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トリスティアの街

この街には常に薄い雲がかかっている。

まるでそれは日の光を浴びないように、影と同化して生きていくことを強いられているかのようだ。


この街は「トリスティアの街」

別名「悲しみ」の街だ。


人々は静かで、活気に満ち溢れているとは到底言い難い。


皆、泣いてはいないが、どこか暗い顔をしている。


「・・・また、落ちてる」


彼女が僕の隣で言った。


道端に落ちているのは、本来人には見えないはずの「落ちてしまった恋」だ。


「落ちてしまった恋」とは伝えられなかった恋、失恋してしまった恋、もうあきらめようと決めた恋など様々だ。


僕は魔女ではないから「落ちてしまった恋」を直接見ることはできない。


ただ彼女が瓶に入れた恋を僕に預けるときに見た瓶はどれも、淡くいろんな色に光っていた。


彼女は150cmあるかないかくらいの身長しかない、黒髪緑目のボブカットの少女だ。


少女とは言ったが、彼女は魔女だから僕の何倍もの時間を生きている。


彼女は魔女だ。

生まれたときから、落ちた恋を拾う役目を持っている。落ちた恋を集める「魔女」と人から喜びを受け取る「聖女」がいる。


彼女には昔、男性の魔女の師匠がいたそうだ。それ以外は教えてくれなかったけども。


僕らは長い間旅をしている。だけれども僕は彼女の名前をいまだに知らない。


別に知らなくてもいいとは思っている。名前なんて何かを識別するだけの記号でしかないのだから。


それでも、彼女を呼ぶ必要があるときは困る。


話が脱線してしまった。


トリスティアの街にたどり着いた彼女は、あちらこちらに恋が落ちているという状況に少しだけ驚いていたが、この街の由来を思い出してすぐさま仕事にかかろうとした。


この街では仕事が多くなりそうだ。


彼女は何もいわず、瓶を取り出した


小さな手で瓶を持ち、それを地面に近づけた。


次の瞬間、そこには淡い光が灯っていた。


「・・・・・・・・はい」


すこしの間の後、彼女はいつものように僕に瓶を差し出した。


すこし疑問に思いながら瓶を受け取ると―――


……軽い。


気のせいだと思おうとした。

この街の空気のせいかもしれないし、

今日はたまたま、そういう恋だったのかもしれない。


僕は何も言わず、瓶を鞄にしまった。


彼女はすでに次の恋を探している。


同じように瓶を構え、

同じように地面へ近づける。


そして、また淡い光。


「……はい」


差し出された瓶を受け取る。


――やっぱり、軽い。


二本目も。

三本目も。


どれも、まるで中身が入っていないみたいだった。


「……ねえ」


声をかけると、彼女は少しだけ動きを止めた。


「この街の恋、いつもこんななのか?」


彼女は答えなかった。


ただ、瓶を持つ手が、ほんの少しだけ強く握られた。


「……本来は」


それだけ言って、言葉を切る。


彼女が言い淀むのを、僕は初めて見た。


「本来は、こんなに軽くない」


瓶を三本受け取ったところで彼女がようやく顔を上げた。


彼女の視線の先にいたのは、道端に立ってこちらを見ていた二十代くらいの若い女性だった。


身なりは整っているが、どことなく落ち着かない様子で、両手を何度も握ったり開いたりしている。


「・・・あの」


彼女は遠慮がちに訪ねてきた


「・・・恋を拾える人ですよね?」


彼女は小さくうなずいた。


その動作を見て女性は少し安堵したような表情を見せた。


「最近、胸の奥が変なんです」

「苦しいわけじゃないんですけど……」

「何か、抜け落ちたみたいで」


彼女は何も言わず、瓶を一つ取り出した。

女性の足元にかざす。


淡い光が、静かに灯る。


「……終わりました」


女性は胸に手を当てて、何度か瞬きをした。


「……あれ?」


首を傾げる。


「もっと、はっきり変わると思ってました」


泣きそうな声ではない。

怒っているわけでもない。


ただ、戸惑っている。


「前より、楽かどうかも……分からなくて」

「でも、嫌な感じはしません」


彼女は答えない。


女性は、少し考えてから笑った。


「……まあ、こんなものですよね」


そう言って、礼も言わずに歩き出した。


その背中は、軽くなったというより、

重さを忘れただけに見えた。


遠ざかっていく女性の姿をふたりで見ていた。


女性の姿が見えなくなったころ、僕は彼女に尋ねた。


「ねえ・・・」


彼女は振り向かない。


「今の人さ」


すこしの間が生まれた。


「恋、ちゃんと拾えたの?」


彼女は答えない。


代わりに、瓶を一つ取り上げて、光にかざした。


その中身は、やっぱり薄い。


「苦しくは、なさそうだったけど」


僕は続ける。


「楽にも、見えなかった」


彼女の手が止まる。


ほんの一瞬。


「……恋は、壊れてる」


彼女はそう言った。


それだけだ。


「でも」


言葉が、喉に引っかかる。


「壊れてると拾えたって、

同じじゃないだろ」


彼女は何も言わない。


ただ、瓶を静かに鞄へ戻す。


「この街では」


しばらくしてから、彼女が言った。


「それで、十分だと思われてる」


十分。それは誰にとっての十分なんだろうと思った。


その言葉が、やけに重く聞こえた。


僕はもう一度、鞄の中を見る。


軽すぎる瓶が、いくつも転がっている。


「……俺は」


言いかけて、やめた。


今は、まだうまく言えない。


その夜、カバンの中からかすかに音がした。




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