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第17話 「君にはかなわないと思ったよ」

 シャルロッテは夢の中にいた。

 そこではふわふわと浮かんでいて、まるで雲の上にいるかのようだった。


(あたたかい……こんなにあたたかいのはどうして?)


 すると、シャルロッテは何もないはずの場所で自分を抱きしめる、見えないあたたかい存在を感じた。

 大きな雲に包まれているようなそんな感覚を覚えて、心地良くなる。

 やがてそれは人の形のように思えてきて、シャルロッテは問いかけた。


「あなたは誰?」

「……」


 問いかけても返事はなく、黙って優しくシャルロッテを抱きしめ続ける。

 そこでシャルロッテはその人物のぬくもりに心当たりが出てきた。


「エルヴィンさま……?」


 そう言うと、霧が晴れるようにその人物はくっきりとエルヴィンの姿になる。


「エルヴィンさまっ!」


 エルヴィンは静かにシャルロッテを抱きしめると、愛しい思いを伝えるように頭を撫でた。


(やっぱりエルヴィンさまはあたたかい人。「冷血公爵」なんかじゃない、とても素敵な方だわ)


 すると、エルヴィンはシャルロッテの顎をくいっとあげると、そのまま自らの唇を持っていく。

 シャルロッテは以前の彼の言葉を思い出す。



『今度は逃がさないからね?』



 甘くそして強欲で艶めかしいエルヴィンの声を思い出し、シャルロッテは顔を赤くする。


(唇と唇が合わさるというのは、つまりそういうことで……!?)


 ゆっくりと迫る唇はもうシャルロッテの唇のほんの近くまで迫っていた。


(でも、夫婦ならばそれが普通なのよね? そうよね?)


 そう心の中で覚悟したシャルロッテは目をぎゅっと閉じて、エルヴィンから与えられるぬくもりを待つ。


(そう、私はエルヴィンさまの妻になったのだから……)


 唇が重なる、その瞬間にシャルロッテは夢の世界から離脱してしまった。



「エルヴィンさま……」

「シャルロッテ!? シャルロッテ!! 私の声が聞こえるかい!?」


 やがて、ゆっくりとシャルロッテは目を開き、はっと辺りを見回しながら取り乱す。


「エルヴィンさまっ!?」


 たった今唇を交わそうとしていた夫の顔が目の前にあり、シャルロッテはベッドから飛び起きて毛布を手に抱えると、そのまま背中から後ずさったことで思いっきり壁に自らの体をぶつける。


「いたっ!」

「大丈夫かい!? 落ち着いて、シャルロッテ」


 そっとなだめるようにエルヴィンは彼女の手を握ると、シャルロッテは余計にパニックになる。


(あわわっ! どうしましょう、このまま唇を重ねて?)


 目を回して何が何やらよくわからなくなるシャルロッテをエルヴィンはそっと優しく抱きしめた。


「大丈夫、もう何も怖くないよ。安心して、私がいるから」


 エルヴィンのその言葉でシャルロッテは、先ほど唇を重ねようとしていたエルヴィンと、今目の前にいるエルヴィンが違うことに気づいて少しずつ頭を回転させて状況を整理していく。


(確か、エルヴィンさまのお家にやってきて、それでご飯が美味しくて……)


 と、記憶の混濁が激しすぎるシャルロッテは、エルヴィンと出会った当初のところから順に追っていく。


(それから、ラウラが優しくて、あ、お茶会でうまくマナーができなくて……ん? マナー?)


 ようやく自分がマナーを習っていたところから、講習中に倒れたことに気づく。


「どうしましょう! アルマ先生はっ!?」

「アルマ先生もシャルロッテのこと心配してくださっているよ」

「ご迷惑をおかけしましたよね!? どうしましょう……!」

「大丈夫、そんなことで怒る先生じゃないよ」


 エルヴィンは優しい顔つきで、取り乱すシャルロッテの頭をなでると、そのまま頬に手を置いて自分の顔を近づける。


「エルヴィンさまっ!?」


 シャルロッテは急な出来事に驚いたが、それよりも自分が先程まで見ていた夢と同じような状況になっていて、胸の高鳴りが止まらない。


(キスされるのかと思った……)


「まだやっぱり熱があるね」


(エルヴィンさまのせいだなんて言えない……)


「マナーの練習をしているときに急に高熱で倒れたんだ」

「倒れた……」


 シャルロッテは生まれてこの方風邪を引いたことがなかった。

 いや、正式にはその症状が風邪であるということを認識できていなかった。


 今までも何度か高熱や咳などを患うことがあったが、メイドは医師を呼ぶわけでもなく、黙っていつもの通りに食事とノルマの手紙を持って来るだけだった。

 それゆえにシャルロッテは体調が悪くても食事や代筆の仕事をしなければならないと思い込み、それを全うしていた。


(もしかして今までも同じように倒れていたのは、このせいだったのでしょうか)


 シャルロッテはそう思い体をゆっくり起こすと、エルヴィンに疑問をぶつけていた。


「エルヴィンさま」

「なんだい?」

「これはなんという病気なのでしょうか?」

「病気……?」


 エルヴィンはあまりにも虚をつくシャルロッテの言葉にどういう意味なのかと考えたが、少し思案して納得するとそっと微笑みながらその疑問に答えた。


「重篤な病ではないよ。お医者さんに診てもらって、少し風邪をこじらせただけだって」

「かぜ……?」


 シャルロッテは自分が本で読んで知識としてだけ知っていた『風邪』と、その『かぜ』がなかなか結びつかなかった。

 けれど、自分がエルヴィンに言われた通り重い病気ではないと知ると、安心して胸をなでおろした。


「しばらく休めば良くなるって。だから、シャルロッテはゆっくりと休むんだよ」


 そう言って頭をなでるが、シャルロッテはどうしても浮かない顔になってしまう。

 その様子を見たエルヴィンはすぐさま彼女の言いたいことを読み取ると、優しい口調で告げた。


「シャルロッテ」

「はい」

「いいかい? 頑張るのは素晴らしいことだけれど、少し今回は頑張りすぎたんだ。だからシャルロッテの体が悲鳴を上げたんだよ」


 子どもに教えるように優しく伝えると、不満そうに口をとがらせてシャルロッテは口答えを試みる。


「でも、頑張りたいんです! カーテシーも綺麗にできるようになりました。食事も前より上手に食べられるようになりました。それに、行ったことのない社交界のマナーまで勉強しました。まだまだこれから頑張らなくちゃいけないんです……」


 自分に言い聞かせるように言うシャルロッテの姿に、思わず心動かされたエルヴィンは彼女の背中に腕を回し、そのまま強く抱き寄せた。

 シャルロッテの顔はエルヴィンのしっかりとした胸元におさまり、そっと耳を澄ませるとエルヴィンの心臓の音まで聞こえた。


「エルヴィンさま?」

「いいかい、シャルロッテ。生きていくうえで一番大事なのは身体が健康なことなんだよ。それがなくちゃ何もできない。実際に君が何日眠っていたか知っているかい?」

「…………」


 シャルロッテは何日も眠っていた感覚がなく、思わずそのまま黙ってしまう。


「五日間だよ」

「五日!?」


 そんなにも自分が眠っていたとは思わず、信じられないとでも言うように目を丸くする。


「その間、まわりのみんなが何をしていたか知っているかい? ラウラは最初の二日間夜も眠らず君の身体を拭いたり、水を口に含ませたり、おでこに乗せた布を絶えず取り替えたりと看病をずっとやっていた」

「ラウラが……」

「それだけじゃない、アルマ先生は毎日のようにお見舞いに来て花束を持って君に話しかけてくださった」


 その言葉を聞き、ベッドの横にある机に視線を移すと、確かにいつもはない花瓶が置かれており、そこには赤と黄色、そして白い可愛らしい野花が生けられていた。


「アルマ先生も」

「シャルロッテが倒れたらこれだけたくさんの人を心配させてしまうんだ。悲しませてしまうんだよ」


 シャルロッテはそっと俯き、自分の両手を見つめる。


(私の身体を心配してくださる方がこんなにもたくさんいる)


 実家ではなかった自分への心遣いのありがたみをひしひしと感じながら、シャルロッテは一つの疑問が浮かび、それをエルヴィンにぶつける。


「エルヴィンさまは?」

「え?」

「エルヴィンさまにもご迷惑をかけてしまいましたか?」


 予想外の問いにエルヴィンは言葉を詰まらせて、赤らんだ顔を隠すように腕で顔を覆いながらシャルロッテから逸らす。


「エルヴィンさま?」


 あまりにも純粋無垢な表情と問いに、エルヴィンは目線を逸らしたままシャルロッテを見ることができない。なんとか心を落ち着かせると、ぼそっと独り言のように小さな声で言う。


「……に決まっているじゃないか」

「え?」

「迷惑をかけられたに決まっているじゃないか!」


 これまで聞いたことがないほどの大きな声に、シャルロッテはあまりにもショックを受けて、喉の奥がツンとする。


(やはり迷惑をかけてしまった……)


 唇を嚙みしめて我慢しようとするも、感情が抑えきれずに震えてしまう。

 しかし、エルヴィンの次の言葉はシャルロッテの予想とは違った内容だった。


「仕事をしていても君の体調のことばかりが気になり、早く目覚めないかと祈るばかり! 時間はどんどん過ぎていくのに仕事は全く終わらない。それでレオンに叱られて夜まで仕事をすることになった」

「……」

「挙句の果てには王との謁見のときに、シャルロッテを気にするあまり報告する内容を間違えるわ、退室する場所を間違えるわでクリストフにとんでもなく笑われた!」


(エルヴィンさまが仕事でそんなミスを……!?)


 これまでのエルヴィンなら考えられないようなミスの連続の数々に、シャルロッテは驚きを隠せなかった。

 息を切らし気味で捲し立てるように語ったエルヴィンは落ち着くように椅子に座ってうなだれた。


「エルヴィンさま……?」


 そっと様子を窺うようにエルヴィンの顔を覗くと、そこには見たこともないほど顔を赤くする彼の姿があった。


(エルヴィンさまが恥ずかしそうに顔を赤くなさっている……)


 シャルロッテはもちろん使用人にも見せたことのない顔をエルヴィンは見せていた。

 すると、そっとため息を一つ吐いた後で、参ったというように話し始める。


「全く、君にはかなわないと思ったよ」

「私にかなわない?」

「嘘だよ。迷惑なんてかけられていない。どうやら君のことになると私はもう正常でいられなくなるらしい」


 エルヴィンはその言葉と同時にシャルロッテの首の左側に顔をうずめると、力いっぱい抱きしめた。


「エルヴィンさま、く、くるしい」

「お願いだ、今だけはこうさせてほしい。君が一生目を覚まさなかったらって心配したんだ。ほんとに仕事も手につかなかった。私は君のことをこんなにも愛している。今こうしていられるだけで幸せなんだ」


(私のことをそこまで想ってくださるの?)


 シャルロッテは縋りつくように自分を抱きしめるエルヴィンの頭を恐る恐るなでた。


「いつもエルヴィンさまはこうしてくださいます。私はこれがとても落ち着いて好きです。なので、エルヴィンさまにも分けて差し上げたいです」


 そう言って無邪気に撫でまわすその手は、少し不器用でリズムが一定ではない。

 その慣れていないにも関わらず頑張る姿に可愛さを感じて、エルヴィンはそのままシャルロッテをベッドに寝かせた。

 この前のように押し倒す強引さはそこにはなく、風邪のシャルロッテを気遣って自分の手をクッションにして優しくゆっくりと横たわらせる。


 エルヴィンはシャルロッテの首元に唇をつけると、そのまま何度か吸い付き彼女を愛す。

 そのまま、首に手を回して抱きしめるとゆっくりとおでこにちゅっとする。


「エルヴィンさま……」

「シャルロッテ、君が私を心から好きになってくれるまで、私はいつまででも待つよ。覚悟ができたら自分の口で言って?」


 少し意地悪そうな顔を見せたエルヴィンに翻弄されるように、シャルロッテは顔を赤くする。


(だめだわ……また体が熱くなってきた。これは風邪なの? それともエルヴィンさまのせい?)


 そう思いながらエルヴィンの蒼い瞳を見つめていると、次第にまぶたが重くなってきていた。


「まだ全快じゃないからね。ゆっくり眠るといい」

「はい」


 意識が朦朧とする中で、シャルロッテは最後にエルヴィンの優しい微笑みを見た。

 


 シャルロッテが眠りについた後、エルヴィンはそっと毛布をシャルロッテの首元までかけてやる。

 子どものようにすやすやと眠る顔はさっきまでと違い、穏やかな顔つきになっていた。

 エルヴィンは氷水で布を濡らして絞ると、それをシャルロッテのおでこに乗せる。


「んっ」


 もぞっと動いたシャルロッテの頭をなだめるようになでると、また気持ち良さそうに眠り始めた。


「君は本当に私の心をかき乱す」


 エルヴィンは先ほどの自分の行動を思い出し、改めて顔を赤くしながら照れた。


「どこまで私は君を好きになったら満足するのだろう」


 ベッドで眠るシャルロッテの頬を撫でると、エルヴィンはそっと立ち上がり、彼女の部屋を後にした──。


ちょっと長くなってすみません!


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