7.アレクスティードの妹
約束した通り公爵家に行く日となった本日、シャルロッテはアレクスティードから言われた身軽な格好でいいという言葉を鵜呑みにして、比較的状態の良い部屋着のワンピースで外に出て行こうとしていた。
「お嬢様、それは絶対になりません……」
「あら?招待した本人が良いって言っているのよ。だから何も問題ないわ。」
服装に無頓着な主人を止めようと、ミミが必死の抵抗をしている。
「だってどうせ辻馬車に乗るのよ。平民もいるのに、豪奢なドレス姿なんて浮くわ。それに徒歩での移動も多いから、足捌きが悪いと大変なのよ。」
「それはそうですが…いやでもっ…」
貧乏貴族のヘイズ家に馬車はない。維持費を捻出出来ず、少し前に売り払ったのだ。
公爵家まで行くには、平民街の入り口に近い場所にある辻馬車の乗り場まで歩いて行く必要がある。
「遅くなる方が先方の迷惑になるから、もう行くわね。」
腕にしがみつくミミを無理やり引き剥がし、シャルロッテは外に出て行った。
「迎えに来たよ。」
門の外に出るとすぐ、爽やかな笑顔のアレクスティードが立っていた。本を片手に塀に寄りかかっている様が絵になる程美しい。
「歩いて来たの?」
「まさか。路地裏に馬車を止めてある。あまり目立ちたくないかなと思ってね。」
シャルロッテの疑問に、彼はウインクで返してきた。
「おかげで辻馬車の運賃を節約できたわ。お気遣いありがとう。」
「感謝される所そこなんだ………」
不意打ちの待ち伏せでドキッとさせようと企んでいたアレクスティードは肩を落とし、不服そうに唇を尖らせていた。
「シャル、君は本当に身軽な格好で来たね…まぁこれはこれで妹が喜びそうだけど…」
馬車に乗り込むと、まじまじとシャルロッテの服装を見たアレクスティードがぼやいた。
「ねぇ、勝手に愛称呼びしないでくれる?」
「俺のことはアレクでいいよ。長いし。」
「確かに長いわね。舌を噛みそうだわ。」
「それ言い過ぎ。」
仲が良いのか悪いのか分からない会話を二人が繰り広げていると、馬車はあっという間に公爵家に到着した。
公爵家の門をくぐり敷地に入っても止まらず、広大な敷地内を走り続ける馬車。門から玄関までの長い距離にシャルロッテは口を開けて驚いている。
玄関前に馬車が停まると、先に降りたアレクスティードがシャルロッテのことをエスコートしてくれた。
「さすがは公爵家ね。うちとは何もかもが大違いだわ。これは維持するだけで相当お金がかかりそうね…想像しただけで目眩がするわ。」
「まあね。俺と結婚すれば、この邸の女主人になれるよ。金も人も使い放題、どう?」
「あの方が貴方の妹さん?」
「俺の渾身のプロポーズがまた無視された…」
シャルロッテの自室より広そうな玄関ホールで話していると、ドレスで着飾った可憐な女の子が優雅に螺旋階段を降りて来た。
彼女の美しいプラチナブロンドの髪は軽くウェーブがかっており、瞳はアレクと同じ金色。肌は陶器のように滑らかで白く、ふっくらとした唇は健康的なピンク色で頬は薔薇色。人形と見紛うような完璧な美少女だった。
「まぁ!お兄様が本当に女性をお連れするなんて…わたくしはレイチェル・ロウムナードと申しますわ。気軽にレイチェルとお呼びくださいませ。」
美麗なレイチェルは声まで可憐だった。
軽く微笑むだけで彼女の背景に花が咲き誇る。一瞬にしてこの場の空気が華やかになった。
「レイチェル、こちらがシャルロッテ・ヘイズ伯爵令嬢だ。年も近いし、きっとお前と…」
「お兄様ったら!レディーの身支度を待たずにこちらへお連れしましたの?なんて野蛮で失礼なことをっ…」
アレクスティードの話をまるで無視したレイチェルが口元に手を当て、驚愕の表情でドン引きしている。その目つきは、人攫いでも見るかのようであった。
「は?いや、彼女は最初からこの格好で…」
「お姉様、うちの気の利かない愚兄が申し訳ありません。すぐにわたくしの部屋でお召し替え…の前に湯浴みも必要ですわね。今用意させますわ。」
「どうしてお姉様呼び…?って、これはちゃんと選んできた部屋着よ。湯浴みも昨日の夜にしているから今はいいわ。」
勝手に進んでいく話に、シャルロッテははっきりと断りを入れるがレイチェルは聞く耳を持たない。シャルロッテを見る彼女の瞳は、真剣そのものだ。
「まぁ!よく見たらお化粧されてませんのね!髪も香油をつけてませんし…それでこの可愛さとは…磨いたら凄まじいことになりそうですわ。ふふふ…腕がなりますわね。」
「化粧?そんなの余計なお金が掛かるだけだからしないわ。何もしなければ洗顔も水だけで済むもの。」
「口紅は私の持っているもので似合うかしら…こんなことになるなら、化粧品を買い占めておけば良かったですわ!…今から王都の店に来てもらえば良いかしら…ええ、そうしましょう。せっかくですもの。ね?」
「いやだから、化粧落としを買うお金が勿体無いのよ。」
レイチェルの一方通行の会話が止まらない。
ついにはきらきらとした瞳の彼女に、がしっと腕を掴まれたシャルロッテ。
さすが兄妹、人の話を聞かないところが全く同じだわとぼんやり考えている内に碌に説明もないまま連れ去られてしまった。
「ん。気に入られたみたいで何よりだ。」
瞬く間に小さくなっていく二人の背中に、アレクスティードは呑気に呟いていたのだった。