28 掠れたフィルム (写真家とネタ探し中の作家)
目の前にいる変な男。いや、変な男と言っては失礼だが、なかなかに個性的な男だと染岡 誠は思う。
都会からわざわざ辺鄙で寂れた小さな港町に引っ越してきた佐古 直仁という作家は、誠の前に少々色の濃い茶を差し出した。
「いやぁ、すみません。汚い部屋で」
「いや、綺麗に片付いているじゃないですか」
「物がほとんどないからですね」
誠がいるのはこの町に数少ないアパートの一室だった。昔ながらの和室で、六畳一間。中央には古めかしいちゃぶ台。風情しかないこの部屋は、都会暮らしをしていた直仁にとっては好ましいものなのだろうと、誠は勝手に解釈した。
用意してくれた茶を一口すすれば、やはり見た目の通りでよく目が覚めるような味だった。
「あ、煙草を吸う時は換気扇の下でお願いしますね」
「ええ、もちろん」
「けっこう煙草、吸われているようですけど。禁煙はしないんです?」
「挑戦してみたんですけどね」
思い出したように言った直仁に、誠は小さく肩をすくめて見せた。
直仁はこの町唯一のコンビニでアルバイトもしている。だから直仁がそこそこの喫煙者であるということはすでに知っている事実だった。そうでなくても、この町にいる同性の幼馴染からは煙草臭いだなんだといわれているくらいなのだが。
そんなことを考えていれば、つい無意識にジーンズのポケットに適当に突っ込んでいる煙草に手を伸ばしかけていたことに誠は気づき、慌ててまた苦い茶を一口すすった。
「にしても、取材させてくれるとは思いませんでした」
「取材って。ただの世間話みたいなもんでしょ?」
「作家にとって、ただの世間話でも取材の一つになるんですよ。まぁ、売れないがつくんですけど?」
「自虐されると反応に困りますって」
つい顔をしかめてしまう誠に、直仁は愉快と言わんばかりに笑みを深めた。そして直仁はそのまま、ちゃぶ台に小さく身を乗り出し、反射的に誠はわずかに身をのけぞった。
「ふふっ。良いですねぇ、有名写真家の染岡さんからお話が聞けるだなんて。ここに引っ越して本当に良かったです」
「……本当にそうは思っていないでしょう?」
「思っていますよ。ちょっとだけ」
何故だろうか。誠は自分の判断を誤ったような、そんな気がしてきた。
きっかけは直仁からだった。
本当に真正面から写真家という仕事について、取材をさせてほしいと言われたのだ。ちょうど誠がコンビニで会計をしていた時に。
普段はこういったものは断る主義だった誠だが、わざわざ都会からやってきた訳アリの作家であり、その顔があまりにも情けないものだった。
さらに言うとだ。この作家はどうやらこの町の人々にだいぶ好かれているらしい。何もないこんな寂れた小さな港町に住む、とくに小さな子供達にとって、作家の言葉一つ一つが輝いているかのように人気なのだとか。
だから誠は直仁の懇願に、頷いたというわけだ。それでもだいぶ渋ったけども。
しかし存外、作家という職業をしている直仁の話というのはとても面白いものだった。取材というからにはメモ帳片手にあれやこれや聞かれるばかりかと思ったが、実際はただの雑談の延長線。
大袈裟で役者めいた語り口調と大きな動作を見せながら話す直仁に、誠はついつい同じように大袈裟に今まであったあれこれを話をしてしまう。するとどうだ、直仁はまた大きな反応を見せ、笑ったり、驚いたりとくるくると表情を変えるのだ。
話し始めてからどれほど時間が過ぎ去ったか。気付けば窓から差し込む光は橙の色が滲み、横から差し込み始めていた。茶がいれられた湯呑はもうすでに空。しかしあまりの楽しさに、いつもなら絶え間なく吸っていた煙草さえも忘れてしまうほどだった。
「いやぁ、なかなかに興味深い話ばかりですね」
「こんな話がです?」
「当たり前じゃないですか」
直仁は意味が分からないと言わんばかりに顔をしかめ、大きくため息をつく。そしてちゃぶ台の上に並べられた誠が持参してきた写真やカメラを見つめ、微笑みを深めた。
「しかし良いですね、フィルムカメラ」
「分かります?」
「ああ、いえ。僕は写真のことはちっとも分かっちゃいないんですけどね?」
興味があるような反応を今までしてきたというのに、直仁はきっぱりと興味がないと言わんばかりに否定してきた。
確かに今日一日ぐらいでカメラに興味が出てくるとは思ってはいないが、それでも多少の建前ぐらいは欲しかったとつい誠は口元を歪めそうになった。
そんな誠の心情なんぞ分からないと言わんばかりに直仁は視線をカメラへ。正しくは、カメラ横に置かれたフィルムへと向けた。
「フィルムですよ。良い、実に良い。ここには多くの思い出が詰まっているのでしょうね。そして染岡さんは多くの思い出とともに旅をしてきた。ああ……、なんて美しい」
うっとりと。本当に心の底から思っているのであろう、わずかに熱がこもった直仁の言葉が誠の胸の内を大きく抉ってきたような気がした。
ぞっと、した。
まるで、胸の内を見透かしているかのようなその物言いに、えも言われぬ恐怖が広がった。
「……そう、でしょうか」
「僕がそう思っているだけですよ。他の人はまた違うかもしれませんがね」
必死に呼吸を整え、早まる鼓動に気づかぬふりをして誠は必死に口元を上げた。目の前の作家は肩を揺らしながら笑い、腕を組んで天井を見上げた。
「うぅん。良い話が後少しで思いつきそう……」
ぼそり、とつぶやく作家の声を耳にしながら、誠は持参した荷物をさりげなくまとめる。そして、その中にある一番古いフィルムだけをそっと鞄にしまい込んだ。
今時フィルムカメラなんて時代遅れだ。それでも手放せず、共に生きてきた。「思い出と共に旅をしてきたってことですね」現像した写真は手渡し、残されたフィルムは全て自分の手の中に。楽し気に笑う痩躯の男に胸の内をえぐりだされ、無意識に一番古いフィルムを男から見えないように隠した。




