陰鬱 5話
一日遅れの更新です
結衣は母親を早くに亡くし、結衣の肉親だった父親さえも、去年起きた事件に巻き込まれて亡くなってしまった。
結衣の両親は、別に大企業の資本家や自立できるまで不自由なく暮らせるだけの財産を遺したわけではなかった。途方に暮れた結衣を救ったのは、父方の弟の古川一樹だった。
古川妻子には、結衣と同じ年頃の息子が居たのだという。しかし、彼もまた去年の事件に巻き込まれて亡くなったらしく、そんな時に結衣が親無し子になったという連絡を受けたのだという。二人は息子を亡くした直後だったのもあり、親を亡くした結衣を引き取る話を二つ返事で承諾してくれた。
元々、二人は温和な性格から大変気さくな面倒見の良い人で、突然現れた結衣を暖かく迎え受け入れてくれた。結衣としても二人には数え切れない恩があり、若干申し訳なく感じる時もあるのだが、良い人ということだけはハッキリと言える。
ちなみに、先程は会社疲れのサラリーマンと表したが、実際の職業はサラリーマンではない。
「それにしても、祐介君は仲裁してくれてありがとね」
「いえ。僕は、当然のことをしたまでですから」
祐介と呼ばれた少年は、こちらと一瞥した後、一樹の方へと向き直る。
「さて、この人集りどうすべきか?」
古川一樹は、自身の胸元ポケットからホログラム型の携帯端末を取り出す。と、周囲の大人達に見せつけるように突き出す。
何もない空間に半透明のホログラムディスプレイが表示される。
『特殊自衛隊所属 古川一樹』
画面に表示されたのは、なんの変哲もない文章だった。白地の画面にデカデカと書かれた黒文字。スタイリッシュなんてへったくれもあったもんじゃない、MS明朝体で書かれたシンプルな文字だった。
「では、僕も」
隣で、祐介がぼそりと呟くと、一樹と同じ携帯端末を取り出し、画面を見せつける。
『特殊自衛隊所属 東野祐介』
現日本政府の大まかな軍事体制について説明しておこうと思う。
まず、理解し易いと思うが。権力の中心――主権を持っているのは、一人一人の国民である。そして、その国民の民意で決定されるのが衆議院と参議院、内閣である。ここで新法案や改訂法案を通すか通さないか、年間の税金の使い道など様々な事が決定されているのは知っていると思われる。一九四七年に日本国憲法が施行されてから、基本的な法案や主権に対する変化は見られていない。
ずっと続いてきた現状維持の風潮の中、たった十年の間で新たな局が設立された。
侵襲対策局。
通称IMO。略称前の正式名称が知りたければ、エキサイト先生に頼んで欲しいので、ここでは割愛させて貰う。
十年前、突如顕れたアグレッサーと敵対するため、防衛省に設立された局だ。ここは、戦争時の資金の遣り繰りや自衛隊幹部の選出が行われている。
そして自衛隊幹部である将官によって、佐官や尉官が任命され、順繰りに曹、士が決められている。自衛隊とは、これらを総括した組織を指す。
最後に、私達、白羽学園の学生の位置付けである。
この学園に在学する生徒達は、自衛隊の下っ端という立ち位置となる。つまり、自衛隊という組織に加わりはしないものの、自衛隊の仕事の一部を受け持っているという、下請け業者という訳だ。
これは噂でしか耳にしない話だが、一部の超絶的な実力を持つ個人に対して、国が特別なライセンスが発行されているという話を聞いたことがある。このライセンスは、その者の意思一つで、誰の命令に指図されることなく、独自の判断で行動できるという話だ。だが、実際にその許可証を確認したことはない為、本当かどうか定かではない。
現在目の前で発生している状況に話を戻すが、少子高齢化が進んだ日本では、一つの職業で幾つかの役割を併合している場合が多い。
そして、それは「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つ」という目的を掲げる自衛隊にも当て嵌る。現在の自衛隊は、本来の目的から離れた――街の治安維持という警察の役割も兼ねており、民間人を救助、もしくは犯罪者を逮捕することを許可されているのだ。
――つまり、古川一樹と東野祐介の二人は、黒谷に暴行を加えた全員に対して逮捕権を行使出来る。
「逃げろ」
誰かが声をあげた。その声が引き金になったのか、その場にいた全員が一目散にその場から離れようと逃げ出す。
「全員に逃げられちゃ、困るよな」
一樹が携帯端末を二、三秒操作すると、彼を中心として半径五十メートルの円状に電撃が迸った。高さ二メートル程の電撃の壁が発生し、逃げ出そうとしていた人達はその場で立ち止まる。
「【高圧電流壁】まともに通り抜けるつもりなら、大怪我を負うくらいは覚悟した方がいい」
一樹は電撃の壁を抜けようとする人達に淡々と助言する。
「ちょっっ」「何だよ。これ」「俺、関係ないんで!!」
一樹によって突き付けられた言葉により、無理矢理にでも電撃の壁に飛び込もうとしていた人達が踏み止まる。
「じゃあ、全員捕まえるから。一応、逃げていた奴全員取り押さえて」
数分後、護送車が到着すると、誰一人逃すことなく皆連行されていった。
もしも赤色灯がなければ、普通のマイクロバスと変わらない外見をしている。その為、観光バスに乗り込んでいる光景に近い。
殆どの人が連行された後、その場には結衣と衰弱した黒谷が残されていた。
「結衣、大丈夫だったか?」
一樹が祐介を連れて現れる。結衣の傍にまで寄ると、心の底から心配している表情を見せていた。
「うん……大丈夫だよ。私は」
黒谷を一瞥すると、元気のない返事を返す。
身体中の至る所に傷跡があり、箇所によっては思わず目を逸らしたくなる程、重症の傷もある。もしも、自分が彼のような傷を負ったなら、痛い、痛いと喚くだけでは済まないだろう。
一樹も黒谷の傷跡を認めると「……そうか」と、微かに呟き、数秒の間、陰鬱な空気が場を支配する。
だが、それもほんの数秒程度の出来事で「――さてと」と、一樹は気鬱な雰囲気を吹き飛ばすよう、勢いよく立ち上がる。
「祐介君。そこの彼、多分証拠撮っていると思うから、俺の端末に送っといて。後、もう危険はないと思うけど、念の為に二人を家まで送ってあげて」
一樹は祐介を置き去りにすると、一人踵を返して去っていた。