第73話 由香里の気持ち、久美の決意
第73話です。
今回は大きな戦闘ではなく、由香里の心の変化と、久美・達也といった“大人たちの決意”に焦点を当てています。
静かな日常の中で、確実に次の段階へ進み始める――そんな回になっています。
夕暮れ時。
保健室のカーテン越しに、校庭の喧騒が遠く響いていた。
ベッドに横たわる友人を見送り、由香里は久美と二人きりになる。
「……ほんとに、保健医になったんだ」
「なったというか、戻ったというかね」
久美は白衣の袖を整えながら、どこか懐かしそうに微笑んだ。
「もともと医療系の資格は持ってたでしょ。因子の制御にも必要だったし」
「でも……学校に来るなんて」
「由香里の“日常”が、ここにあるから」
その一言で、由香里は言葉を失った。
守られている。
それも、あまりに自然な形で。
「……ありがとう、久美姉」
「礼を言われるようなことじゃないわよ」
久美は由香里の頭に、そっと手を置く。
「ただし。何かあったら必ず私に話しなさい。無理は――」
「しないよ。もう」
即答だった。
その瞳には、かつての怯えはない。
だが同時に、覚悟の色がはっきりと宿っている。
久美はそれを見て、小さく息を吐いた。
(……達兄に、似てきた)
⸻
同時刻。
新堂本社・地下セキュリティフロア。
モニターには、複数の映像と解析データが並んでいる。
「ここ三日で、不審なアクセスが七件」
「うち二件は明らかに国外経由です」
報告を受けながら、達也は腕を組んだ。
「動きが早いな。しかも……雑だ」
「試している、ということか」
『マスター。おそらく防壁の限界を探っているのでは』
割り込んできた“セイラ”の分析に、達也は小さく頷く。
「尾行は公安。正樹を狙ったのは闇バイト。そして今度は直接こちらにアクセス……」
「タイミングが良すぎる」
違和感が、確信に変わりつつあった。
「俺たちが戻ったことで、相手が探りを入れてきてる可能性が高いな」
『実力を試しているか、あるいは……マスターと由香里様を“知っている”存在か』
アルバンから頼まれたユグニスの捜索。
それとの関連も否定できない。
「達也様。昨日尾行してきた公安の車が近くにいます。発信機にはまだ気づいていません」
「どこだ?」
「裏手です」
達也は少し考え――決断した。
「社用車で出る」
⸻
地下駐車場。
“セイラ”に指示を出し、車に乗り込む。
一度正面玄関へ回り、後部ドアを開閉してから発進。
いつもの帰宅ルート。
公安の車は、ついてこない。
首都高横羽線から第三京浜に入った、その時。
追越車線から黒いSUVが割り込み、速度を落とした。
次の瞬間――
後部座席のドアガラスに着弾。
同じ箇所に、立て続けに数発。
「……M4か。軍用だな」
「そろそろ限界だ。“セイラ”、自動操縦。サンルーフを開けろ」
達也は運転席と助手席に足をかけ、サンルーフから身を乗り出す。
空気抵抗は、正樹の装備が完全に打ち消していた。
正樹特製の弓――前回より大型の仕様。
達也は静かに弦を引く。
「悪く思うな。立ち向かってきた時点で、運がなかった」
放たれたのは、矢ではない。
圧縮された空気そのもの。
音も、痕跡も残さず――
後部ドアガラスが砕け散る。
倒れ込む人影。
「任務完了――っ!」
その瞬間、引き金を引いた指に激痛が走った。
「……指が、ない?」
困惑のまま、男は撤退を選ぶ。
だが――遅かった。
脱出口へ向かう途中、脚を撃ち抜かれ崩れ落ちる。
「狙撃音が……ない……?」
意識が落ちる直前、首筋に冷たい感触。
静香の針だった。
数秒後、すべての痕跡が消える。
達也は前方の車に、もう一矢を放つ。
攻撃ではない。発信機の取り付け。
『マスター、発信機作動を確認。追跡しますか?』
「いや。自動操縦解除。次のインターで降りる」
インターを降り、再び第三京浜へ。
車は新堂本社へと戻っていった。
かなりの準備をしてきた相手だった。
だが――収穫もある。
(正樹の弓、実戦でも問題なし)
帰ったら礼を言おう。
達也は、そう思った。
⸻
夜。
加山家。
夕食後、由香里は自室でノートを広げていた。
だが、勉強ではない。
――リンク、起動。
“アデュー”を通して、“セイラ”へ。
「……おとうさん」
少し遅れて、返事が来る。
「どうした、由香里」
「久美姉のこと……知ってた?」
「まぁな」
即答だった。
「守りが一段、厚くなった」
「……私、守られてばっかりだ」
沈黙。
「それでいい」
達也の声は、揺るがない。
「今はな」
「今は?」
「守られることを覚える時期だ」
「それができない奴は、誰も守れない」
由香里は、ゆっくりと息を吐く。
「……でも」
「来る時は来る。由香里が“立つ側”になる時が」
“アデュー”が、静かに脈打つ。
「その時は――」
「俺が横にいる」
短く、だが何より重い言葉。
「……うん」
由香里は目を閉じ、深く頷いた。
⸻
その夜遅く。
誰にも気づかれず、一通の暗号通信が海外へ送信される。
《対象:YUKARI KAYAMA》
《評価:想定以上》
《保護網:異常に厚い》
《直接接触:非推奨》
数秒後、返信。
《了解》
《フェーズ2へ移行》
《“牙”を使え》
画面が暗転する。
静かな日常の裏で――
選別は終わり、次の段階へ。
それを、まだ誰も知らない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
「守られる側」としての由香里、「守る側」として動く大人たち。
水面下ではすでに選別が始まり、物語はフェーズ2へ進みます。
次回から、日常に少しずつ“歪み”が混じり始めます。




