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17 沈黙と欲 (写真家と古書店店長)

 ほぼ一年ぶりに帰郷した地元は、ほとんど変わってはいなかった。

 やはり、たかが一年では大きくは変わらない。染岡 誠(そめおか まこと)は煙草をくわえ、安っぽいプラスチックのライターで火を付ける。そうして肺いっぱいに紫煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 この小さな港町を誠は嫌いになれないでいる。

 変わらない人の温もり。変わらない景色。けどもよくよくと見れば、ほんの少しばかりやっぱり変化し続けている、とても小さな港町。ちょっとした噂があればすぐに広がり、何かが起きればすぐに人は集まってくる。隠し事なんてほとんど出来やしないような、それこそプライバシーなんていうものが存在しないような場所だ。

 けども皆、何故か妙に距離感というものがうまく、変に深入りなんてしてこないのだから面白い。

 誠がこうして一年に一回から三回ぐらいしか戻ってこないわけだが、皆、まるで昨日会ったかのようにいつも通りに話しかけてくる。

 当たり障りのない話ばかりだ。どんな場所へと訪れたのか、とか。どんなものを見てきたのか、とか。あげくに関係のないその先で食べたものを聞いてくるぐらいだ。だというのに、写真家でもある誠には写真について一切聞いてはこないのだ。

 せいぜい、写真を撮るのがうまいから家族写真を撮ってくれないかと頼まれることはある。その時はもちろん快く受け入れる。当然のことながら、これで食べているということもあるので貰うものは貰うわけだが、そこにくわえて大量の魚までもつけてくる。おかげでしばらくはどう消費をしようかと頭を悩ませるが、なかなかに楽しいものだった。



 誠が写真家を志したのは、中学生の時だった。

 遊び道具として、父から古びたフィルムカメラをもらった幼い頃の誠はとても喜んだ。最新のゲーム機なんかよりもずっと輝いていた。

 この小さな港町の全てを写真に納めようと当時の同級生。今はもう昔馴染みを引きずり回しながら、隅から隅へと駆けまわった。

 その昔馴染みは少しばかりどんくさく、時折転んで泣きそうな顔をしてよく睨みつけていた。そして誠はそんな昔馴染みに謝りながら、何度か写真に納めた。本当に、今になって思うが、よくもまぁ今も縁が切れずにいられるのかとつい呆れてしまった。

 並ぶ家に隠れる猫達。陽射しを乱反射させる海。沖へと向かう船。近くで追いかけっこをして遊ぶ子供達。海に落ちないかと遠くから見守るご近所の人達。

 そして、海よりも鮮やかな青いワンピースを着たもう一人の昔馴染み。

 現像した写真は手元にはない。けどもフィルムはちゃんと手元に残ったまま、ひっそりと誠は今もずっと抱えている。


「お、(かもめ)。鴎かぁ……。いや、鴎も良いけど、やっぱり猫だよなぁ」


 短くなった煙草を携帯灰皿で消し、またもう一本自然な動作で箱から取り出しながら、誠は呟いた。



 誠は一眼レフカメラでも、もちろん写真を撮る。けども、誠は未だにフィルムカメラを愛用している。フィルムカメラ独特の風合いにより、映し出された写真が中々に良い評判を得ていた。

 そして撮るものは、猫や海、人が多い。

 それもこれも皆、この小さな港町で生まれ育ったからとしか言いようがなかった。

 何故、写真を撮り続けているのか。写真家という職業だからなんて言ったら夢が無いが、これも一つの理由だ。なにせ写真を撮り続けないと暮らしていけないから。

 そしてもう一つ。誠はただ、欲しいと思った。

 浮かぶ白い雲。遠くに見える白い漁船。古びた屋根に落ちる光。陽だまりの中で遊ぶ子猫達。公園で走り回る無邪気な子供達。笑うご近所の人達。

 愚かしく馬鹿なものを抱きながら、誠は目の前の欲しいものを手に出来ない代わりにシャッターを押し続けた。

 この小さく、寂れている港町を誠は嫌いになることは今後もないだろう。なにせ、誠が欲しくて欲しくてたまらないものばかりが詰め込まれた宝箱のような場所だから。

 無邪気な子供のような強欲さをどうにか手元に残るカメラのフィルムで慰めている。欲しいと思ってしまうこの欲の理由なんて誠は未だに分かりはしない。今後も分かるはずがない。

 おかしいことなんて気づいている。けども常人のふりをして、無心にこの小さな港町に似た場所へと赴き、目の前の光景全てを写真へと収めた。

 こんなこと、誰一人にだって告白することなんで出来やしない。

 両親にも。昔馴染みにも。そして――。


「……まぁ。そりゃ、会うわなぁ……」


 口からもわり、とした煙が漏れ出した。

 誠は今すぐに来た道を戻るべきかと考えた。だが、あまりにも不審すぎてむしろ追いかけまわされそうだったが、どうしたって進む勇気が無かく、立ち止まった。

 まっすぐ、遠くの方から歩いていたもう一人の昔馴染みは本当に何も変わらない。

 たかが一年。されど一年。彼女、野崎 澄(のざき すみ)は、まるでここに取り残されてしまっているかのようだと誠は姿を見かける度に思う。

 彼女は一度、外へと憧れを抱いていたのを誠は知っている。それでも何故、澄がここに残ることに決めたのかまでは誠は知らない。

 この場所を好いているからなのは昔からの付き合いで察することは出来た。けどもそれだけで本当に残るのだろうか、とも。

 この場所に、何か依存するものでもあったのだろうか。

 確かに、この場所は良い。慣れ親しんでいる場所だから。生まれ育った場所だから。近すぎる距離だって、慣れてしまえばどうってことない。かと言って、程よく踏み込まない人達ばかりなのだから尚更だ。

 寂れていく、この空気が良いのだろうか。人は確かに減っている。あの家だって去年まで人が住んでいた。

 この海が良いのだろうか。何の変哲もない、時に荒れては、変なものを漂着させてくるいたずらっ子のような海が。

 それとも他にあるのか。何が、彼女をここに結びつけたのだろうか。

 分からない、だなんて誠はうそぶいた。

 本当は知っている。この町が欲しいと思ってしまう理由なんて、本当にくだらなくって、子供っぽくて、ただのこの欲を見たしたいが為のものなのだって。

 ようやく目の前の昔馴染みが誠に気付いたようで、何とも言えぬ顔を浮かべながら軽く手を振った。

 本当は気づいていた、ずいぶんと前から。

 けども、これは気づいてはいけないもので、変えてはいけないものだと誠は強く確信していた。

 いつものように、以前のように、昔馴染みの一人として澄に接すると決めている。

 触れてはいけない存在だから。触れてしまえば耐えきれなくなってしまうから。耐えきれずに欲して、手に入れてしまえば失うと知っているから。

 いや、もしかしたら、そう思っているだけなのかもしれない。

 けども誠はどうしたってそこから踏み出せるほど、余裕も、覚悟も、持ち合わせてはいなかった。


「馬鹿だなぁ、俺は」


 小さく呟きながら、誠はその場から軽く手を挙げて答えるしか出来なかった。

得るものが無ければ、失うものは無い。だが欲望ばかりが膨らみ、それに気づかないよう男は煙草を燻らす。欲がその人を欲しているのをただひたすらに耐えるのだ。その人が男に気付き、手を振る。得れば失うと知っているから、男はその場で手を振り返す他なかった。「馬鹿だなぁ、俺は」

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