第39章:オーラ
宮下は、音楽仲間である陸(神谷)と新宿の隠れ家的な鰻屋でサシ飲みをしていた。
その演奏から数日も経たないうちに、スマホの画面がピコンと軽やかな音を立て、なるかからのメッセージが飛び込んできた。
「せんせ? 今週末空いてる??」
「今週末は陸さんと新宿で飲む約束をしてるよ」
「そっかぁ・・・」
「どした?」
「せんせに会いたいなぁって思って。あ! じゃぁ私も新宿行く!!」
予測の斜め上をいくその突拍子もない提案に、私は思わず目を丸くした。
「陸さんとサシ飲みだよ??」
私が少し困惑してそう返信すると、あの子は悪びれる様子もなく言い放った。
「私は誰か見つけて新宿で飲む! 解散したら合流していい?」
出会った頃の彼女は、どこか自信がなくて影があって、自分の殻に閉じこもるような危うさがあったのに、いつの間にかこんなふうに自分の欲望に向かってまっすぐ突っ走るようになっていた。その予測不可能な行動力には、いつもいい意味で驚かされる。
「まぁ、陸さんだからきっといいよって言うと思うけど」
「やった! じゃぁ決まり! そうする!」
迎えた当日、私は神谷の少し遅れた誕生日祝いを兼ねて、新宿の一角にある古びた鰻屋へと彼を誘っていた。
その店は、香ばしい煙を上げる鰻の串物や、他ではなかなかお目にかかれないどじょうまで味わえる、私のひそかなお気に入りの隠れ家だった。
店の前で待っていると、歌舞伎町の喧騒をすり抜けるようにして、どこか独特の色気を纏った神谷がこちらへ歩いてくるのが見えた。
「あ! 陸さん!!」
私が声を上げると、彼はすぐに私に気づいて大きく手を振った。
「宮ちゃん!!」
「ここかぁ! 宮ちゃんのお気に入りの店ってのは!」
「そうそう! あ! もう予約してあるから入ろ!」
私たちは年季の入った木の階段を上がり、二階席の奥まったテーブルへと腰を下ろした。
「食い物は宮ちゃんに任せた! まずは酒だな!」
席につくなり、神谷はメニューの端から端まで視線を這わせ、真っ先に日本酒の銘柄が並ぶページに狙いを定めた。
「あ! すみません」 「はい! お決まりでしょうか」
「鰻の串物を、かしら、キモ、ヒレ、シロ、短冊、あと骨せんべい、お新香それぞれ二人前下さい」
「はぁーい。お飲み物は如何なさいます?」
「十四代を下さい!」
「お! 流石陸さん! うまい酒知ってるね!」 「はぁーい、かしこまりました。お飲み物と一緒にお通しお持ちしますね」
「ありがとうございます」
しばらくして、濁りのない水晶のように透き通った「十四代」の一升瓶と、涼しげなグラスが運ばれてきた。今宵のお通しは、細かく刻まれた長芋の短冊に、ピリリと爽やかな山椒の実が散りばめられた上品な一品だった。
「とりあえず、お疲れ!」
私たちはカタリと小さくおちょこを合わせ、冷えた美酒を喉へと流し込んだ。
「あ! 陸さん、これ誕生日プレゼント!」
「あー!! わりぃね!! え、開けていい?」 「もちろん!」
「切子のグラスか! 嬉しい!! ありがとう!!」
「陸さんやっぱこういうの好きかなって思ってさ」
「めっちゃすきだよ!! 嬉しいなぁ! ありがとね!」
「いえいえ!」
そこから私たちの会話は、自然と音楽という底知れない海の深みへと沈み込んでいった。
お互いの音楽的な思想や、今の乾いた音楽業界のあり方、この前のライブの感触、これからの展望――それらの熱を帯びた話題のテンポに合わせるように、私たちは次々と冷酒のグラスを空けていった。
一通り音楽の現在地について語り尽くしたあと、神谷はグラスを置き、ふっと目を細めて実に不思議なことを口にした。
「宮ちゃんさぁ、最近なんか違うよな」
「ん?! 何が違う??」
「まず、なんかオーラが違う」
「オーラ?! 俺の??」
「そう。それに合わせて、宮ちゃんのサックスのサウンドも響きが変わった」
私は思わず身を乗り出し、その言葉の芯を面白がるように深掘りした。
「えー! そうなの? それは良くないの?」 「いや、めちゃくちゃいい! 色気が出てる。つまり、宮ちゃんは恋をしてるということだな」
突然放たれたその鋭すぎる宣告に、私は椅子から腰を浮かせそうになるほど驚いた。
「えー!! そうなのか笑 いつ頃にそれ思ったの?」
「んー、下北でのライブではもう雰囲気が違ったかな」
「そうなのか笑 音楽家というのは感性が鋭くて嫌だね笑」
「宮ちゃん、詳しく聞こうじゃないか!」
そこから私は、なるかという存在についての話を渋々、けれど隠しきれない熱を帯びながら語り始めた。神谷は一言一句を聞き漏らすまいと真剣な瞳で耳を傾け、やがてその一連の秘密の成り立ちのすべてを静かに理解していった。
「宮ちゃん、いいじゃん! 音楽には絶対必要な要素さ! 俺は応援する!」
力強くそう笑ってくれた彼の言葉に胸を撫で下ろしていると、不意にテーブルの上に置いていた私のスマホが激しく光を放った。
なるかからの、電話だった。




