第74話 日常の歪み、近づく影
日常回……のようで、そうではない回です。
戦いは起きていない。
けれど、確実に“選ばれる側”として世界に見られ始めた由香里。
守られることに慣れる、という成長。
そして、その裏で動き出す“牙”。
静かな違和感を楽しんでいただければと思います。
朝。
いつもと変わらないはずの登校路。
だが由香里は、わずかな違和感を覚えていた。
(……見られてる?)
振り返っても、そこにいるのは通学中の生徒と、通り過ぎる車だけ。
誰かの視線を感じた気がしたが、確証はない。
「気のせい……だよね」
自分に言い聞かせるように呟き、由香里は歩き出した。
校門をくぐると、いつも通りの風景が広がっている。
笑い声、部活動の勧誘、教師の注意。
――日常。
(守られてる、って……こういうことなのかな)
昨夜の父の言葉が、胸の奥で静かに反響していた。
⸻
一時間目の途中。
由香里は、ふと教室の窓際に違和感を覚えた。
外に、黒い車が停まっている。
校門の外、少し離れた位置。
業者の車にも見える。
だが――エンジンは切られていない。
(……)
一瞬だけ、“アデュー”が反応した。
ほんの微かな脈動。
(危険、じゃない……でも)
由香里はノートに視線を落とし、授業に集中するふりをした。
⸻
同時刻。
新堂製薬・地下。
「動きは?」
達也の問いに、オペレーターが即座に答える。
「対象周辺に、三つ。直接接触はなし」
「すべて“観測”に徹しています」
『マスター。海外経由の通信が増えています』
『明らかに、選別フェーズに入っています』
達也は、静かに息を吐いた。
「……早いな」
机の上には、複数の人物データ。
顔写真はなく、識別コードのみ。
――“牙”。
「久美の配置は正解だったな」
『はい。学校内の安全度は現在、最大値です』
「それでも、ゼロにはならない」
達也は立ち上がり、壁のモニターを見つめた。
「……来るなら来い」
「ただし、線は越えるな」
声は低く、感情は乗っていない。
それが逆に、重かった。
⸻
昼休み。
保健室。
「どう? 調子は」
久美がカルテを閉じながら、さりげなく問いかける。
「うん……大丈夫、だと思う」
由香里は曖昧に笑った。
「“思う”、ね」
久美は視線を上げ、由香里を見つめる。
「何か、あった?」
一瞬、言葉に詰まる。
「……視線、かな」
「気のせいかもしれないけど」
久美は頷き、淡々と答えた。
「気のせいじゃないわ」
「でも、危険でもない」
由香里は目を見開く。
「……え?」
「見られることに、慣れておきなさい」
「今のあなたは――“守る価値がある存在”だから」
由香里は、思わず拳を握った。
「……私、何もしてないのに」
「してるわよ」
久美は微笑む。
「生きてる。それだけで十分」
その言葉に、由香里は何も返せなかった。
⸻
放課後。
校舎を出た瞬間、再び感じる気配。
今度は、はっきりと。
(……近い)
“アデュー”が、警告するように脈打つ。
だが――敵意はない。
むしろ、計測するような感覚。
由香里は足を止め、深呼吸した。
(……大丈夫)
父の声を、思い出す。
――守られることを、覚える時期だ。
その瞬間。
「由香里さん」
背後から、知らない声。
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
年齢不詳。柔らかな笑み。
「道を、尋ねてもいいかな」
久美の位置。
校門。
周囲の人影。
すべてが、頭の中で瞬時に繋がる。
(……これが)
由香里は、一歩下がり――
「すみません。急いでいるので」
きっぱりと、そう言った。
男は一瞬だけ目を細め、すぐに笑顔に戻る。
「そうか。失礼した」
男は、それ以上追ってこなかった。
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その夜。
海外のとある施設。
モニターに表示される、短い報告。
《接触:未遂》
《反応:冷静》
《誘導不可》
しばらくの沈黙の後、文字が打ち込まれる。
《評価、更新》
《対象:適応中》
別の画面に、短い一文。
《次は――別角度から》
画面が暗転する。
⸻
加山家。
由香里は、布団の中で天井を見つめていた。
(……怖くなかった)
それが、一番の驚きだった。
「……おとうさん」
小さく呟く。
返事はない。
だが――確かに、横にいる気がした。
静かな日常は、まだ壊れていない。
けれどその裏で、
“牙”は、確実に距離を詰めていた。
――次の段階は、もう始まっている。
お読みいただき、ありがとうございます。
今回は派手な戦闘も、決定的な衝突もありません。
ですが――物語としては、確実に次の段階へ進んだ回でもあります。
由香里は「守られる存在」として、少しずつ世界の見え方が変わってきました。
怖がるのではなく、受け止め、距離を測り、選択する。
それは父・達也がずっと望んでいた成長でもあります。
そして“牙”は、もう由香里を「観測対象」として認識しました。
次は、もう少し踏み込んできます。
次回、日常はまだ続きます。
引き続き、お付き合いいただければ嬉しいです。




