第6話 『あなたに愛する人はいますか?』
国王との謁見の間に着くと、赤い豪華な絨毯が敷かれた部屋の中央部分に跪いて王が来るのを待つ。
やがて、国王がゆっくりとした足取りで部屋に入ると、エルヴィンは恭しく頭を下げて胸の前に手を当てて敬礼をする。
彼は慣れたように大きなふかふかの赤い椅子に座ると、両サイドにあるひじ掛けに手を置いて落ち着かせた。
「エルヴィン、公務のほうはどうだ?」
「問題なくおこなっております」
王は頬杖をつき、優しい顔つきでエルヴィンに視線を送る。
「お前は相変わらず仕事熱心で隙がないな。あんなに昔は宮殿をそれはそれは可愛く毎日走り回っておったのに」
「昔の話はご勘弁ください」
少し照れたように俯くと、その初心な表情と反応に満足したのか王はよりからかう。
「そろそろ妻でも娶ったらどうだ?」
「王、私はしばらく妻を娶るつもりはございません。まだ私には早いです」
「はあ、お前はいつになったらわしを安心させてくれるんだ。お前の父上が亡くなってからお前を実の息子と同じように扱ってきたが、さすがに心配になるぞ」
「ご心配をおかけして申し訳ございません。ですが、私にはまだやるべきことがありますので」
「『犯罪者の取り締まりと犯罪の抑止』か?」
「はい」
王は大きなため息を一つ吐くと、体を前のめりにしてエルヴィンに告げる。
「そこまで背負わなくていい。少し気を抜きなさい」
エルヴィンは真剣な顔を崩さず、国王を真っすぐ見つめて宣言する。
「いつかこの国から犯罪を一掃させて見せます。たとえ、『冷血公爵』と恐れられようとも、私は王国のためにこの身を捧げてそれを達成します」
「…………わかった、期待している。だが、何かあったときは遠慮なくわしを頼れ」
「かしこまりました、ありがたき幸せでございます」
エルヴィンは次の仕事があるからと、王に挨拶をして謁見の間から下がる。
彼のいなくなった謁見の間では王が一人呟いていた。
「我が弟ディルックよ、どうしたらエルヴィンはお前の死を忘れることができるのだろうか」
力ない呟きは天井の高い謁見の間に消えていった。
一方、エルヴィンは王都の謁見を終えた後、ある場所へと足を運んでいた。
薄暗い地下のその場所はじめじめとして、不快な気持ちにさせる。
「エルヴィン公爵閣下!?」
「悪い、アルバン男爵と二人きりにしてくれないか?」
「二人きりですか!?」
「大丈夫だ、彼なら何かすることはない。少しの間二人にしてくれ」
「……かしこまりました」
牢獄の監視役人はそう言うと、獄と外を繋ぐ重い鉄の扉を閉めて外に出る。
エルヴィンは鉄格子越しにアルバン男爵と話を始めた。
「先程ぶりですね」
「まさかアイヒベルク公爵閣下自らがいらっしゃるとは思いませんでした。どうなさいましたでしょうか?」
すると、エルヴィンは服の胸元に手をやって、中にしまってあった一通の手紙を取り出した。
アルバン男爵は不思議そうな表情を浮かべてその手紙を見つめる。
「これはあなたのお母様からお預かりしたものです。受け取っていただけますか?」
「母上からですか!? ええ、もちろん受け取ります」
鉄格子の間から手紙を受け取るように手を伸ばすアルバン男爵に、エルヴィンは丁寧に手紙を手渡した。
「読んでも?」
「構いませんよ」
エルヴィンの許可を取ると、アルバン男爵はその場で不器用に封を切って中身を取り出して便箋三枚ほどの手紙を読み始めた。
読むにつれ、瞬きが増え、やがて唇をわなわなと震わせながら鼻をすすって泣き始める。
エルヴィンは邪魔をしないようにとアルバン男爵のもとを去ろうとしたが、彼に呼び止められた。
「アイヒベルク公爵閣下!」
外へと向いた身体を再びアルバン男爵に向かせると、彼の言葉を待つ。
「手紙を届けていただき、わざわざありがとうございました。そして、裁判では公平な判断をしてくださったことを感謝いたします」
そう言うと、彼は丁寧なお辞儀をした。
そうして、彼は最後にエルヴィンに対してこう問うた──。
◇◆◇
「エルヴィン様、どうされましたか?」
アイヒベルク家の側近であり、仕事でもサポートをしているレオンがエルヴィンに問いかける。
「いや、少し昔のことを思い出していた」
「昔、ですか?」
「二年前のアルバン男爵の裁判のことだ」
「あの裁判の翌日に男爵が自殺をした事件ですか?」
「ああ」
エルヴィンはどこか遠い目で考え事をするようにじっと黙っていると、レオンは彼に対して励ますように言葉をつなげた。
「あれは決してエルヴィン様のせいではありません。まわりは自殺をしたと思っていますが、実際の検証役人の話によれば、不慮の事故だそうですから」
「そうだね、ありがとう」
エルヴィンはレオンに礼を言うと、机の上にあった書類に目を移した。
そこには正式に獄の中での不幸な事故として処理すると書かれた申請書があった。
その詳細に目を通すと、エルヴィンは承認のサインをして処理済みの紙の束の一番上に重ねる。
次の申請の書類に目を通そうとしたときに、脳内にアルバン男爵と最後に交わしたときの言葉が思い出された。
『あなたに愛する人はいますか?』
その問いかけに二年前返答できなかったエルヴィンは、今なら自信を持って言えた。
(私の愛する人はシャルロッテただ一人。そして、今も、これからもずっと……)
エルヴィンは再び机の上に視線を向けると、手元にある書類にサインをしていった──。
エルヴィンの昔のお話でした。
少し切ない部分もありますが、彼の「今」に繋がるお話です。