21 ノスタルジア (懐かしむ父と漁師仲間)
「ついに反抗期が来たぞ」
防波堤に座る戸村 翔馬は、ひゅん、と釣り竿をしならせて海に釣り針を投げ入れた。
隣に並んで座る大里 源太は興味無さそうに、へぇと声を漏らしたのが聞こえた。
「そりゃ大変そうだな」
「そうでもねぇよ」
今朝だって女房はそのあたりで小躍りしそうなほどに、息子の反抗期に楽しんでいる。おかげで娘は不機嫌だし、息子からは睨まれている。
なんてことを言えば、今度は無視された。翔馬はぷかぷかと浮かぶ赤い浮きの動きを眺めながら、小さく息をついた。
「そっちは?」
「俺んとこは……、なんか来なさそうなんだよなぁ」
翔馬が源太の息子のことを聞けば、源太は顔をしかめた。
「近頃は親父のところばっかりいてさぁ。いや、別に良いんだけどな?」
「すげぇ気にしてるじゃねぇか。ま、諦めろよ」
「ふざけんな。落とすぞ」
「魚が逃げるじゃねぇか」
軽口を言い合う二人の間に、また僅かな沈黙が降り立ち、代わりに目の前からは絶え間なく波のざざん、という音だけが周囲を包み込む。だが、あまりにも慣れ親しんでいる音のせいで、するりと耳の中を通り抜けるだけ。まだ時折聞こえる、遠くの自動車の音の方がはっきりと耳に残るほどだった。
「……お前んとこの倅、都会の学校に行くんだろ?」
源太がぽつり、と口を開いた。翔馬はまだまだ浮かんだままの浮きをぼんやりと眺め続けながら頷いた。
「ああ、その予定。勉強の方は問題ねぇけど、倍率がなぁ」
「厳しそうだな」
「いや、けどほら。あいつ、結構要領良いからいけると思うんだよ」
毎日毎日、夜遅くまで机の前に座っては手を黒くしている。正直、何故あそこまでのめり込めるのか、翔馬は不思議でならなかった。
けども得意なことであるならば止める必要はないし、むしろ応援をしている。かと言って応援しすぎるのも邪魔になってしまうからそれとなく、になってしまうけども。
「なぁにが気にいらないんだか知らねぇけどさぁ」
反抗期に入ったことは良いことだ。だがおかげで家の中の空気はどこかトゲトゲしい。話せる口があるというのに会話すら拒否されているおかげで、不満の原因すら聞き出せない。
他の漁師仲間からはそんなもんだと笑われる始末。自分も反抗期にはなったことがあるが、あの時は親父にぶん殴られて終わった記憶しかない。
全くどうすればよいのか、翔馬には欠片も分からなかった。
「……なぁ。それ言うために、叩き起こしやがったのか?」
「悪いな! 昼寝してるところ!」
「全く悪いと思っちゃいねぇな。てめぇ」
全く持ってその通り。
翔馬がにかりと笑ってやれば、源太はいかつい顔を更に無駄にいかつくし、翔馬を睨んできた。
見る人が見ればかなり激怒しているようにも見えるが、これはまだ全く怒ってはいない。ただだいぶ不満を見せているだけだと、翔馬は幼い頃からの付き合いで知りすぎていた。
「悪かったって」
「ったくよぉ……」
呆れたように源太は大きく息を吐き出し、遠くの水平線を見つめた。
「しっかし。昨日は漁で、今日は釣りとかさぁ。他にやることねぇのか? 人を叩き起こしてまでやることじゃねぇだろうが」
「こんな場所で他にやることあると思うのか?」
何せここは辺鄙で小さな港町。年々人も子供も減っている。娯楽というものはなく、子供達が遊ぶ場所は小中学校の校庭と海辺ぐらいだ。そして大人達がやることと言えば、昼間から酒を飲むか、釣りをするか。もしくは庭いじりに大工の真似事ぐらいだろうか。
本当に何も無い。いや、後はテレビをぼんやり見て、源太のように昼寝するぐらいだろうか。
「……昔はさぁ、ガキ達連れて釣りしたよなぁ」
ふと、翔馬が幼い息子の姿を思い出した。その日によっては源太とその息子も一緒に釣りをよくしていた。まさに今のように。
源太も思い出したらしく、ああ、と声を漏らした。
「やったやった。本当は船にも乗せてやりたかったけど、船酔いがなぁ」
「そうなんだよなぁ」
慣れない船だったということもある。幼い息子達はすぐに船によってしまってとんぼ返りしてしまった。それからは防波堤で釣りをしていた。
「結局、あいつ魚さばけねぇままだったなぁ……」
「なんだよ。教えてたんじゃなかったのか?」
源太が驚いたような声をあげた。この町にいる以上、男だって魚をさばけなければ話にならないからだ。それに源太が驚くということは、あっちはちゃんと魚をさばけるようになったということだ。
少しばかり羨ましいと思いつつ、仕方がないと翔馬は吐息混じりに笑った。
「当然教えたに決まってんだろ? けど、すっげぇ不器用でさ。それより小難しい本読んでたほうが良いとか言って逃げられたんだよ」
「そりゃあ仕方がねぇな。ってかよ、なんていうか……あれだよな。よくもまぁ、勉強が得意っていうか」
「俺と母ちゃんの子供だってのに、頭の出来は全く似てねぇんだよ。けど、まさかあんなに頭良くなるとは思わなかったわ」
ちらり、と参考書を見たことがあったが一体何を書いているのか全く分からなかった。中学生の勉強なのだから翔馬だって勉強したことがあるはずなのに、あれは難解すぎた。
どうしてこんな父親のもとにあんな息子が出来たのか。女房揃って本当にしばらく首を傾げた。
けども、そういうときもあるだろうという結論に至った。何せ、あんな言葉がある。
「あれだ、あれ。鳶が鷹を生むってやつだな」
「自分でそれ言うか?」
「むしろ俺が言わねぇで誰が言うんだよ」
翔馬がくつくつと笑うと源太は顔をしかめ、面倒だと言わんばかりに頭をかき、口を閉じた。さすがに源太もこんな自虐な言い方には何も言えなくなってしまったのだろう。
失敗したかと翔馬は思ったが、長年の付き合いがこれで崩れるとは欠片も思わなかった。
さて、次は何の話をしようかと昔を思い出していると浮きが大きく上下した。
「お、来たか?」
翔馬は急いでリールを巻く。が、海から出てきたのは何もなくなった釣り針だけだった。
「ははっ、食われてるじゃねぇか!」
「うっせぇな!」
源太が大きな声で笑い出す。
翔馬は思わず声を荒げ、次だ次と釣り針にまた餌を仕込んだ。
こんな狭い町で家の外でやることなんて釣の一択。仕事では船を操り、網で魚を捕る。そして今は釣り糸を並べて垂らして魚が来るのを待つばかり。「昔は一緒に釣りしたのにな」「だよな」もう釣をしなくなった、それぞれの我が子達の思い出に浸りながら、父親達は今日も一日釣をする。




