第2話
「」は日本語
『』はガルスドラフォル語
『神と間と実の世界』
思わずガルストが発した怒号に、周りに控えていた者達が硬直から立ち直り動いた。しかし、詰め寄ろうとした所をフードを目深に被った男、術士であり、祭事も取り仕切るクルーツが目で制す。時視の水盆の範囲に入ることが許されているのは、祭司と『ガルスト』の名を冠する者だけだからだ。
「やべー!、マジかっこいいー!マジやべぇって!」
怒鳴られたにも関わらず詩の顔に恐怖は無く、より一層瞳を輝かせている。他国の言語なのか、何を話しているのかガルストには理解出来なかったが、興奮に両手を胸の前で握っているせいでたわわに実った胸が寄せられ、詩が裸であることを意識し、ガルストは己の失態を恥じた。
急ぎマントを外すと、詩にそれを被せようと思うが、近づけば怖がられるかもしれないと歩みが鈍る。
(いや、人の体を無遠慮に撫で回したような女だ。怖れるわけがないか……)
思い直して近づくと、感嘆の声と思われる奇声を発し続けている。
(何なんだこの女は?喜んでいるのか?何故裸なんだ?恥ずかしくないのか?まさか己が裸だと言うことに気付いていないのか?何故、そんな目で私を見るのか?)
目まぐるしく、また無秩序に色々な思いが頭を巡るが、兎にも角にも妙齢の女をいつまでも裸体のまま放置するわけにはいかない。
「やばいよほんと!夢?幻?いやいや、現実でお願いします!」
マントを広げつつ傍まで寄ると、詩が飛び込むかのように抱きついてきた。
『なっ!?』
(何なんだ一体!!)
抱きつき、ガルストの顔を見上げている。
「夢じゃないよ!夢じゃない!だって感触するもん~、匂いするもん~!むしろ夢だったら神様怨んでやる!って言うか殴りに行くから覚悟しやがれぇ~……」
何かを喚きながら、グリグリとガルストの腹に顔をこすり付ける。もう一度上げた顔、その瞳が真っ赤になっており、大粒の涙がボロボロと零れていた。
「ふぇ~ん!」
(泣くのか!?何故だ!?)
混乱極まりつつも、詩をマントで包み込む。そしてなぜか優しく抱きしめていた。男女問わず、ガルストからすれば全ての者が小さく弱い。この女も例に漏れず華奢で、力加減を間違えれば抱き潰してしまいそうだと恐怖した。そっと抱きしめ、あやす様に背中を叩いてやれば、鼻を鳴らし、しゃくり上げ、そして抱きついてきた手で、ガルストの体を撫でている。
(…………手つきが怪しいぞ……?)
まるで、服越しに体の輪郭を確かめるように、情欲を誘発するように撫で回している。
「やばい~…マジ興奮する~……」
未だ嗚咽が止まらない状態でボロボロと涙を流して……、それでいて何故、こんな手つきで人を撫で回すのか?理解の範疇を超えている。この女は何かがヤバイ。そう感じて離れようとするが、気配を察知したのかガッシリと抱きついてきて離れない。
野獣は途方に暮れた。
一方、詩の脳内はカオスに満ちている。頭は正常に働いておらず、思考と呼べない本能的な感情が乱れ放題になっていた。正直、自分が何を喋っているのかもわかっていない状況で、それでも抱きしめられるという幸運にチャンスとばかりに野獣の体を撫で回した。いや、チャンスなどと思ったわけではなく、それが詩の本能だった。
手が離れていきそうだったので、思い切り抱きしめそのままグズグズと泣き続ける。五分以上は掛かっただろうか、ようやく涙が引いた。
少しずつ、冷静さを取り戻してはいるが、自身が何度も想像した世界の如き状況下に、やはり詩の思考は正常とは言い難い。自分の置かれた状況を把握しようと言う考えが浮かばず、とりあえず自己紹介しなくちゃ!と抱きついていた腕を解き、それでもガルストの服を掴んだまま、喋り始めた。
「どうも、こんにちわ!三島詩です!二十九歳、独身、恋人は居ません!ここが異世界なら、私は召喚されたって感じでいいですよね!?そりゃあ、友達も居るし、賃貸暮らしだから未練が無いかって言っちゃあ…あるにはあるけど、天涯孤独な身の上だし、行方不明者になったら友達心配するけど、でもあいつ等だったらきっと私の幸せを願ってくれるし、多分大丈夫だと思うんで、送還はしなくてもいいかなって思います!あ、でも行き来とか出来るなら、ちゃんと友達には事情説明するし、マンション解約して荷物も整理しますよ!で、ですね、物凄い厚かましいんですけど、そりゃ、自分が勇者とかそんなことは無いと思ってますし、もしかしたら間違って召喚しちゃった、テヘペロなのかもだけど、貴方の傍に居させて貰いたいなって思うわけです!いやいや、別に、恋人にしてくれってんじゃないですよ?そりゃなれたらウハウハしちゃうけど、恋愛偏差値激低なんで、期待はしないで頑張ろうとって……これ告白じゃないですよ!やっぱりまずは互いを知っていくことが大切って言うか、やっぱ人間中身?が大切なんですよね!?中身がどうしようもなく合わない可能性があるのはわかってますから、とりあえず私としては愛でることぐらいは許して欲しいと言うか、アイドルにキャキャー言いた」
『待て!』
カオスなるままに喋り続ける詩をガルストが止めた。
『ここは、ギルビシア大陸のガルスドラフォルだ。お前はアシテア大陸の者か?ベルシュ・キリア・アシテア?』
「……あれ?」
ガルストの発した言葉に、やっと詩がカオスから抜け出す。
「もしかして、言葉通じない系ですか?マジで?えっと、ハロー、マイネームイズウタ・ミシマ。キャンユースピークイングリッシュ?いや、出来れば日本語が通じると嬉しいんですけどね?」
『アシテアでは無いのか?クルーツ、この女はどこの者だ?』
「英語もダメ?いや、日本語ぐらいしか私わからんのですけど……えっと…」
何か通じる言葉が無いか、詩は考え込む。異世界だと思っている割に地球には存在しない言語であろうとは思い至らないあたり、詩はまだ混乱からの脱出は出来ていないようだ。
「そうだ、愛してる!アイラブユー!ウォーアイニー!ティアーモ!ジュテーム!エゴアマーレ!イッヒリーベディッヒ!……全滅?」
学生時代に親友と各国の≪愛してる≫を学びあった為、それでなんとかならないかと思ったのだが、当たり前に全滅してしまった。
『なんだ?何が言いたい?』
必死に何かを伝えようとする詩に、ガルストは瞳を覗き込む。
『ガスルト、彼女の言葉はどこの国のものでもないようです。聞いたことの無い響きですよ』
「え、ちょー…もしかして異世界だから言葉も違うよ系?えー……?」
ようやく思い至るが、ならばどうすればいいのか、詩にはさっぱりわからない。
『どこの国の言語でも無い……?ならば、この女は何者なんだ……?』
ガルストの疑問に、クルーツは重々しい声で、こう告げた。
『……恐らく…、間の世界の住人かと……』
クルーツの言葉に、ガルストは天井を揺蕩う水盆を見上げる。
『神の世界の住人は器を持たず、時と間を支配する。実の世界の住人は魂を持たず、力と器を支配する。間の世界の住人は力を持たず、知と魂を支配する……。神の世界とは無の世界。何も無い故に、時を、空間を支配する力を持つと言います。その女性が実体の無い世界からやって来たと考えることは出来ません。我等の住む、実の世界は力に溢れた世界です。しかし、魂を作り出すことが出来ない。故に、器の世界とも呼ばれます。実の世界の言語は二十一、私も全てに精通しているとは言えませんが、彼女の言語はこの世界のものとは思えません』
『故に、間の世界の住人だと……?』
『はい。間の世界は力を持ちません。力を持たないからこそ、知に長け、そして魂を生み出すことが出来るのだと聞いています。間の世界で作られた魂はまず、その世界の弱き器で魂を成長させ、世界を渡る力を付けてから、実の世界へとやってくる。そして実の世界での生を全うすると神の世界へと行き、無に帰すのだとか』
『古い伝承だな』
『はい。彼女を見ると、我等のように力を持っているとは思えません』
『確かに、な……』
ガルストは改めて、自分の服の裾を握り締めている詩を見た。
困ったように眉を寄せ、不安げに彼を見つめている。
(深刻な空気を感じ取っているのだろうな。先程と打って変わり、大人しい……)
『しかし、この女が間の世界の者だとすると……』
『はい。間に送り返すのは不可能かと思います。神の世界は実と間、両方の世界に干渉する力を持ちますが、間の世界は実の世界に、実の世界は神の世界にしか干渉する力を持ちません』
クルーツの言葉に、ガルストはまたも溜息をつくことしか出来なかった。
『君は……』
詩は、ガルストを見詰めていた。真剣に話し合う二人に言葉をはさめなかったのものあるが、少しずつ冷静さを取り戻していた。二人の深刻そうな様子に、興奮しながら話していた自分自身の言葉を思い出した。
(あれ?もしかして間違って召喚しちゃったテヘペロ系?)
もしも、彼女の召喚が失敗や間違いだった場合、どうなるのか。先ほどまでの詩はまともにモノを考えることが出来ないでいた。けれど、自分の立場を良く考えてみたほうがいいのかもしれないと思いなおす。
しかし、言葉が通じない以上、ここにいる理由がわかるはずもなく、どうアクションを起こせばいいのかもわからない。どうしようもないのなら、とりあえず無害であることをアピールするのが一番なのではないか?罷り間違って、有害だと思われたらスパッと切り捨て御免されてしまうかも知れない。しかし、己の世界の常識が通用しない可能性もある。
どうするのが正解か、詩には答えを出すことが出来ない。
(いや、しかし、リアル野獣に会えただけで私の人生ハッピーだとも言えるんでないかい?いつ死んでもいいやって思えるし、だったら好きなように生きてみるのもいいんでないかい?だって、既に、鼻水擦り付けたり体撫で繰り回したりと失礼なことしまっくったもんな。服装見る限りこの野獣さんは偉い地位にいそうだし……うん。好きにしよう。そうしよう!)
どうするか決まった所で、二人の声が途絶えた。
早速のチャンスに詩は意思疎通を図るべく声を上げた。
「詩!詩!」
自分を指差して名前を連発してみる。余計なことは言わない。ガルストの袖を引っ張り、右手で自分を指して兎に角名前を連発した。
『……ウタ?』
いい声で名前を呼ばれ、詩の胸に温かいものが広がる。
「詩!」
もう一度名を名乗り、大きく頷く。今度は自分の胸に手を当て、「詩」と言った後、手を伸ばしてガルストの胸元に手を置く。ガルストが眉(は無いが)を顰めるので、その動作を数回繰り返した。
『名を尋ねているのか』
(おっと?長いね。さすが偉い地位にいそうな野獣!えっと、なんだったっけ?)
「エ・ルマ・ジサイエーショ?」
そう言葉にしながら、また自分の胸に手を置き「詩」、ガルストの胸に手を当て「エ・ルマ・ジサイエーショ」と繰り返すと、ガルストが首を横に振った。
『ガルスト』
ガルストが、詩の手を取ってそのまま自身の胸を叩く。そして、今度は取った詩の手を握ったまま、彼女の胸元に当て『ウタ』、もう一度己の胸元に持っていって『ガルスト』と言う。そうしてから手を離された。
(野獣の名前はガルストか!なんか、野獣って感じ。ガルルゥ!)
最終確認に、「詩」と言いながら自分を指差し、「ガルスト」と言いつつ、ガルストの胸に手を当てる。
ガルストが口角を上げ頷いた。
(ふわぁー!笑う野獣の可愛さよー!!!)
詩はデレデレと相好を崩し、ちょっと溢れた涎を啜った。そんな彼女とは打って変わり、ガルストは静かに息を吐いた。
(名前はわかったが、なぜウタが落ちてきたか、どこから来たのか、何もかもわからぬ……。とりあえずここから出るか……)
『クルーツ、出口を』
『わかりました』
声をかけられたクルーツが壁の傍へと歩み寄る。止まった所には、甲冑や軍服と思われる服を着ている人が居た。二人以外に人が居たことに詩は今更気づいた。
気付くのが少し冷静さを取り戻した今で良かったかもしれない。さっきのテンションで彼らに気付いていたら、詩は確実に鼻血を吹いてぶっ倒れていただろう!
だって、彼らは、まさに……
モフモフパラダイスなのだから!!
舞踊曲としていますが、正確にはドイツ風舞曲。
アルマンドは、前奏曲の次に演奏されることが多い。
2012/5/9 誤字修正。ご指摘ありがとうございました!
2020/9/13 改稿
2020/9/22 改稿