第10話(前編) 激変の日々 ― 朝の静寂とざわめき ―
昨日の“事件”があった翌朝。
由香里の周囲は、何事もなかったかのように平穏を取り戻していた。
だが、その静けさこそが不気味だった。
隠された真実、改ざんされた出来事――そして紅音が動き出す。
由香里の日常が、少しずつ形を変えていく。
朝。
携帯のメロディーが鳴り響く。
篠崎愛の「メモライズ」だ♪
「……あ、ヤバッ!」
由香里は布団から勢いよく飛び起きた。
どうやら今日は一曲目で起きられたようだ。いつもは三曲目の「ドリームシフト」(Silk)でようやく目を覚ます。ちなみに二曲目はSCREEN modeの「極限Dreamer」。我ながらマニアックな選曲だ。
パジャマを脱ぎ捨て、制服に袖を通し、カバンをつかむ。
洗面所で顔を洗い、歯を磨き、髪を手早く整えると、リビングへ駆け下りた。
「おはよう!」
由香里は明るく声をかけた。
父・正樹、母・由香、姉・久美――家族全員がそろっていた。
「今日は早いじゃん」
久美が由香里の席にパンとコーヒーを置く。
「一番お寝坊さんには変わりないけどね」
母・由香が皮肉を込めて熱々のスープを注いだ。
「じゃあ全員そろったな。いただきます」
父・正樹の号令に、
『いただきます』と家族全員の声が重なる。
朝食を終えたあと、コーヒーを飲み干した久美は大学へ、正樹は会社へ。
由香里は自転車にまたがり、学校へと向かった。
「気をつけて行ってらっしゃい」
玄関から由香の声が響く。
父の車が右へ曲がり、由香里の自転車は左へ進む。
ハンドルを握る手に力がこもる。
――昨日の出来事が、まだ胸に重く残っていた。
「由香里、おはよう」
背後から麻里の声。自転車で追いついてきた。
「おはよう、麻里」
由香里も笑顔を返すが、そのあと二人は何も話さなかった。
互いに言葉を探して、見つからなかった。
⸻
学校に到着し、自転車を止めて教室へ向かう。
教室のドアを開けた瞬間――
驚くほど“日常”がそこにあった。
日直が黒板に予定を書き、生徒たちは笑い、雑談し、読書し、授業の準備をしている。
まるで昨日、何も起きなかったかのように。
由香里と麻里は黙って席につき、教科書を開いた。
ガラッ。
教室のドアが開き、担任の小田先生が入ってくる。
「起立、礼」「着席」
日直の号令も、いつも通りだった。
「みんな聞いてくれ。真田と水本だが――昨日トイレで水道管が破裂して、個室のドアが吹き飛んだ。そのとき近くにいた二人が下敷きになって病院に運ばれた。命に別状はないが、しばらく欠席になる」
淡々とした声。
まるで“事故”として処理された報告。
授業予定を伝えると、小田先生はそのまま教室を出た。
あまりに見事な事実の改変。
――さすが斉藤学年主任。いや、新堂社長の“愛人”の手腕だ。
由香里が皮肉を胸の奥でつぶやいたとき、昼休みの鐘が鳴った。
⸻
この学園には食堂があるが、弁当持参でも構わない。
今日は天気がよく、中庭で昼食をとることにした。
「今日もお母様特製の“満腹弁当”だね」
麻里が笑いながらのぞき込む。
「そっちはまた豪華だね」
由香里も麻里のお弁当をのぞき込む。
色とりどりのおかずに、控えめな白ご飯。
「少量ずつ作るのが大変だって言ってた」
麻里は笑った。
その言葉に、由香里は(こんなお弁当を毎日作ってくれるお母さんってすごいな)と心の中で思った。
食べ終えて一息ついたところで――
紅音が姿を見せた。
「由香里。ちょっと来てくれる?」
「……わかった」
麻里が心配そうに声をかける。
「由香里、大丈夫?」
「うん。大丈夫」
由香里は笑顔で答えた。
紅音と並んで歩き出す由香里。
――今までなら、こんな光景はあり得なかった。
一人残された麻里は、追いかけようとして――やめた。
その背後に、気配を消していた“影”が一瞬だけ現れ、すぐに消えた。
麻里は少し悲しげにお弁当を片づけ、静かに教室へ戻っていった。
何も変わっていないようで、すべてが変わっていた。
由香里と麻里、そして紅音。
静かな学園の中で、それぞれの心に異変が芽生え始める。
次回、紅音が語る“真実”が、由香里を新たな段階へと導く。




