26 幼馴染 (失恋男と片想い女)
「来るの遅くない?」
「うるせぇな」
倉本 英輔は、こんな寂れた小さな港町にある一軒の古書店へと足を踏み入れた。とすぐに、中にいた店主であり、そして元同級にして英輔の幼馴染でもある野崎 澄が顔をしかめて言い放った。
もう十年以上会っていない気がするというのに、あの頃と変わらない澄の態度と言い方に、英輔もまたあの頃と同じように言い返した。
「まぁったく、本当にどこにいたの? こんなに小さい町だっていうのにこんなに会えないだなんて」
「なら家に来いよ。だいたいいるし」
「引きこもってんじゃないわよ」
「ここで引きこもってる奴が何言ってんだよ」
「私のお店ですけど?」
それはそうだ。つい売り言葉に買い言葉の流れで余計なことを言ってしまい、英輔は変な気恥ずかしさを耐えるように何気なく店内を見渡した。
古本ばかりが並ぶここは、一歩中に入っただけで独特の匂いに包まれる。いい匂いとは欠片も思わないが、少しの懐かしさを覚えるのは、学生の時によくここに入り浸っていたせいもあるだろう。
「変わんねぇな、ここ」
「別に変に変えなくても良いでしょ」
「……そうだな」
並んでいる本の種類ぐらいはさすがに変わっているだろう。けども使われている棚や並び方は、あの頃と何一つ変わってはいなかった。
「座りなさいよ、せっかく来たんだし。お茶飲む?」
「悪い」
「良いわよ。暇だったし」
澄が差し出してくれた折りたたみのパイプ椅子に座り、英輔は知らず知らずのうちに詰めていた息を吐き出した。その間に澄は一度奥に引っ込み、すぐに湯呑を片手に戻ってきた。
無骨な比較的大きな湯呑。いかにも長話に向いていそうな大きさだった。
あの頃はこんなものを見たことがなかったが前から会ったのだろうか、なんて英輔は考えつつも一口、茶をすすった。
「澄さ」
「何?」
「なんでここに戻ってきたんだよ」
幼馴染相手に、今更躊躇することも遠回しに言う事もない。思ったことをそのまま英輔はそのまま喉から出せば、澄は不愉快だと言わんばかりに顔をしかめた。
「合わなかったのよ、単純に」
「けど、憧れていたじゃねぇか」
「知らなかったからよ、何も」
どこか遠くを見つめる澄に、英輔は口をつぐみ視線を落とした。
英輔も、外が本当はどういうものなのか知らずに飛び出した身だ。何も言えることはない。合う合わないなんて誰にだってあることだ。そして澄は本当に外の世界に合わなかったのだろう。
何も変わらないこの店内に、何も変わらない空気をまとう澄は、多くの変化を外で見てきた英輔にとっては眩しい存在になってしまっていた。
そしてそれで良かったと、つい安堵してしまったことに英輔はほんの小さく口角を上げた。
「あいつに会った」
「そうみたいね。年に一回ぐらいは帰ってくるのよ。知ってた?」
「聞いた」
英輔の幼馴染は、澄の他にもう一人いる。こんな場所からよく埋もれずに出てきたものだと思うくらいに有名になった写真家だ。ずいぶんとあっちも歳を同じく重ねたわけだが、不器用さはあの頃と変わらなかった。
国内、国外へと飛び回っているあいつは、休暇のたびにここへと帰ると聞いた。
都会にも家があるというのに、わざわざ帰ってくるだなんて聞いた時は意味が分からなかった。しかしあの横顔を目にしてしまった時、英輔はなんとなしに幼馴染として察してしまったのだ。
「連絡、取り合ってんのか?」
「まさか」
「連絡先は知ってんだろ。さすがに」
「知らないわよ」
澄もまた、あいつの連絡先を知らないらしい。なんて薄情な奴だろうか。いや、それはお互い様かと英輔はくだらない考えを茶と一緒に腹の奥底へと流し込んだ。
「俺が言うのもあれだけどよ。お前等、本当に変わんねぇな」
「あら、立派な大人の女性になったと思うんだけど?」
「ちげぇよ」
この中もそうだが、その中にいる澄もまた、時が止まってしまったかのようだった。年齢だけは変わっているし、それに応じた見目だって多少の変化はある。だが、本当にそれ以外が何一つ変わってはいない。
そう、その中身も。
「言ってねぇのかよ」
その一言で、澄は英輔の言葉の意味を理解したらしく、大きく顔をそむけた。
「……言えるわけないでしょ」
「はあ? あんなに意気込んでたってのにか?」
「うっさい。追い出すわよ」
店主に追い出されてしまっては笑い者になる。しかも相手は幼馴染。すぐにこの小さな町に話が広まり、いい話のタネになるのが目に見えている。
英輔はすぐに黙り、茶をまた飲みつつ昨日も話をしたあいつの姿を思い出す。
あの頃と変わっちゃいない。本当に、何一つ。
「……あいつも馬鹿だなぁ」
ついうっかり、こぼれてしまった言葉に英輔は慌てて澄の様子を見るが、どうやら澄には聞こえなかったらしく手元の本の表紙を眺めていた。
それに小さく安堵の息を吐き出し、英輔は再度、確認の為に澄に問いかけた。
「ってことは、まだそのままってことかよ」
「あのねぇ。言っておくけど、もう私だって良い大人よ?」
「じゃあ、相手はいるのかよ」
「は? いるわけないでしょ? 何よ、もしかしてあんたが立候補でもするの?」
挑戦的な笑みを浮かべる澄に、英輔はわざとらしく大きく両手を上げてみせた。
「するかよ。こっちはもう振られてるってのに」
「告白もされてなければ振ってもないんだけど?」
「あんなの見せられたら振られたも同然だっての」
もうずいぶんと昔の話だ。確かに、英輔は淡い想いを澄に抱いていた。けどもそれは、この限られた世界にいただからだと言えばそれだけのことで、澄が一番身近な異性の他人だった。だからそんな思いを長年に渡って抱いていた。あの時までは。
分かっていた。それでも長く見て見ぬふりをして、結果勝手に振られて逃げて、このザマ。笑うしかない。だけども、今になってあの選択は正しかったと思うと同時、何故この幼馴染達の為に動かなかったのだろうと、今更になって悔やんでくる。
「それにまた外に出るつもりだし」
「またぁ? 何するのよ」
「……まぁ、もう一回。やり直してみようと思ってさ」
英輔はこの小さな港町から外へと出ていった。目の前の現実から逃げて、大きくなりたいと願って。けども結果、手に残ったものは何もなく、空虚ばかりだった。そして英輔はどうすれば良いのか分からず、生まれ故郷のここへと帰ってきた。
長い時が過ぎ去って戻ってきたこの町は、その時の流れと共に変化していた。船の数。人の数。空き家。母の姿。けども、この町の時間の流れ、海に風は何一つ変わっておらず、この幼馴染も変わっちゃいなかった。
だから思うのだ、変えさせないといけない、と。この町に生まれ育ったが為に身につけてしまったお節介焼きが、どうしても沸き立ってしまっていた。
「ふぅん。私にはもう一回やり直さないんだ」
「やっすい挑発に乗るかよ。きめぇ」
「はあ? ちょっとぐらいは乗りなさいよ」
軽口を叩く幼馴染に英輔はぐっと口角を上げてみせた。
「で? 俺に挑発するくらいなんだから、それに折り合いはつけたってことか?」
「……まぁ、ちょっとは」
「ついてねぇじゃねぇか」
澄は言い淀み、誤魔化そうする。しかも思いっきり視線をそらしているところを見るに、明らかな嘘だと英輔は目を細めた。全くこの癖だって直っちゃいない。いや、これは直らなくて良いものだ。
「何だよ、お前。せっかく黙って見守ってたってのが無駄になったじゃねぇか」
「頼んでないけど?」
「んなの知るかよ」
もちろん頼まれてはいない。けども、それがどうしたのかと、幼馴染だから許されるであろう考えをそのままに澄に詰め寄った。
「いい加減に蹴りつけろよ。今なら出来るだろうが」
「……けど、ほら。あっちはあっちの都合があるわけだし」
「はあ? なんで弱気になって……めんどくせぇ! 分かった。じゃあ、勝手にしろ。俺も勝手にするからな」
「いや、勝手にって……一体何をするつもりよ」
「勝手には勝手だよ!」
急にしおらしくなる澄に英輔は少しばかりの苛立ちを覚え、声を僅かに荒げながら立ち上がった。それに驚く澄は、あの頃には見せなかった、女の顔を見せた。
「何で……余計なことしないでちょうだいよ。関係ないことでしょ?」
「関係なんてあるに決まってんだろ!」
きっと、今この場、この雰囲気の中で押し切ればもしかしたら手が届くかもしれない。けども、それは幼馴染としての矜持が許さなかった。
英輔は再燃しかけた想いをかなぐり捨てるように、より大きな声を店内に轟かせた。
「こっちは何年片想いしていたと思ってんだ! それに大事な幼馴染の為に動かねぇで、何が幼馴染だよ!」
目を白黒させる澄に、英輔ははん、と鼻で笑い捨てた。
おい、お前。全く変わってないじゃないか。何だよ何だよ、せっかく諦めたってのに無駄だったじゃないか。うるさい邪魔だ?うるせぇ!お前等がいつまでもそうしているうちは俺も黙っちゃいないからな!こっちは何年片思いしてたと思ってやがる!うっせ!大事な幼馴染に決まってんだろ!




