第9話 私は強くなりたい
アドルフ伯爵邸で行われたお茶会から帰宅したシャルロッテは、エルヴィンの自室の暖炉の前で温まっていた。
着替えを済ませたシャルロッテの冷えた身体を包み込むように、エルヴィンはそっと毛布を被せる。
エルヴィンは腕組みをしながら、少し距離を取ったところでシャルロッテの傍で彼女を見守っていた。
「……………………」
シャルロッテは玄関で彼の名を呼んだ以降、口を利くことはなく着替えなど黙ってされるがままになっていた。
放心状態とも呼べるその痛々しい様子に、エルヴィンは苦い表情を浮かべる。
「シャルロッテ、ホットミルクだよ。飲んでごらん」
マグカップを差し出されたシャルロッテは力なくそれを受け取ると、ゆっくりと一口ずつ飲み始めた。
やがて、ホットミルクを飲んで身体が温まってきたのかシャルロッテの顔色も良くなってきた。
エルヴィンはシャルロッテの少し濡れた茶色い髪をなで、静かに話し始める。
「シャルロッテ。お茶会での様子を聞いてもいいかい?」
エルヴィンはシャルロッテをなるべく刺激しないようにそっと優しい声色で子供をあやすように聞く。
すると、シャルロッテはゆっくりとお茶会での様子を語り始めた。
「アドルフ伯爵令嬢からの招待状を受け取り、私はお茶会に向かいました。そこには私にとって未知の世界が広がっており、とても素敵な場所だと思いました。ですが、お茶会に参加したのはいいものの、私はお茶会に参加などしたことがなく作法がわかりませんでした」
「……」
エルヴィンはシャルロッテの話を黙って聞いていた。
「やがて、作法がなっていないことで皆様に不愉快な思いをさせてしまいました。私はそれ相応の罰を受けたのです」
シャルロッテの脳内に、皆の悪意の募った表情や紅茶を投げつける様子、そして怪物を見るような目で自分を見つめる皆の目が思い出される。
エルヴィンはそっとシャルロッテの頭をなでると、柔らかい声色でなだめる。
「シャルロッテは悪くないよ」
「ですがっ! 私はやはり忌々しい人間なのです! 何もできない。人を不幸にしかできない、そんな人間です! エルヴィンさまにもご迷惑をかけて……」
「私は何も不幸ではないし、迷惑なんてかけられていない」
シャルロッテは涙を見せ、癇癪を起しながらエルヴィンに反論する。
「エルヴィンさまのことを悪く言われました。私のせいです! 私が婚約者として、妻としてしっかりできていないからっ! だからっ!!」
呼吸を乱しながら涙でぐちゃぐちゃにして泣き叫ぶシャルロッテ。その様子を見て思わずエルヴィンは毛布ごとシャルロッテを後ろから力強く抱きしめた。
「エルヴィンさま……」
「お願いだ、そんなに自分を卑下しないでほしい。シャルロッテが忌々しいなんて私は思っていない」
「でもっ! でもっ! 実際に社交界では私が妻になったことでエルヴィンさまの評判は落ちているはずです。なんてお詫びをすればよいのか……ごめんなさい……」
「『冷血公爵』は私の職務が関係している。私は王から命を受けて罪人を裁く立場にある。そして、私が非情な裁きをするから皆がそう呼ぶんだ。それはシャルロッテが悪いわけじゃないよ」
エルヴィンはシャルロッテの前に跪いて視線を合わせると、両手を握って優しく言い聞かせるように告げる。
「いいかい、シャルロッテ。よく聞いてほしい。私は君の『金色の目』も含めて好きだよ。金色の目は忌々しいものなんかじゃない、だってこんなに綺麗じゃないか。それにこんなに美しい心を持ったシャルロッテが悪いわけがない」
「エルヴィンさま……」
「だから、もっと私を、そして自分を信じなさい。君はもう一人でもなんでもない。アイヒベルク家すべての人間が君の味方だ。君を笑うものも、君を悲しませるものも一人もいない。もしそんな人間が現れたら、私が全ての力をもってシャルロッテ、君を必ず守るよ」
両手をぎゅっと強く握りしめられたシャルロッテは、はっとするようにエルヴィンの目を見つめる。
目の前のエルヴィンの優しくも真剣な表情、そしてラウラの強く頼もしい顔が思い浮かぶ。
(エルヴィンさまも、ラウラもいてくれるんだ。私をこんなに思ってくれている人たちがいる)
そこにはもうお茶会から帰ってきたときの虚ろな目はなかった。
シャルロッテはもう一度顔をくしゃっとさせながら涙を流すと、エルヴィンに抱き着いた。
「シャルロッテ……」
「私も自分を変えたい! エルヴィンさまのように強くなりたいです」
心からの叫びを受け取ったエルヴィンは優しく微笑みながら、シャルロッテの背中をとんとんと慰めるように叩く。
「ゆっくりでいい。君は今よりもっと強く、そして優しくなれるよ」
「はい……」
エルヴィンは少し乾いてきた彼女の髪をなでながら、語りかける。
「シャルロッテ」
「なんでしょうか?」
「君の書斎にあった手紙を読んだ」
「え……」
エルヴィンは手紙を取り出すと、愛しいものを触るように優しくなでた。
「ごめんね、勝手に読んで。でも嬉しかった。君があんな風に思ってくれていたなんて」
「エルヴィンさまには感謝の気持ちでいっぱいです。直接お伝えしたほうが良いのでしょうが、私は皆さんとどう接していいのかわからず、今まで書いていた手紙にしたためてみました」
「うん、伝わったよ。シャルロッテの気持ちは私にちゃんと届いた」
そう言って頬をなでてシャルロッテの目をじっと見つめる。
あまりに真っすぐに見つめられて恥ずかしくなり、シャルロッテは顔を逸らそうとしたが、エルヴィンの両手がそれを許さなかった。
「エルヴィンさま!?」
「シャルロッテ、君は素敵な女性だ。だからこそ、『こんな人間』と自分を言うのはもう終わりにしないか?」
シャルロッテは彼の言葉にはっとする。
「君には君の人生があって、そして運命の導きで私と出会った。この素敵な出会いをどうか一緒に楽しんでみないか?」
その言葉にシャルロッテは今までの自分の行動や言動を思い返して恥ずかしくなった。
(エルヴィンさまはこんなに私を大切にしてくださって、そして何より前を向いていらっしゃる。私はずっと『できない』と言い訳ばかり。前を向く努力をしなかった……)
シャルロッテは心の中でそう思うと、エルヴィンの顔を両手で挟み込み、拘束する。
二人ともお互いの顔を両手で挟んでいる奇妙な状態になっていた。エルヴィンはその状態に戸惑いを覚えたが、目の前にいる彼女のあまりにも真っすぐな目に吸い込まれそうになって言葉を失う。
「エルヴィンさま、ありがとうございます。私は今何もできない状態だと思っています。マナーもそうですし、他のことも、多くのことがうまくできません」
「……」
「でも、過去を、後ろを見るのは辞めます。今を、そして私を大切に思ってくださっている皆さんのことを思いたい!」
それまでのシャルロッテからは考えられないほどの前向きな言葉に、エルヴィンは少し驚く。
そして、エルヴィンは優しく微笑んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「大丈夫。シャルロッテなら前を向けるよ。だから今は少しゆっくりおやすみ」
そう言うと、エルヴィンは自分の肩にシャルロッテの頭をことんと乗せると、優しく髪を上から下になでる。
(なんて心地いいのかしら)
シャルロッテはエルヴィンのなでる手の心地良さにうっとりとして、そしてゆっくりと目を閉じた。
その様子を安心したようにエルヴィンは見つめていた。
暖炉からパチパチと音がして、木片がころんと転がり炎が激しく燃え上がった──。
シャルロッテはエルヴィンの愛を受けて、前を向き始めました。
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