05 語るは夢 (男子中学生と売れない作家)
この港町には小中学校はあれど、高校はない。ここから一番近い高校は中心部にあるが、簡単に通えるような場所ではない。下手をすれば三時間は余裕だ。だから誰もが、高校へと進学するときは必ずこの寂れた港町を出て行ってしまう。
そして戻ってくるか、それとも出て行ったままなのかは、この港町の状況を見ればすぐに分かるほどだ。
高校受験を控えている大里 卓も例外ではない。進学先はもちろん中心部にある高校だ。一応滑り止めも選んでいるし、好きなところに行けば良いと両親から言われているが、進路なんてちゃんと考えたことなんて無かった。もちろん今も。
ただ、それでも夢はある。高校へ行って、やりたいこともある。けどももっと大きな夢だ。
「先生さぁ。もっとこう、かっこ良い話書いてよ。眠くなるじゃん」
「かっこ良いって……。ジャンルで言うと、どういうの何ですか」
「流行ってるじゃん。俺、最強っていう感じの」
「ああ、あれですか。僕、苦手なんですよね」
「なんで」
「なんでって。僕は人の苦労が好きなので」
「苦労が好きとか意味分かんねぇ」
「はいはい。そうでしょうね。後、ここはコンビニであって、おしゃべりする場所じゃないんですよ」
「良いじゃん。どうせ暇なんだろ?」
「……確かにそれはそうですけどね?」
それにだ、目の前にいる作家先生は元々都会に住んでいたというのだ。
わざわざどうしてこんな寂れてダサい港町へと外からやってきたのかと、学校の誰もが作家先生について話をしていた。
おかしな人がやってきたぞ、と。
娯楽の無いこの港町にとって、作家先生はまさしく娯楽の一つだった。
ちょっと。いや、だいぶ、大げさに物事を話すが、どの話も何故か妙に引き込まれてしまう。それにいつも使う言葉だって、妙に聞きなれないものばかりで何故か聞いているうちに胸の内がくすぐったくなってしまう。
卓はほとんど本を読むことはない。いつもスマートフォンアプリのゲームだったり、人数の少ないサッカーをしたりと遊んだりしている。くわえて授業中なんてよく居眠りをしてたたき起こされるのがいつもの事だ。おかげで成績はギリギリ。本当に受かるのか、と何故か担任が泣きそうな顔をしている始末だ。
いや、たぶん大丈夫。たぶん。やる時はやるから。
そんな卓だが、つい最近は小説を読むことが増えた。小説と言っても、コピー用紙に大き目の文字が印刷されたものだ。
一緒に住んでいる祖父は、見た目の通り堅物強面頑固爺の漁師だが、趣味は読書だ。祖父の部屋には大量の本が所せましをつめられていて、幼い頃は本なんて興味がないくせに勝手に入ってはぼけっと眺めていたが今は一切関係ない話だ。
読書好きの祖父は、なんとこの作家先生が作家と聞くや否や、誰よりも先に会いに行き、小説を読ませろと言ったらしい。それを聞いた時、本当に何をしているのかと両親と共に頭を抱えたのは記憶に新しい。
とはいえ、どんな話をしたのかは卓は知らないが定期的に作家先生が書いた短編の小説をもらい、あの部屋でじっくりと読みふけっているのだ。それはもう何度も何度も、飽きることなく。
だから卓はつい、気になったのだ。
何せここには娯楽がない。だから僅かながらに好奇心が湧くのも仕方がないことだと卓は思いたい。
全てを呼んだわけではない。読めそうな、なるべく短いのを借りて少しだけ読んでみた。そしたらなんだかんだ一つや二つはすぐに読み終わってしまったのだ、あっさりと。
それを見た祖父ときたら、じゃあ次はこれを読めと言うように渡してきたが、なかなかの長さだったからまだそれは読んでいない。正直、途中で本当に寝た。祖父は呆れていたが、何も言わなかった。次は読み切ってやるつもりだ。
作家先生の小説は、まるで味のないご飯のようだと、卓は思った。噛んでも噛んでも、味がよく分からないものだった。
別につまらないとは思っていない。ただ、どうしても読み終わった後に感じるものは無に等しいものだった。
これの何が面白いのか、と祖父に尋ねた。祖父は何か悩むように顔をしかめ、一つ息をついた。そして外に行ってこいと一言、卓に向けてきた。
遊びに行ってこいと言う意味ではないのはさすがに分かった。
本当に、この小さな港町の外へ行って来いという意味だった。
「俺さ、この町から出ていくつもりなんだよ」
「ああ、はい。高校は確か、中心部の方なんでしたっけ? 聞きましたよ、受験勉強をしていないって」
「や、やっているし! って、そうじゃなくって!」
受験勉強はやる。けど、今日はやらない。いや、本当にやらないとやばいかもしれないと現実から目を逸らしているところはあるが。
けど今はそれよりも大事な事があるのだ。
「都会に行くつもり」
「……都会、かぁ」
作家先生は何故か顔をしかめ、視線を落とした。
「都会ってさ。やっぱりいろんなのがあるんだろ? でさ、こういう奴らもたくさんいたりするんだろ?」
卓は作家先生のそんな様子には一切気づかず、手元のスマートフォンを操作して、SNSに投稿されている動画を見せた。視線を上げた作家先生はああ、と無機質な声を小さく漏らした。
「いますよ。本当にそこらへんに」
「へぇ!」
すごい、本当にいるんだ、と卓は胸のうちを膨らませ笑みを浮かべた。が、そこでようやく作家先生の表情は重く、硬いものなことに気づいた。
作家先生はわざわざ、こんな寂れた港町へとやってきた。何故やってきたのか。祖父に聞いても、両親に聞いても知らないと答えられるばかりだ。逆に学校の奴らからは、卓に聞いてくるのだから、同じく知らないと答えるばかり。
たぶん、本当に誰も知らないのだ。誰かしらが知っていたら、すぐにその話は広まるのは間違いない。それが広がっていないのだから、作家先生はそれだけはずっと内緒にしているのは確かだった。
「……都会ってさ。何があんの?」
SNSを見れば、だいたいは何があるのかぐらいは分かる。今はどんなものがあっちで流行っているのか、なんてことも。
けども、と卓は思うのだ。
これは本当に、同じ現実なんだろうか、と。
「何でもあります。けど、何もありません」
「あ? 意味わかんねぇ」
作家先生は何故か、困ったように笑っていた。都会に帰りたいからとか、そういうのではなさそうだった。
どうしてそんな顔をしているのか分からずに呆然と卓は立ち尽くしていると、作家先生は何を思ったのかレジ横に置いてある蒸し器から肉まんを一つ取り出し、袋に入れる。それから財布を取り出し、会計を済ましている。
一体何をしているのか。と卓は作家先生の行動をぼうっと眺めていると、会計が終わった肉まんが入った袋を差し出された。
「ほら、これ奢ってあげるから。おうちでよぉく考えるんですよ?」
「……なぁ、これって子供扱いだよな?」
「よく分かりましたね」
作家先生はにっこり笑って、無理やり卓へと会計を終えた熱々の肉まんを押し付けてきた。
夕暮れ色が海を染めている。
その瞬間の景色を卓は好んでいた。いつも深い青いばかりの海が、この時ばかりは一面の橙になるのだ。光の粒がいくつも反射して、魚の鱗のようにも見える。もう何枚目になるのか分からない写真を撮る。
撮った写真を一瞬だけ確認した後、ポケットにしまって大口開けて肉まんにかじりついた。舌が火傷しそうなほど熱く、こんなことなら冷たいジュースも一緒に奢ってもらえば良かったと思ったが、ジュースなんて完全に子供ではないかとすぐに気づいた。
「……いや、ジュースってうまいし」
高校生になれば全員がこの町から外に出る。
その時、誰もが一人暮らしか、寮生活を始める。家事も料理も、ちゃんとやらないといけなくなる。
いつまでも子供のままではいられないことぐらい、卓は分かっていた。
「勉強しないとだよなぁ……」
そう、無事に高校生になれればこの港町から出れる。その為にはまず、高校受験に合格しなければならない。念のための滑り止めの私立の高校にはほぼ確実に合格をもらえるわけだが、なんとなくそこは避けたい。
いい加減に受験勉強用のテキストを進めなければいけないが、あれを目の前にするとどうしても眠くなるのだ。本当に、心の底から勉強なんてしたくはない。しかし近頃は祖父と作家先生の小説のおかげで少しだけ国語だけは少しだけ分かってきたような気がする。漢字はまだ覚えきっていないが。
「……腹減った」
とっくにもらった肉まんは食べ終えたが、そのせいか余計に腹は空腹を訴え始めた。
今日のご飯はなんだったけかと、卓は朝に母親がなんと言っていたかと思い出そうとした。が、それよりも先に、その香りが家から漂って来ることに卓は気づいた。
無意識に卓の足は速くなる。そう、この香りと言えば、あれに決まっている。
「やった、カレーじゃん!」
玄関開ける前から漂う好物の匂いに、卓はぱっと表情を輝かせておもいきり玄関の扉を開けた。
「ただいまぁ! 腹減ったぁ!」
卓の大きな声に、ひょこりと顔を出した父親がおかえりぃと返してくれた。かと思うと、台所にいるであろう母親がもうすぐできるわよぉと言ったのが聞こえてきたので、卓は慌てて靴を脱いで家の中へと入っていった。
「都会に行きたいんだ」都会を知る売れない作家兼コンビニ店員の男に、港町の少年が決意に満ちた声で言った。しかし男は困ったような顔を見せた。「よぉく、考えなさいね」一体何を考えれば良いのか分からず、少年は熱々の肉まんを受け取って、夕空の下、家路を急いだのだった。今日はカレーだった。




