18 言葉探し (古書店店長とお隣の奥さん)
この本はいつからここにあっただろうか。
ずいぶんと古びた本が箱の底から出てきた。一体どうしてこんな古びた箱に入っていたのか分からず、ノザキ書店の店長、野崎 澄は頭を抱えた。
「けど、ここにしまったのはたぶん私しかいないし……」
まるで秘密の宝物のように、ひっそりと隠されていた。けどこれは明らかに売り物の古本なのは事実だった。
澄は頭を何度目か、傾げながら頁をめくる。しばらく並ぶ文字を見つめ、そして本を閉じた。
「……やっぱり私だぁ……」
思い出し、澄は小さく唸った。
これを隠したのは正真正銘、澄だった。理由はとても簡単だった。癖に刺さった古本だったという、なんとも個人的なものだ。
だって面白いんだもの。仕方がない。もういっそ、これは自分用として置いておくしか他ない。そうだ、そうしようと決めたが、すぐに自分で却下した。
「……置く場所……」
何を隠そう、二階の自宅には澄が私物として集めた本が所せましと積まれているからだ。本当にそろそろ底が抜けるのではと、内心冷や冷やしつつ、いやまだ一冊いけると根拠なき自信が澄を駆り立てる。
一先ずだ。
「もう一回、読んでから決めても……」
そう、遅くはない。はず。
澄は椅子に座り、改めて表紙をめくった。
厚み具合から見て、三分の一ほどまで読み進め、澄はぱたり、と本を閉じた。
「うーん……、売りたくないなぁ……」
まだ三分の一。残りの三分の二もある。やはり好みの本は何度読んだって面白い。にしてもいつから隠していたのか、さっぱり覚えてはいないけども。
思い切り椅子の背もたれに寄りかかり、両腕をあげる。と、背中が連続して小さく鳴った。確かあまり骨を鳴らしてはいけないのだったな、と前にテレビで見たがそんなものは無視だ。
澄はもちろんだが、新刊の本も読むし、電子書籍だって読む。けども一等好きなのは、紙の古本だ。
古本屋を営んでいるからという理由もある。この独特な、どこか甘くて懐かしい匂いも好き。けども古本にしかない、刻まれた思いに触れられるのが大きな理由だった。
日に焼けて少し色が落ちた表紙。薄らと茶色くなった頁。何度も何度も読み返したであろう、開きやすくなった箇所。忘れられた栞。線が引かれた文字とメモ書き。
一体どうして、この本は手放されてしまったのだろう。ずいぶんと前に買われたようだけども、とても状態が良いということは大切に読まれていたのかもれしない。もしくは積ん読の一冊になってしまっていたか。それはそれでも、何かしらが心にひっかかったのは間違いない。
忘れられた栞はレシートだったり、買い物のメモ帳なんていうのもあった。そして誰かからの贈り物なのか、押し花の栞なんていうのも出てくる時だってある。なんて可愛らしい本だろう。
そして線が引かれた本を見つけると、澄は何度も何度もその箇所を読みふけった。
この言葉の何が、前の持ち主の心に触れたのだろう。美しいからだろうか。自身の過去と重なった部分があったのだろうか。憧れのような、眩しさでも覚えたのだろうか。それとも、辛い一文だったのだろうか。
いくつもの残された痕跡が、澄の心を揺さぶる。しかしどうしてか、ずっと奥底に燻っているこの想いには届かない。
どの言葉だって素晴らしいものだと澄は素直にそう思っている。けども、どうしたって正しく表現できるような言葉には未だに出会えてはいなかった。
誰かに聞いてすぐに答えがでるものではなかった。だから澄はこうして今日も古本に残された痕跡を探してみては、燻る想いに照らしあわせる。
あの時。初めて抱いたこの想いは、青々とした、夏の海のようなものだった。潮風と夏の陽射しでべたつく肌さえどうでもよくなるほどの、あの季節の中でしか出会えない。そんな想いだったと、今になってようやく言葉に辿り着けた。
けども今度は、今の燻りに当てはめられるような言葉が見当たらずにいた。
澄はずっと探し続けている。
なんでこんな厄介過ぎる想いを未だに抱え続けているのか分からない。忘れてしまえば良い。捨ててしまえば良いと分かっているのに抱えたままで、適した言葉がないからといつまでも燻らせている。
目の前にはこんなにも素晴らしい本達が、それぞれ言葉で思いを届けようと待っている。そして澄は丁寧に一文字ずつ追うも、どうも違うと首を傾げながら物語ばかりに目を向けてしまう。
適した言葉を探すはずが、おかげでいつまでたっても見つからない。
むしろ、見つけようとはしていないのかもしれない。
それならばそれで構わないと澄は心の底から思っている。そのはずなのに、どうしてか。
澄は先ほど箱の中から見つけたその本を見つめ続けていた。
どうして、これを隠していたのだろう。
面白かったから。それは本当にそう。売りたくないから。だから自分のものにしてしまおう。けども、それなら何故、駄目な理由をいくつも探してしまっているのだろうか。
残りの厚さは三分の二。もっと読みたいはずなのに、あの時、どうしてか手が止まってしまった。
内容はうっすらと覚えているだけの小説。人と人との、些細な繋がりから始まる物語。
澄は表紙を撫で、この本をどうしようかと顔をしかめた。
と、ガラス戸の扉が音をたてて開かれ、肌寒い風が中に入って来た。
「どうしたの、そんな困った顔をして」
どうやらガラス越しに見えてしまったのだろう、隣の店の奥さんが顔をのぞかせてきた。
澄は一度だけ視線を落とし、手元に置いてあった本を顔の横まで持ち上げ、困ったように笑った。
「いや、実は。この本、欲しいなぁって」
「あら、またなの? 夢の中で怒られても知らないわよ?」
「……うわぁ、本当にありそう……!」
先代店主。つまりは澄の亡くなった父はなかなかに厳格な父だった。
売り物は売り物。どうしても欲しいというのであれば、一年買い手がいなかった時にしろと強く、何度も言われていた。
だというのに澄はあろうことか買われたくないがために箱の中へとしまいこんでいた。
ああ、これが知られてしまえば本当に夢枕に立たれてしまう。
「……ちゃんと売りまぁす」
「そうしなさいな。あ、でも、このあたりとかなら見つかりにくいんじゃないの?」
「あのですね。今はネットっていう便利なものがあるんですよ」
「……神社でお参りしてくるわね!」
「わぁ、ありがとうございますぅ!」
最終手段、神頼みだ。
澄はさっそく明日、小さな神社でお参りしてこようと決めた。
年季の入った本の頁をめくり、店長は答えを探し続ける。人の思いを文字にして、言葉にしたそれらから、この長年燻る想いの答えを探し続ける。けれども答えは今日も見つかっていない。「どうしたの、困った顔して」隣の店の奥さんが顔を覗かせた。店長はただ笑って誤魔化した。




