第5話 なぜ彼は『冷血公爵』と呼ばれているのか
エルヴィンは、貴族たちの多くから『冷血公爵』と呼ばれている。
その名前の由来は、彼の仕事内容が関係していた。
彼は犯罪者を取り締まったり、実際に処罰をする部門に籍を置いたりしており、その責任者であった。
主に責任者として、所属する部下をまとめあげて裁判の最終的な判決を下す。
それがエルヴィンの務めであった。
そして、その日はある殺人犯の裁判が開かれており、傍聴席には様々な貴族が座っている。
普段は貴族が足を運ばない傍聴の場に今日は彼らが多く集まっている理由はただ一つ、今回の裁判が注目に値する裁判だったからだ。
今日の裁判の殺人犯は一般の国民、いわゆる平民ではなく男爵の男である。
事件の内容はこうだった。
ある夜に男爵は隣に寝ている妻をナイフで刺し殺したあと、別の部屋で眠る息子も同じく刺し殺した。
血がべっとりとついたナイフを男爵は庭の花壇の土の中に埋めた。
翌日、メイドが花壇の手入れをしていたところ、その殺人に使われたナイフを見つけて事件の発見に至った。
事件の概要をエルヴィンの部下である役人が読み上げ、いかにこの男爵が残忍な男であるかを告げる。
「この者はか弱い夫人を手にかけ、さらに自分の息子をもナイフで同じように殺しました。そして、凶器のナイフを埋めただけでなく、返り血を浴びた服を同じく庭にある焼却炉で燃やしたと自白し、隠蔽を試みています。明らかな有罪です」
エルヴィンは、役人が訴える内容を皆より一段高い場所から見下ろして静かに聞いている。そして彼は一通り事件の概要を聞き終えると、縄で手を縛られて立っている殺人犯に向けて問う。
「なぜ殺した?」
その言葉を聞いてそれまでびくびくとおびえていた男爵が勢いよく語り始めた。
「私は妻に不倫をされていました」
その言葉に聴衆はどよめき、一気に場が騒がしくなる。その様子に冷たい声でエルヴィンは叱責する。
「厳粛な場であるため、静かにしていただきたい。できなければ、即刻この場から追い出す」
一気に聴衆は静まり返ったが、聴衆の貴族たちは皆顔を見合わせて嫌そうな顔をする。エルヴィンはその空気に気づきながらもそのまま裁判を進める。
「中断してすまない、話を続けてくれ」
「はい」
「私はその不倫を咎め、相手の男と会うことを止めるように言いましたが、二人が別れることはありませんでした。そして、妻は私にこう言ったのです。『地味でなんの面白味もないあなたに愛想がつきたのよ、いい加減気づきなさいよ。この愚図』と」
エルヴィンは一息つくと、男爵の続く言葉に耳を傾ける。
「だから、妻を殺しました。妻を自分だけのものにするにはもうこうするしかなかったんだ!」
感情が高ぶり大声で発する男爵に、エルヴィンは冷静に言葉をかける。
「妻を殺した動機はわかった。では、息子はなぜ殺した?」
エルヴィンはそのように言うが、大方の想像はついていた。しかし、彼からの言葉が証言として欲しく、あえて問いただす。
男爵は先ほど激情した自分を抑えるようにゆっくりと呼吸をしながら、おもむろに話し始める。
「息子は酒に溺れて私に暴力をふるってきました。男爵令息としてお茶会に行くも、私の醜い容姿を遺伝してしまった息子はいじめられて婚約者もできませんでした。その腹いせにここ最近は毎日のように暴力を振るったり、家のものを壊したりするようになりました。そして、先日はついにあるメイドに手を出してしまったのです」
傍聴席にいる貴族たちは、もうこの世にはいない彼の息子へ侮蔑の表情を浮かべると、男爵を憐れむような目で見つめる。男爵は縛られた両手を顔に持っていき涙を拭くが、嗚咽交じりに流す涙の量に拭うことが追いつかない。
「申し訳ございません……、私は大変な罪を犯しました。神に会わせる顔がありません、どのような処分もお受けいたします」
その誠実そうな様子を見た貴族たちは皆、心の中で男爵を無罪にすべきではないかと思った。
それだけの事情がある上に、あまりにも彼に同情の余地を感じていたのだ。
しかし、エルヴィンはその同情の空気を一掃するが如く、はっきりと男爵へと処分を下した。
「アルバン男爵、貴殿を有罪としてその身が滅ぶまで王都の獄で過ごすことを命ずる。また当然、男爵の爵位をはく奪し、そして親戚一同皆これを継ぐことを良しとせず、アルバン家を断絶とする」
エルヴィンの冷たい宣告が部屋中に響き渡る。
そして、あまりの無慈悲な宣告に傍聴席にいた貴族たちが声をあげて口々にエルヴィンを非難し始めた。
「なんだってっ!? それはあんまりすぎないか!!」
「そうだそうだ! 彼にはあまりに同情の余地がある。有罪はともかく一生獄の中だと? あまりにひどすぎるじゃないか!」
「しかも爵位はく奪だけでは飽き足らず、断絶とするのはあまりに職権乱用すぎないか!?」
「そうだ! この『冷血公爵』が!! あまりにも暴虐すぎる。先代公爵が王の弟だからと、少し横暴すぎるのではないか?」
エルヴィンの判決に納得がいかない貴族たちがそれぞれ非難し、そして判決そのものを職権乱用した他の貴族への圧力だと言い張った。
「黙れ」
冷酷なその一言に一斉に貴族たちは声をあげるのを止めて、恐れ慄く。
「人を殺したことに違いはない。貴族であれ、平民であれ、またどんな事情があれ、人を殺したらそれ相応の裁きを受けるものだ」
そう言ってエルヴィンは席を立つと、裁判が行われている部屋から退室しようとする。
紺色の公爵服をはためかせて歩くエルヴィンに容赦ない野次馬貴族たちの怒号が寄せられる。
重厚なドアを開けて廊下に出ると、そのまま王との謁見へと向かう。
ほんの少し歩いたところで先程の裁判の部屋から妙齢の女性が大きな足音を立てて走ってくる。
彼女はそのまま廊下をひた走ってエルヴィンに追いつくと、彼の服の裾を引っ張った。
「アイヒベルク公爵!」
自分よりも背の小さな腰の曲がりかけた女性に目線を向ける。
「アイヒベルク公爵、うちの息子は悪いことはやっておりません! どうか、どうか無罪に……」
無罪を涙ながらに訴える彼女はエルヴィンにすがるように公爵服をくしゃくしゃに握り締める。
エルヴィンはそのしわしわの手をそっと放すと、冷静に言葉を紡ぐ。
「処分を申し上げたときに言ったはずです。誰であれ平等に裁く。これが私の仕事です」
その言葉を聞いてこの人には何を言っても無駄だと思ったのか、女性は握り締めていた紙をぐしゃりと握りつぶすと、その紙をエルヴィンに投げつけた。
その顔は怒りを通り越して一種の恨みを抱えた表情を浮かべていた。
「この冷血公爵!!」
その言葉と紙を残すと、そのまま女性は走り去っていった。
エルヴィンはその出来事に動揺一つ見せずにため息をつくと、女性が投げつけた紙を拾い上げる。
そこには「愛しい息子へ」と書かれており、女性が息子であるアルバン男爵に向けて書いた手紙であった。
エルヴィンはその手紙をそっと胸元にしまうと、そのまま王の謁見へと向かった。
冷血公爵と言われている所以についてのお話でした。