ?」
日本語が通じないのはわかっているので、一応話しかけはしたけど勝手にガルストの手を取った。手当てをすることは状況的に把握していたんだろう。ガルストは素直に肉球を上に向けてくれたんだけど……急に言葉が理解出来て「ん?」と顔を上げる。そうか、おとんさまが日本語使ったのか。
おとんさまの顔を見ると、顔にクエスチョンマークが浮かんでいる。
「おとんさま、いきなり日本語でどうした?」
「うん、なんかごっちゃになるみたい……。うーたん、ごめんね、良い事しようとしてるのはわかるんだけど、おとんさまちょっと大事なお話してるから、静かにしててくれるかな?」
あ、私がちょくちょく話しかけてたせいか……
「ごめんごめん。静かに使命を全う致しますので!」
「うん、ありがとね、うーたん」
しょうがないんだろうけど、おとんさまの私に対する扱いが四歳児に向けたものだよなこれ……
『えっと、つまりね……』
話し始めたおとんさまを邪魔しないよう、私は静かにしずかーに、ガルストのおててを愛で……治療した。
***** ***** *****
『恋慕を超えて』
クルーツは急いでいた。
兄と慕うガルストは正義感に溢れ、実直な性格であるが故に目の前に困っている人間が居るとそれを放っておくことが出来ない。優しい性格ゆえに、誰かを切り捨てることが出来ない。その為、いつも実力を超えた無茶をしてしまう。
騎獣を伴ってガルストの元へ着いた時、彼が使った力の強大さに驚いた。右手がだらりと垂れ下がっている様子を見て、その痛ましい様相に怒りすら湧いた。
もっと自分自身を大切にして欲しい。そう思うけれど、反して彼には、王として立つ彼にはそのままでいて欲しいとも思う。だからこそ、心の内に色々な感情を押さえ込んだ。
クルーツの姿を見て取った瞬間、ガルストは騎獣に乗り走り去ろうとする。彼がどこに向かおうとしているかは直ぐにわかった。しかし、明らかに負傷している手を治すことが先決と、遠ざかる背中に声を掛ける。
『ガルスト、今は治療を!』
『治療など、後でも出来る!』
そうして去ってしまう背中。
クルーツはため息を一つついて、己がすべき事を考えた。
まず、外交を担当していたティルズ候へと連絡をつける。降って湧いたコルタの侵略行為、なぜ把握できなかったのか調査を依頼する。
諸々の手続きや事後処理をした後、己は城へと戻るべきであると理解しているが、ガルストが弱きものを優先してしまうように、クルーツはガルストを優先してしまう。
回復術を得意とする術士を一人伴い、眠りの森へ急ぐ。
誰も彼の人の傍に近づけたくない。そんな我侭を言っている場合ではないことは理解していたが、回復術が苦手でさえなければとも思ってしまう。
美しい人との出会いは、十四年前に遡る。当時九歳だったクルーツは父であり、仮王としてガルストを治める国王に連れられて、たった二人であの場所を訪れた。
怖ろしい彫像に、体を縮込ませ父王の服の袖を掴んだ。父はそれを素っ気無く払いのける。
『王となるべきものが、この程度を畏れるな』
王の言葉に、クルーツはただ俯いた。ガルストが居るではないか。王となるべくして生まれ、王に相応しき心の持ち主であるガルストが居るではないか。
優しく、強く、逞しいその姿に憧憬と尊敬の念を抱いているクルーツを、王は、革新派の臣下達はいつも叱咤した。この頃より、クルーツの実父に対する不信感が大きく膨らんでいた。
そんな父に連れられて入った部屋に、その人は居た。
透き通るほどに美しい、クルーツの中にある澱のようなドロドロとした感情など、きっとこの人には存在しない。
ただ美しく眠り続けるその人に、クルーツはただ見惚れていた。
『誰かは伝わっておらん。調べてもならん。ただ、この者の存在を知るのは王だけだと言う事を覚えておけばいい』
『お世話をする人は居ないのですか?』
そっと近づくと、なんとその人は埃を被っている。まるで打ち捨てられた人形のようであるのに、確かに生きているのだとわかる。
『世話など必要ない。それは生きても死んでもいない。……魅入られるなよ』
父王はそれだけ吐き捨てるように言うと、クルーツを残して去ってしまう。
けれど、クルーツは置いていかれたことなど気にならなかった。ただこの美しい人をいつまでも見ていたかった。
それから、クルーツはその人のもとへと通うようになった。
幼い頃はただその人が目覚めるのを今か今かと待っていた。少し大きくなると、部屋を掃除したり起きた時の為に食べ物を切らさぬよう用意するようになった。
少しずつ時は進み、この美しい人に私を見て欲しい、笑いかけて欲しいと願うようになった。それからは、必死に眠りの術について学んだ。しかし、彼の人に当てはまるような術は存在せず、多くの魔術書、禁書にまで手を出した。
憧憬は恋慕に変わり、そして狂気染みた偏愛へと変貌する。
そっと、その人の唇を撫でたのはいつだったか。
静かに、初めて唇を合わせたのはいつだったか。
風呂に入れてやろうと服を脱がせた時、初めてその人が男であることを知った。
それでも、気持ちは変わらなかった。
湧き上がる愛しい気持ちと共に、ガルストに対する罪悪感が胸を突いた。
彼に話さなければ、そう思っているのに自分だけの秘密にしたかった。そうやって、ただ時を過ごし美しい人のもとへと通った。
ウタの顔を見た時は驚いた。あまりにもあの人に似ている、と。もしや、彼女がクルーツの愛する人を目覚めさせるきっかけになるのではないかと期待した。
それもあって、クルーツは二人を眠りの森へと誘ったのだ。
ガルストへ全てを話して聞かせ、罪悪感から解放された。しかし、それはクルーツの心を慰めてはくれない。
話が終わったら、ウタと引き合わせるつもりだった。
それを、兼ねてからの懸念であったコルタとの紛争に邪魔された。
クルーツは急いでいた。
優秀な回復術士を伴い、ガルストのもとへと急いでいた。
そして、美しいあの人のもとへと。
屋敷のどこにも居ない二人に、焦る心。
もしやと思い開いた扉の先に、見たことも無い人間らしい表情を浮かべるあの人。
――愛しい人――
開かれた扉の音に気付き、こちらを見たその表情が驚きに溢れ、そして初めて聞くその人の声は……
「ひぃっ!!!」
怯えに満ちたものだった。
それすら、クルーツの胸を柔らかく震わせたのである。
オンノが居る部屋は横長の角部屋で、扉の正面十メートル以内にベッド、扉から右側に浴室に繋がるドア、左側はドアのある面と同じ面にドアがあって、そこがクローゼットになってます。ようは、くの字型なんですけどね。で、ドアから見て正面と左側が出窓。その傍に戸棚あり。
左側のすみに行っちゃうとベッドから十メートル離れてしまうという馬鹿デカイ部屋です。
2012/6/4 誤用修正
2012/6/17 誤字修正