第6話 加山家の人々
【第6話 加山家の人々】
学校での出来事を胸に抱えたまま、由香里は家に帰る。
そこで待っていたのは、明るく破天荒な姉・久美、そして母と父。
血のつながりを超えて結ばれた家族との、温かくて少し騒がしい夕暮れ。
けれどその微笑みの裏には、誰にも言えない“痛み”が潜んでいた——。
異世界最強の父と、現代で強くなろうとする娘。
家族の絆が静かに灯る、癒しと伏線の一章です。
『ただいま』
玄関のドアを開けると、家の中の空気がふっと和らいだ気がした。ほんの少し震える声で、でもできるだけ明るく響くように。あんな出来事の後でも、家では“普通”を演じなければならない。心配をかけたくなかった。家族には、絶対に。
「由香里ちゃんおかえり!」
2階から勢いよく駆け下りてきたのは、私の4つ上の姉、久美。東大の医学部に通う才女でありながら、毎日1回は必ず全力で抱きついてくる、愛情の塊のような人。だけど信じられないかもしれない。かつて“金色の弾丸”と呼ばれ、地元のヤンキーすら恐れて近寄れなかった存在だなんて。
『久美姉、ただいま。って、抱きつくなー。息できないってば……』
「だって由香里ちゃん、今日もかわいいんだもん。ところでさ、なにそのジャージ? 体育のあと?」
不意に視線が鋭くなる。
『う、うん。掃除の時にちょっと水被ってさ……』
そう答えながら目を逸らす。これ以上は聞かないで、という私の気配を察したのか、姉は一拍置いてからふっと笑った。
「そっか、ドジしちゃったんだね。じゃあ早くお風呂入って温まって! 風邪ひいちゃうよ。」
そのままカバンをひょいと奪って、脱衣所まで持っていってくれた。パワフルで、天真爛漫で、でも本当は誰よりも空気が読める、そんな姉だ。
湯船に体を沈めると、今朝の出来事が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。身体の芯に残る冷たさが、あの水ではなく、心に刻まれた痛みだと気づいた時、不意に涙が溢れた。
『……ありがとう、久美姉』
「どういたしまして!」
声に驚いて振り向くと、いつの間にか裸の久美姉が湯船に入ってきていた。
『ちょっ、なんで入ってくるの!?』
「久しぶりに一緒に入りたくなっちゃって~」
そう言って後ろから抱きついてくる。柔らかな胸が背中に当たって恥ずかしいけど、どこか安心するのが悔しい。
「由香里ちゃん、また大きくなった?……うーん、今はDってとこかな? もうちょいでEカップかも!」
『ちょっ、久美姉! 触らないでよ、変態!』
「何よ~、姉妹で健康チェックしてあげてるだけじゃん♪ 私なんてFあるんだよ。すごいでしょ?」
『自慢すんなーっ!』
そんなふざけたやりとりの最中――
「あなた達は姉妹で何をやっているの?!」
浴室のドアが勢いよく開き、母の厳しい声が飛んだ。裸のままの私たちは固まり、すぐに事態の深刻さを察した。
「お父さんがもうすぐ帰ってくるでしょ。早く出なさい!」
『はーいっ!』
2人して声を揃えて返事し、慌てて体を洗って湯船から飛び出した。
母は、10年前、今の父と再婚するまで女手一つで私を育ててくれた。父が連れてきた久美姉とは血は繋がっていない。でも、5才上の久美姉は出会ったその日から私に優しくしてくれた。最初はその好意すら怖かった。実の父を亡くして心が壊れかけていた私は、他人の優しさを信じる余裕なんてなかったから。
けれど、どんな時も久美姉は私のそばにいた。泣きたい夜には黙って一緒に泣いてくれた。今では誰よりも信頼している、かけがえのない姉だ。
⸻
髪を乾かし、部屋着に着替え、リビングに戻ると――
「ただいま~」
玄関のドアが開いた。父が帰ってきたのだ。
『おかえりなさーい!』
私と姉は、まるで約束したかのように同時に部屋から飛び出して、玄関に駆け寄った。
「おっ、元気なプリンセスたちがお出迎えとは……こりゃ、父さん感激!」
「お父さん、今日もお疲れさま!」
久美姉が父にハグ。私も少し恥ずかしいけれど、そっと腕を添えた。
「……久美、またでかくなった?」
「触ってみる?」
「コラー!!」
すかさず母がキッチンから現れ、鋭い視線を父に投げかけた。
「いいからお風呂入って! 久美は台所手伝って。由香里は洗濯物!」
まるで軍隊のようにピシッと指示が飛ぶ。私たちは「了解しました!」と直立不動で返事し、それぞれの持ち場に向かう。
私の担当は洗濯物。4人家族の分だから結構な量だけど、日課になっているので苦ではない。
⸻
「♪最後の雨に濡れないように〜♪」
父の鼻歌が風呂場から聞こえる。“さらば恋人”で始まり、“I LOVE YOU”、“涙のリクエスト”……そしてラストは“最後の雨”。
『あ、そろそろ出るタイミングね』
このルーティンのおかげで、ビールを冷やすタイミングがバッチリなのだ。
「お父さん、今日もお疲れさま♪」
久美姉が素早くグラスにビールを注ぐ。私は洗濯物をたたみ終えて慌ててやってくる。
『ずるーい! 今日のお酌は私の番だったのに!』
「遅かった方が悪いの♪」
「まったく、両手に花で父さんは幸せねぇ」
母が大皿の唐揚げを運んできた。
「うわっ、お母さんの唐揚げだ! だーい好き!」
姉妹が父から料理に集まり、お父さんが嬉しそうに笑う。
「母さんの唐揚げには、誰も勝てんなぁ……」
「いただきます!」
全員で声を揃えて手を合わせた瞬間、家の中に安堵の光が満ちた。
実父を亡くし、絶望の底にいたあの日。母と私を救ってくれたのは、今の父だった。そして、姉となった久美。血のつながりを超えて繋がったこの家族は、私にとってなにより大切な宝物。
『この幸せが、ずっと続きますように……』
由香里はそう願いながら、いつもより少しだけゆっくりと、温かい夕食を口に運んだ。
お読みいただきありがとうございます。
今回は「加山家」の日常を中心に描きました。
由香里が抱える心の傷と、家族の温もりの対比を意識しています。
久美姉の奔放さ、母の厳しさ、父の優しさ──
そのどれもが、彼女の「生きる力」につながっていきます。
次回、第7話では、再び学校での現実が由香里を試します。
温もりと痛み、その境界が揺れ始める展開をお楽しみに。
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