第6話
『恫喝』
走る。
ひた走る。
砂塵の舞う大地。それを悲しく思いながら、ただ走った。
たった十年前までは、こんな土地ではなかったはずだ。日の光の恩恵を受け、木々が競うようにその枝を伸ばし、風が伝える生命の交わりが森を豊かに育む。この場所に生きるすべての者が歓喜の歌を以て季節の移り変わりを迎える。そんな場所だった。
それが、今はどうだ?
あの頃の面影はまるで無い。荒涼とした何も無い大地。柔らかく根を受け入れていたはずの土は岩のように固まり、ゴロゴロと転がる石と化した土の欠片が肉球を傷つける。血が滲み出たらしく、前足で駆けるたびにチクリチクリと痛む。
これからすることは、この大地を余計に傷つけることだとわかっている。それでも、私は自然の持つ治癒力を信じ、ならばこそ弱い命のほうを守りたい。傷付いたガルストの兵士達と擦れ違う。どうやら死者までは出ていないことに安堵するが、皆一様に私を心配しているのがわかる。
すがれた景色の向こう側に騎馬隊の姿。クルーツの起こした光の魔術がどういった意図で繰り出されたかわからず、動こうにも動けない状況なのだろう。
彼らから私の姿が確認できるであろう位置まで来ると、天に向かって吠えた。
――ガルゥオォォォオン――
風だけが吹き荒ぶ大地に、私の哮る声がよく響いた。
隊長であろうか、男が一人馬上から声を掛けてくる。
『ガルスト国は王子、ガルスト殿下とお見受けする!此度のガルスト兵撤退は、我等が条約を受け入れる意思有りと見てよろしいか!』
『否!我は警告する!ギルビシアは竜と精霊の聖地!ガルスト然り、コルタ然り、人如きが侵して良い土地にあらず!我等は生きる場所をこの世界から借りているに過ぎぬ!生かされていると言うことを忘れ、自然からの恩恵を狩り尽くさんとする者共へは、竜の鉄槌が下るだろう!』
コルタ軍とは名ばかりの、アシテアの民ばかりで構成された部隊へ獅子吼するが、私の言葉が彼らの心に届くことは無いのだろう。ざわめく声は嘲りの色をしている。
『コルタの民よ!我が力を知る者達よ!ここを去れ、知らぬ者には教えよ!我が祖は戦神、従えるは大地の代弁者!』
数少ないギルビシア出身の者達が、アシテアの兵士の袖を引く。彼等の恐怖がアシテアの兵たちにも伝わるよう、私はなるべくゆっくりと仰々しい動作で以て大地に手を当てる。
逃げても逃げなくてもいい。どうせこの業は彼らまでは届かない。それでも、彼らに私と言う存在は恐るるべきものであり、本気を出されては勝てぬと思わせることが重要なのだ。
『……これはその力の一端に過ぎぬことを知れ!!』
言葉と共に拳を大地に振り下ろす。
その衝撃は即座に地面を伝わり、大地が揺れる。私が殴りつけた場所を中心に広範囲が陥没し、ほんの少し遅れて穿たれた大地の衝撃音が響いた。
『砕けたな……』
嫌な痛みが右手を襲う。確実に拳の骨が粉砕しているだろう。
しかし、この程度の犠牲によって大きな効果が出るならばそれでいい。私に出来ることなど、これぐらいのことしかないのだ。
立ち上がり騎馬隊に視線を向ければ、力を目の当たりにして恐怖を顔に貼り付ける者、地震の影響で落馬した者、逃げる者に止める者がいる。
隊長格の男ですら馬を下がらせている様子から見るに、皆騙されてくれたようだ。
『引け!我を敵とするは、この地の神に敵対するが如き蛮行!ガルストは平和を愛す!それを打ち砕かんとせぬ限り我等が牙を剥くことは無いのだ!』
その直後、頭上を大きな影が覆った。
『竜だ!』
誰かが空を指差してそう叫ぶ。
『竜が怒っているぞ!』
コルタ軍は恐慌状態に陥り指揮系統が崩れた。思い留まっていた者達も慌てて逃げ出す。
私は空を見上げた。そこには巨大な影。良く見ればあれが張りぼてだと気付けただろうに……
『全く。クルーツめ…やりすぎだ……』
私は拳の痛みも忘れて、その場にドサリと座り込んだ。
***** ***** *****
『それって多分生霊』
その後、おとんさまと色々な話をした。
おとんさまは私がどういう風に過ごしてきたのか聞きたがり、私はダイジェストでおとんさまが居なくなってからの二十五年間について話して聞かせた。おとんさまは、私の話しに逐一涙を浮かべ、ごめんごめんと繰り返す。楽しかった時の話も結構したのにそれすら涙を誘うようで……私まで泣きたい気持ちになった。
きっとおとんさまは喜びや悲しみといった全ての感情を……時間を、私と分かち合えなかったことがどうしようもなく悲しいんだと思ったから。
私のこれまでの人生を聞かせ終わり、おとんさまはどうやって生きてきたのかを聞きたかったけれど、それよりまず先に突然こちらの世界に来て右も左もわからないからこの世界の事とか私に何が起こっているのかを聞くことにした。
私の体がそこにあるんだけど、今話してる私って何なの?と聞いたら、幽体離脱見たいなもんだそうだ。うん、私もそう思ってた。じゃあ、なんで泣いたり出来んの?って聞いたらわからないそうだ。そうか……。役に立た……ゴホン。
「まぁ、この国は良い国だから、ゆっくり知っていけばいいよ」
なんてのほほんと言う。おとんさまってこういう性格だったんだな……おっきな手とか、優しいかったなぁーぐらいしか覚えていなかったから、なんだか不思議な気分になった。
「そう言えばさっき、ガルストが居ないと……」
肝心の幽体離脱の理由を聞こうとした矢先、ドアが開いて二足歩行の猫が現れた。
「うほー!猫!歩く猫!喋る猫!マジ可愛い!!」
どうやら私の声は聞こえないらしく、『邪魔するぞーい』と、何事か喋って猫さんが私の体の傍に来る。
『お?寝ておるのか?』
トントンと、私の体の肩を叩く。凄いな私、ピクリともしない。
『ほほう、これはあちらの部屋に居たお方と同じ症状なのかのぉ?』
「ねぇねぇ!おとんさま!猫しゃんなんて言ってんの!猫しゃん!!」
興奮しておとんさまの肩を叩くと、おとんさまが渋い顔をして私を見る。
「うーたん、なんか性格変わったねぇ……」
なに、その変な人見た。見たいな目。正直おとんさまに言われたくないよ!?
「動物好きなだけだって!いいから通訳!」
「わかったよ~、えっとね、さっきのはあっちの部屋に居た人と同じ症状かな?って言ったんだよ」
猫さんが私の体を揺さぶって、反応が無いから諦めたのか窓辺の光が当たる場所で丸くなる。
「ちょー!!マジ猫!!超にゃん子!」
「……うーたん……」
「いや、だからそんな可哀相な子見るような視線やめれ。わかった、冷静になるから」
「うん…そうして。なんかおとんさまの夢壊れちゃいそうだから」
いや、娘の父親に対する夢を壊しておいて何を言う……まぁ、いいけどさ。
「あー、あっちの部屋って?」
「うん?多分、おとんさまの体のある部屋のことだと思うよ。行ってみる?」
そういえば、おとんさまも幽体離脱状態なんだっけ。
「おっけ、行こう」
多分、猫さんが私の体をどうこうすることは無いだろうし。
そのまま私達は壁抜けをしておとんさまの体を目指した。って言うと変な感じ……
「つまり、なんでかは良くわからないけどガルストが傍に居ないと幽体離脱になっちゃうってこと?」
幽体離脱って言い方をしているけど、浮いたり出来るわけではない。いや、おとんさまは浮けるらしいけどね。修行の成果だとか。
「うん。大体半径十メートルくらいかなぁ?しかもガー君が傍に居ない間は年も取らないらしくてね。だからおとんさま若いままっ」
両手を頬に当てて「きゃ」なんて言う。あぁ…おとんさまのイメージがガラガラと音を立てて崩れていくよホント……
「ふ~ん。幽霊状態だから若く見えてるってことじゃないんだ」
「うん。まぁ、ガー君が傍に居ないときは幽霊になっちゃうって思えばいいんじゃないかな?あ、ここ、ここ~」
辿り着いた部屋は、質素な造りに見えて細部に細かい紋様が施してある壁に覆われた、なんだか神聖な空気も漂う空間だった。その空間にお姫さまベッドが鎮座している。もちろん、おとんさまがべろんと横になった状態で。
「何年もこのままなの?床ずれしてそー」
「いやね?時が止まっちゃう感じだから、床ずれとかしないよ?」
「でも髪の毛は長いじゃん?」
「それは、ガー君の傍に居る間に伸びた分で……だっておとんさまここ三百年眠りっぱなしだったんだから、その分伸びてたら大変なことになっちゃうよ」
情緒もへったくれもない会話をしていると、急に体が引っ張られる感覚がした。いや、体はあの部屋で寝てるから体じゃなくて、今ここにいる、だから…魂?いや、体な感覚なんだけどさ!
「あっ!ガー君戻ってきた?うーたん、目覚めたらおとんさまの所に来るようになんとかゆうど……」
そこでおとんさまの声が途切れる。
いや、正確には私の魂が体に引っ張られて、おとんさまから離れていった……
***** ***** *****
『意外と会話が噛み合った二人』
クルーツが騎獣を伴って現れる。
事態が収拾し、気が緩んでいたが私にはやるべきことがあった。躍竜の背に飛び乗ると、直ぐに走らせる。
『ガルスト、今は治療を!』
『治療など、後でも出来る!』
クルーツや、術士の声を遮って眠りの森へと急ぐ。
コルタとの関係は小競合いが続き互いに牽制し合ってはいたが、一触即発とまでは行かない状況だった。間者も使って情報を集めていたというのに、突然の国境攻めだ。急ぎ、協議をせねばならぬが、その前にウタを城へと移動させたかった。
眠りの森は祭事の間を挟んで城の反対側に建っている。右も左もわからぬ状態のウタをあのままあの場所に置いておく事は出来ない。
『ウタ!ウタ!?』
左手で扉を開け部屋に飛び込むと、簡素なベッドにウタは横たわっていた。
具合を崩していたはずだ。もしや、昏睡しているのか!?
『シーラハイド老!これは一体どういうことだ!?シーラハイド老!?』
ウタに傍より、そっと額に触れようとして思い留まる。
(そういえば、怪我をしていたんだったな……)
血も拭わずに来ていたので、その手でウタに触れることが躊躇われる。寝ているウタは先ほどあの部屋で見たオンノと思わしき人物に良く似て、どこか触れては為らぬ雰囲気を醸していた。
「うぅ……」
『にゃぅ……』
二人分の唸り声が重なる。
『にゃんじゃ?人が気持ちよく寝てたというに……』
ベッドの反対側、日当たりの良い窓辺の傍にシーラハイド老が居た。確かにあの時、老は『残る』と言ったが、残っていればいいと言うものではないだろうに!
「ガルストお帰り~」
私の憤りを知る良しも無く、ウタが穏やかな声で私の名を呼ぶ。
『ウタ、体調はいいのか?』
「うん、なんか心配そうにしてくれてるのはわかるんだけど、言葉わかんないからね?まぁ、とりあえずおとんさまのとこ行こう」
ウタが何かを語りかけ、ベッドを降りると勝手に部屋を出ようとする。
『ウタ?』
声を掛けるとウタは一度立ち止まり、私を見てニコリと笑った。
「いーくーの」
廊下の先を指差す。確かあの先には……
『ウタ、あの先に誰がいるのか知っているのか?』
「そういや、おとんさまは今、私のそばにいるのかしらねぇ……下手なことできねぇな……」
『……ウタ、お前は何者なのだ……?』
やはり彼女は、あの場にいる者と何か関わりがあるのだろうか?ぼそりと小さく呟いた声音は、妙に私の不安を駆り立てた。
立ち止まっていると、ウタが私の手を引こうとする。
『ぐっ……』
触れられた右手を咄嗟に引く。
「えっ……もしかして怪我してんの?やだ!血付いてるじゃん!どしたの!?」
怪我を悟られたか、ウタが慌てた様子で私に詰め寄った。
『大丈夫だ、心配することは何も無い』
左手で、これ以上近寄られないようやんわりとウタの体を押し留めるが、ウタにその手を取られる。
「一体何があったわけ?こんな…プニプニ肉球が……痛そう……」
ウタが悲しげに眉を顰め、そっと……傷に触れぬよう私の手を撫でる。久々に感じる、優しさに満ちるその行為に、胸の奥を込み上げるものがあった。
「とにかく、言葉が通じないんじゃなんにもわからんから、おとんさまのとこ行こう!」
何かを強く訴えかけるウタが、私の腕にその細い腕を絡め歩き出す。
(今は、ウタに従おう)
きっと、彼女は私に伝えたいことがあるのだ。多分それは、あの人に関わることだ。そう確信できた。
そしてやはり、彼女が私を連れて入ったのは、ウタに似て美しい人が眠るあの部屋だった。
2012/6/17 誤字修正