01 はじめまして (古書店店長と売れない作家)
「はじめまして」
仕入れた古本を書架にしまっていた野崎 澄は一度その手を止め、声の主に振り返った。
「どおも、佐古さん。ネタ探しですか?」
「乗ってきてくださいよぉ」
大の男が眉を八の字にして不満げな顔をする様はどこから見ても子供そのものだ。
よれよれの青いTシャツとジーンズというお馴染の恰好で来た佐古 直仁は徹夜明けなのだろうか、大きな欠伸を一つした。
澄は手元にある残りの本を全て並べ、カウンターの脇に置いてある折りたたみ式の鉄パイプの椅子を直仁に手渡した。
「それで、今度はどんな話を書いているんです? 佐古先生」
「嫌味ですね、分かります。どうせ僕は売れない作家ですよぅ」
椅子を開いてよっこいしょと、カウンターの前に座った直仁は周囲を見渡し、眠そうに目を細めた。
「僕の本、いずれここに置いてほしいです」
「うち、古本屋ですけど?」
「いいじゃないですか、新刊の本があっても」
それでは普通の書店になるのではとは言わなかった。なんせ面倒だからだ。
澄の父、野崎辰雄が始めたこの古本屋ノザキ書店は澄で二代目になる。商店街の一角を借りており、ほぼ毎日近所の方々が来店するものの売り上げはそこそこ。もう少し買っていってほしい所が正直な所。今ではインターネットもあるからネット注文の方が売り上げが良い。
そしてちょうどネットから注文が入った為、澄はノートパソコンの画面をのぞき込みながら古ぼけた丸椅子に座った。
「お客さん来ているのに無視ですか」
「買わないならお客じゃありません」
「お金がないんです」
「切実ですね。よっしゃ、高い本売れた!」
「良かったですね。それで聞いてくださいよ」
澄に構わずに話し始める直仁のそれはいつもの事だった。
直仁は売れないがつく作家で、近くのコンビニエンスストアとガソリンスタンドでアルバイトをしている。勿論この近所に住んでいる為、ほぼ毎日顔を合わせている。そうでなくてもこうしてネタに詰まったら今のように来るのだ。邪魔と言えば邪魔だが、澄の暇つぶしにもなっていた。
はじめまして、で始まる物語。
小さな女の子がたくさんの人と出会う話だと言う。繰り返し繰り返しはじめましてと言って、成長していく。出会い、そして別れを繰り返して小さな女の子は女性へと成長していく。
しかし女性は一人なのだと言う。たくさんの人と出会ったはずなのに、女性は孤独のままなのだと言う。
「多くの人と繋がろうとしているんです。けれども最後には別れてしまうのです。それが人生、運命だと思い女性は生きるのです。本当の原因は、女性が臆病で周囲を信用しきれず自ら人を遠ざけてしまうからなのに」
「難儀な人ですねぇ」
「場所は都会でしょうか。雑多な都会は物が溢れていて煌びやかに見えますがしかし、余計に人を惨めにさせます。友人と言う友人はおらず、両親とはほとんど連絡を取らず。けれども女性は何度もはじめましてと言って繋がろうとしているのです」
夢見心地で話す様は一種の創造主のようだと澄は思っていた。作家なのだから創作という観点から見ればある意味では創造主だろうが、彼は登場人物達をただ俯瞰して眺めているようだった。そこには自分という存在はいない。純粋に彼ら達がどう動くのかを眺めて記録をしているかのようだった。
「……なんで、繋がろうとするんでしょうかね? わざわざ人付き合いが苦手なのに自ら仲良くなろうとするなんて」
「寂しいからですよ」
単純明快と言わんばかりに断言をした。
「ただ寂しいんです。孤独というものに耐えられないからです。だから誰かと繋がろうと女性は必死に暗闇の中を手探りで進んでいるんです」
「自ら遠ざけてしまうのに、孤独が嫌だなんて。なんて言うか、勝手な人ですね」
「ええ、身勝手ですがそれが人と言うものだと僕は思うんですよ」
ぎぃと鉄パイプの椅子が音を鳴らした。
僅かに風が入るよう開けたままのガラス戸越しの景色を直仁はぼんやりとした眼差しで眺めていた。
妙に細く、よれたTシャツの上から分かるほど骨ばっていて、そのあたりの女子よりか弱いのではないかと思う程に細い。それを本人に言うと大げさにか弱さをアピールするという面倒な人間であるが、そこがまた面白いとも言えた。
そんなか弱い直仁は元々他所から来た人間だった。どうしてこんな辺鄙な港町に来たのか、澄は風の噂で少しばかり聞いていた。
電車に乗って、さらに新幹線を乗り継いで、ようやく行ける都会から来た物好きと有名なのだ。売れる為とやり直す為にこの地に来たという話ではあるが、妙にくすぐられるドラマでしか聞いたことのないような言葉に小中学生には少々人気らしい。聞けばかっこいいとか、どうとか。娯楽なんてほぼないようなこの街では、確かにその年代の子供達にとっては人気になるかもしれない。
それにしてもと、澄は内心首をひねる。
一体何を考えているのか。売れる為は良しとしても、何をやり直すと言うのだろうか。
澄は直仁とは反対に少し薄暗い店内を見渡し、ふっと思い出した。
「そういえば佐古さん。この店に初めて来たときも、はじめましてと言っていましたね」
「そうですよ。ほら、やっぱり最初って大事じゃないですか」
今よりも少し良いものを身にまとい、洒落っ気を感じさせた服装をしてノザキ書店に直仁は訪れた。あれからもう二年と少しという月日があっという間に過ぎ去っていた。ただ今よりも病人と見間違う程に顔色が悪く、今よりもずっと暗かった印象からは大きく変わったものだと関心した。
ただやはり、澄は二年以上経つと言うのに妙に目立つこの男が不思議で仕方がなかった。
下手をすればほぼ毎日来ると言うのに、一向にその定位置に慣れていないように見えた。ある程度の距離は必ずあって且つ、核心に触れさせない。
薄い、なんとも薄い膜に覆われているかのようだと澄は思った。
触れても壊れなさそうなほどに丈夫そうな膜だ。見かけは薄いと言うのに丈夫そうな膜をどう壊してやろうかと手元にあった鋏を視界にとらえてしまった。
「店長さん、目が怖いですよ」
「気のせいです。で、その女性は最終的にどうなるんです?」
「そう、そこなんです! ぜんっぜん進まなくて!」
「よし、帰れ」
「バイトの時間までいさせて下さい」
神様にお祈りでもするかのように手を合わせて頭を深く下げてきた直仁に、澄はまず舌打ちを零した。
「好きにしてください」
「さすが店長さん! ああ、それでその女性の事なんですが。一応は構想はあるんですよ」
構想があるというのに、何故。と声に出さなくても直仁は分かっているかのように一呼吸を置いて続けた。
「一応、二つあるんです。一つは孤独な女性の前に不思議な青年が現れて、救われる話です。けれどもこれにするなら、最初の少女の話はあまり必要ではなくなってしまいますし、成長というものではなくむしろ恋愛向けになってしまいそうで」
「恋愛小説にはしないんですか」
「……僕、お付き合いしたことないんです」
それ以上の言葉は何も言えなかった。
「それでもう一つは?」
「流してくれてありがとうございます。もう一つはですね、女性がやはり一人なんですけど成長し孤独では無くなるという話です。ただ、どうやって女性を変わらせるかが全く見当もつきません」
はじめましてと、少女は繰り返す。はじめましてと、女性へとなっても繰り返す。定型文のようなそれに、機械のような印象を澄は抱いた。決まった動作でしか身動きが出来ずにいて、ただただそれを繰り返しているだけだ。
この港町に生まれ育った澄にとってみれば、なんてつまらなそうな女性だと思うばかりだった。苦しくて寂しくてつまらない人生を自ら選んで歩み続けるのだろうが、それでは本当につまらない話になってしまう。女性は一体何に心を踊らされるのだろう。楽しみはなんだろう。好きな事は何だろう。
元々空想を巡らせるのが好きで、一時は小説家という夢を抱いたが文才がなくて夢を追う事をすぐに辞めた。
だからなのか、澄にとって直仁という人間が羨ましくそして眩しく見えるのだ。その夢を追う姿が、夢を追う事を諦めた澄の心を慰めてくれていた。
「……その女性は、何か夢とか好きな事とか、ないんですか?」
ほんの少し、諦めた夢を託しても良いではないかと澄は身勝手ながらに押し付けている。今の様に話をして、ちょっとしたネタ探しを探すふりをしながら、自分の空想、描いた夢を直仁に託している。
「夢ですかぁ」
「趣味とかだったら共有したりできますし。と言うか、本当にその女性って孤独なんですか?」
「そういう設定ですから。ご近所付き合いも希薄というわけなんです」
人の多い都会にいながら孤独というものを澄は全く想像が出来なかった。この港町は親兄弟はもちろん、すぐ周りにはご近所さんがいて、店の手伝いをすればお客と会話をすることがほとんどだったからだ。
せいぜいいうのであれば、この町には高校がない。その為、高校に進学する為には中心部のここよりもだいぶ栄えた場所に行かなければいかないというだけだ。澄も高校生の時は中心部の高校へと行き、アパートを借りて通学していたが結局はこの慣れ親しんだ港町へと戻って来た。
ある意味で言うのなら物好きなのかもしれない。だが、あの時の澄は栄えたあの場所が魅力的には欠片も見えなかった。だからここへ戻ってきた。それだけだった。
何故、魅力的に見えなかったのだろうと今更ながらに澄は思い返しながら、ふと気が付いた。
「ああ、そういえば。私、この町ではじめましてだなんて言ったことがなかったと思います」
「そうなんですか?」
「だって、ほら。はじめましてだなんて、こう他人行事ですし。全く知らない相手でも、暑いねぇとか寒いねぇとか言っちゃいますよ」
あくまでも他人と言われればそれまでだが、それでも構いたくなってしまうのはこの港町の住人達のせいだろうか。いわばお節介焼きで、何か困れば勝手に手を出すし、楽しい事があればすぐさま周りを誘い出す。
一人ではつまらないから。楽しい事は皆で共有したいから。
「この町に住んでいれば分かる通り、皆お節介焼きなんですよね。女性の周りには、そういう人とかいなかったんですかね」
「……いえ、いえ。そう、年代ごとにそういう人物がいたほうが」
直仁はジーンズのポケットからスマートフォンを取り出して、目にもとまらぬ速さで打ち込み始めた。どうやら今、ネタが思い浮かんだようだった。
ぶつぶつと独り言を言う直仁をそのままにし、澄は椅子から立ち上がった。
「時間の方は大丈夫です?」
「まだ、はい、大丈夫です」
忙しく指を動かしながら直仁が答えたのを確認し、澄はせっかくだからと茶を入れるために奥へと行った。
頭がすっきりするような、濃いお茶でも出してあげよう。後は黒糖の飴玉も。作家は頭を使うから、きっと甘いものが必要だ。
澄は小さく笑みを溢し、売れない作家をこっそりと応援した。
作家がはじめましてと言って、ノザキ書店に訪れた。澄は、こんにちは、良い天気ですねと返した。
作家はあの時、どんな顔をしていただろうか。
遠くの方から、蝉の声が耳に届いた。
ああ、夏が来る。
「はじめまして」「何を今更?」「いえ、皆さん言わないので」「小さな港町ですよ、ここ。皆家族のようなものです」「ああ、それは必要ないですね」「それより原稿進んでいるんです?」「ネタ探し手伝ってください」「ネタならたくさんここに」「古本さえも買うお金がないんですっ」「さっさと帰れ」




