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25 あの頃は (近所の漁師と近所の元ガキ)

 気づけばこんなに大きくなっていたんだなぁ、なんて隣を見ながら大里 源二(おおざと げんじ)は缶ビールを開けた。


「帰ってきてたのは聞いてたが、なんだ? んなつまんねぇ面しやがって」

「……うるせぇ」


 隣に座る倉本 英輔(くらもと えいすけ)は、聞き取りにくいほどに小さな声でぼやいた。

 豆粒ぐらいの時から知っている近所のガキだったが、それにしても大きくなったなぁと思いながら、源二はビールを煽った。



 掘っ立て小屋の片隅。目の前には漁の道具が積み上がり、足元には申し訳程度の小さな電気ストーブ。こんな場所にいるよりも家で飲んだほうが良いに決まっているのだが、何せ町の外から戻ってきたばかりの英輔の顔ときたら影が落ちて、ずいぶんとしけている。

 こんな奴を家になんてあげてしまえば、一気に家の空気が悪くなるうえに、家の人間が様子を見に来て落ち着いて話が出来ない。だからこの場所を選んだのだ。

 珍しく源二は他人にここまで考えて気を使ってやったわけだが、英輔はずっと顔を俯かせるばかりでせっかく開けたビールさえ、一口も飲もうとしやしない。源二は元からの険しい顔をさらに険しくさせ、思い切りその背中に向けて手を振り上げた。


「いっ……! げんじぃ、何すんだよ!」

「うっせぇ。そんな面してるてめぇが悪いに決まってんだよ。おかげで酒がまずくなる」


 せっかく発泡酒とかではない、本当のビールを買ってきてやったっていうのにだ。

 げんじぃ、なんてあの頃と変わらない呼び方をする英輔はようやくビールに一口だけ口をつけた。それでも飲み方はずいぶんと控えめなものだった。

 それを目にし、源二は器用に片方の眉毛を上げた。


「なんだ。でけぇ病気にでもなったか?」

「……ちげぇよ」

「そうかい」


 それならば酒を飲んだって問題はない。無理やり押し付けたのは源二だったが、それはそれだ。

 もう一口ビールを飲み、大きく息を吐きだした。


「外はどうだった」

「普通に聞くじゃん」

「んだよ。聞かれたくねぇのか?」


 途端、口をつぐみまた英輔は顔を俯かせた。

 そういう反応をするのも仕方がないと源二は分かっていた。だがあえて聞くことにしたのだ。

 こんな寂れた港町から出ていき、ずいぶんと長く外に暮らしてきた英輔が帰ってきた。しかも、ずいぶんと顔は暗い影を落とし、まだまだこれから先があるっていうのに背中は妙に丸まっている。

 一目見て、外で何かがあったのだと誰もが察するには十分すぎるものだった。だから誰もが英輔に外のことを聞こうとはしなかったはずだ。むしろ帰ってきた英輔に対し、あの頃と変わらないように話しかけようとしていたはずだ。もちろん源二だってそうしようとしていたが、それではまずいことを顔を見て考えを改めた。

 源二はよく知っていた。

 小さい頃の英輔はずいぶんと口下手で、何かを話すにも時間が必要だった。そして当時の同級生達の後ろに黙ってついていく姿をよく目にしていた。それでも、あの頃の英輔はずいぶんと楽しそうだった。

 そしてそいつらと何かをしでかしたとき、口下手な英輔はいつも顔を俯かせていた。罰が悪いという理由もあったのだろう。しかし何度も口を開いては閉じを繰り返し、必死に涙をこらえながらようやく口を開くのだ。

 自分の息子ではないが、なんとも健気な英輔に源二はついつい構ってしまっていた。

 しかし、まさかお互いこうも年を取ってしまった今でさえ、話を聞かなければならないという考えが浮かぶとは思わなかったが。

 掘っ立て小屋の隙間から冷たい潮風が入り込み、源二は小さく身を震わせた。

 やっぱり場所を間違えただろうかという考えが浮かんでくるころ、ようやく英輔がぽつり、と言葉を落とした。


「いろいろと、あったよ」

「そうだろうな」


 外のどこにいたのか、源二は知るところではない。だが、こうも長く、十年なんて年月は軽く超えてしまう日々を英輔は外で過ごしたのだ。何もなかったなんてそれこそ嘘だろう。

 ああ、いや、確か外からやってきた物好きな作家先生が言うには、都会には何もないと孫に言ったらしい。ということは何もなくってもおかしな話ではないのか、と源二はすぐに考えを改めた。

 そんな源二の思考なんて欠片も分かっていない英輔はようやく少しばかり顔を上げ、また一口ビールを煽った。


「いろんな奴がいたんだ。金稼ぎに来た奴らもいれば、夢の為に来てた奴らもいた」

「へぇ。で? お前は?」

「……でっかくなりたかったんだよ」


 どんな風に、という問いは口に出さなかった。それこそ愚問だ。時代遅れだろうが何だろうが、男なんてものは一度ぐらいは夢を抱くものだと源二はそう認識していた。


「難しかったろ」

「……ああ」


 英輔はまた一口、ビールをさらに煽った。


「けど、なっている奴らもいたんだ。だから俺も、頑張ればなれるって……。思ってたんだ」


 ずっと藻掻いて生きてきたのだろうと、源二は容易の想像ができた。

 あの泣き虫で引っ込み思案なガキが、まさかずっと今の今まで外にいただなんて当時の源二もそうだが、きっと家族も他の近所の奴らも想像できなかったことだ。

 本当に大きくなったなぁと源二はまた手を振りかぶり、丸くなっている背中に向けて思い切り振り下ろした。


「っんだよ……!」


 英輔は今度こそしっかりと顔をあげ、源二を睨みつけた。

 源二は喉の奥を鳴らすように笑いつつ、ビールをちびちびと飲む。電気ストーブの近くにあったせいかせっかくのビールがぬるくなってしまっていたが、別に飲めなくはない。


「お前は昔から本当に泣き虫だよなぁ」

「うるせぇな!」

「けど、根性は人一倍あったのは覚えてんぞ」


 ガキの頃から英輔は本当に泣き虫だった。けども最後まで何事もやり遂げていた。そんな英輔だから、源二はついつい構ってしまう。息子や孫にもっと構ったほうが良いのは分かるが、それはそれだ。

 何も言ってこない英輔に、源二はちらりと様子を横目で見て、本当に変わらないと内心息をついた。

 あの頃と、何一つ変わっていない。

 ぐっと唇を強く真横に結び、小さく肩を震わせながら鼻を真っ赤にしてぼろぼろと泣き出していた。源二はついついもう一度手を振り上げかけ、手を止めた。

 確かにあの頃と変わらない姿だった。ガキだった英輔は顔を俯かせてばかりで、そういえば分かりやすく嗚咽を漏らし、大きく腕で涙を拭っていたと思い出した。

 けども今の英輔は嗚咽を漏らすことに耐え、顔はしっかりと上げていた。しかも拭うほどの涙なんてこぼれておらず、小さな粒が伝って落ちていくだけだった。

 ずいぶんと、泣き方が変わったもんだと源二は妙に物寂しさを覚えた。だが、ちゃんとでっかくなって戻ってきたのだと源二はついつい口角が上がってしまうのを止められなかった。

 しかし、英輔のその背中はまだまだ丸いままだった。やはり急には良い方向にはならないことにやるせなさを抱きながら、源二は丸い背中を今度は軽く叩いた。

生ぬるくなったビール。慣れ親しんだ海風。外の空気を引きつれ戻って来た奴の背中を思い切り叩く。「お前は昔っから泣き虫だったが、一番根性があっただろう」途端に奴は泣き出し、しかし前を向いていた。振りかぶった手を止め、あの頃からずいぶんと大きくなった背中を軽く叩いた。

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