ep.2 私の中の越後屋と悪代官 ~side薫子
「えっと……パンク……してしまったみたいで……」
私がそう答えると、悠斗くんはわざわざ自身の自転車から降りて、タイヤを調べてくれました。
「ホントですね。おウチは近いですか?」
「えっと商店街……にあるキリシマ……書店です」
「あぁー、そうだったのですか? 時々、本を買いにいってますよ」
悠斗くんは驚きつつも嬉しそうに微笑みました。
「……ぁん!? はい、母から……聞いています」
「お母さんですか? お祖母ちゃんじゃなくて?」
悠斗くんに不思議そうな顔をされてしまいました。何も悪い事をしていないのに、思わず焦ってしまいました。いえ、私はストーカーなのですから、悪い事をしていないわけではなかったですね。
「あっ、悠斗くんは……有名人ですから……ラグビーで商店街に横断幕があったり……」
「なるほど」
どうやら悠斗くんは納得してくれたようです。私はホッとしました。私が、悠斗くんを調べ尽くしているストーカーということはバレたくありません。
「それ重くないですか? ボクが押しますよ。霧島先輩はボクの自転車を押してください」
「いえいえ、そんな……申し訳ないです……」
と言っているうちに、自転車を取られてしまいました。先を行く悠斗くんに慌ててついて行きましたが、悠斗くんの自転車の軽さに驚いてしまって「すごく軽いですね」などと、つい話し掛けるような格好になってしまいました。
「それでこの後どうするのですか? パンクの修理出来ますか?」
と訊かれたところで、私は思い出してしまいました。
「あっ、あー山崎サイクルは……」
この電動アシスト付き自転車は北頭学院高等部へ入学した時に商店街にあった山崎サイクルで買いました。何かあったら、いつでも持って来なさいと言っていたのに……。15万円もしたのに……。今年の春先、店じまいをしてしまったのでした。まあ、かなりのお爺ちゃんでしたから……仕方ないこととは思うのですが……どうしましょう。
「道具は100円ショップで揃うので、ボクが修理しましょうか?」
ふぇ……頭が真っ白です。
「いえ、そ、そんな申し訳ない……です」
まさかそんな大逸れたことをお願いする訳にはいきません。
「でももう夕方だし……。近所に自転車屋さんはありませんよ。大丈夫ですか?」
「い、いえ……大丈夫じゃない……です」
そうでした。男性恐怖症である私は、朝の通勤ラッシュに電車に乗ることが出来ません。自転車がなければ、学校へ行くことも出来ないのです。
「まあ、姉ちゃんがお世話になってるみたいだし、御礼だと思って下さい」
「いえいえ、いつもお世話になっているのは私の方で……、高梨さんをお世話したことなど……」
「まあ、これも何かのご縁だと思って」
「……ぁん!? ……す、すいません」
駐輪場で、高すぎるハードルに慄いた私でしたが、どうやらそのハードルをいつの間にか潜ってしまっていたようでした。何だか凄い展開になって参りました。
「~の火曜日」。もはやどんな言葉を入れたら良いか……。それを考えるだけで、今晩は徹夜になってしまいそうです。
それから私は、悠斗くんとの自転車押しランデブーを楽しみました。山手から吹く湿った生温い風さえ、今は心地良く感じてしまいます。
橋を渡ってから川原へ降りずにそのまま国道を通っていると、悠斗くんはやや不思議そうな顔をしていました。我家はうなぎの寝床とでも言うのでしょうか。建物は、商店街にある店舗から国道に至るまで細長~く続いているのです。
「では、100円ショップへ行ってきますね」
「いえ、こちら……です。どうぞ」
自宅へ到着すると、悠斗くんはわざわざ自転車で大回りして商店街の方へ向かうつもりのようでした。ですが、家の中を通れば、100円ショップは目と鼻の先にあります。
悠斗くんはやや困惑しているようでしたが、素直に私の後ろをついてきてくれました。
「こちらです。えっと……、靴を持って来て……ください」
そして玄関から店へと続く通路へ案内すると、悠斗くんは私の靴まで手に持っており、慌ててしまいました。
「あっ、私のは……結構です」
悠斗くんに靴を持たせてしまうなんて! ……臭くなかったでしょうか? 臭くはないはずです……。どうなんでしょうか? 自覚はありませんが、もし臭かったとしたら……。後でチェックしなければなりません。
「ひゃー。な、なんだい?」
店へと続く薄暗い通路を通りながら、ずっと靴のことを考えていました。いつの間にかレジ裏に出てしまい、祖母を驚かせてしまいました。
「おばあちゃん、大丈夫だから……」
私は祖母に――彼が、幼い頃に誘拐犯から私を救ってくれた悠斗くんだよ――とこっそり耳打ちしました。
「そっ、そうかい。……孫が世話になったね」
金曜日には、川原道に飛び出しそうになったチーズを助けて貰ったことも、祖母は知っています。
悠斗くんは国道から商店街に出たことが驚きだったようで、すごく嬉しそうな顔をしていました。
「うちは……うなぎの寝床……、すごく細長いん……です」
その後は悠斗くんとお買い物デートです。100円ショップですが……。悠斗くんからいろいろ質問され、パンク修理セットと工具を一つだけ買いました。当然、お支払いは私がしました。
「おかえり……。アンタだったんだね~」
キリシマ書店に戻ると、待ち構えていたように祖母が悠斗くんに話し掛けました。普段無愛想な祖母ですが、話し始めると、とにかく長いのです。ここで捕まってしまっては悠斗くんにご迷惑をお掛けすることになってしまいます。
ですので、私は透かさず「どうぞ」と悠斗くんを通路の方へと案内しました。
それからパンク修理は見る見るうちに終ってしまいました。
「出来ましたよ」
もしお父さんが見ていたとしても、ぐう音も出なかったことでしょう。――娘の事を宜しくお願いします――なんて言ったかもしれません。
「……ぁん!? ありがとう……ございます」
「それでは、ボクはこれで。明日からもボランティア部、よろしくお願いします」
「待って下さい。どうぞ、こちらで手を……洗って下さい」」
私は悠斗くんを必死で止めました。悠斗くんの手は真っ黒に汚れています。ここまでして頂いて、そのまま帰すわけにはいきませんでした。
そして洗面台へ案内すると、手を洗っている悠斗くんにチーズが飛び付いていました。
「す、すみません……。ダメよ、チーズ」
チーズは遊んでもらおうと、悠斗くんに必死でアピールしていました。その積極さが、少しでも私にあれば良かったのですが……。
「どうぞ……、こちらへ。お茶を……用意しました」
悠斗くんが手を洗い終え、私はタオルを渡しながらリビングの方へ案内しました。断られるかも……とドキドキしましたが、ここでもチーズが良い仕事をしてくれました。
私は悠斗くんをソファーに座るよう勧め、コーヒーと冷蔵庫にあったケーキをテーブルの上に置きました。
「今日は、本当にありがとう……ございました」
私が御礼を言っていると、奥の間からペアーが何事かと顔を出しました。
「もう一匹いたんですね」
どうやら悠斗くんは犬好きなようで、目をキラキラさせていました。眩しいです。麗しいです。私は今日の出来事を一生忘れることはないでしょう。今日の事は――伝説の火曜日――とでもしましょうかね。
「はい、ペアーといいます」
ここで悠斗くんに仔犬たちを見せたら、どんな反応をするのだろうと、つい考えてしまいました。
私の中の越後屋が――圧倒的可愛さを誇る仔犬たちで悠斗くんを引き留めというのはどうですかな?――と言っています。それに対して私の中の悪代官が――お主も悪よのぉ~――まったく鬩ぎ合いませんでした。
「今、赤ちゃんがいるんですよ」
少しでも長く悠斗くんと一緒に居たいという誘惑に、私は抗えませんでした。
「えっ……」
「もうすぐ三ヶ月なんですけど、見たいですか?」
「是非!」
悠斗くんの食つきは私の想像以上でした。




