2 もう一人の幼馴染
その後、すぐに自宅のチャイムが鳴り、玄関の扉をドンドンと叩く音が聞こえた。ボクはベッドへ潜り込んで耳を塞いだ。一旦静かになると、今度は着信音とLINEの通知音が立て続けに鳴った。
「はぁ~」
ボクは一つ大きなため息を吐いて……、そのままスマホの電源を落とした。
「大丈夫だよ。いつもありがとね」
心配しているのかミーナが寄り添って来た。ミーナはとても気品がある大きな黒猫で、ボクがひとりの時以外にはどこにいるのか余り姿を見せない。撫でると嬉しそうに身をよじった。
紗枝とはもう一度きちんと話さなければならないだろう。だが、今は無理だった。すっかり忘れてしまっていたアノ母親の生々しい声が呼び起されてしまったからである。
ボクが爺ちゃんに引き取られてこの家に住むようになったのは、3歳頃のことだった。それまでは母親と暮らしていた。家族の手前、憶えていないことになっているが、実を言うとありありと記憶に残っていた。
思い出すのは、いつもお腹が減っていたということだ。アノ母親はアパートへ帰る日もあれば、連日戻って来ない日もあった。寂しくはなかった。その頃からいつもミーナが傍に居てくれたからである。
家にいる時は大抵酔っぱらっていて、常に男と一緒だった。男との睦み合いが始まると、コンビニの袋を投げ渡されベランダへ出された。そこで母親の嬌声を聞きながらおにぎりやパンを貪り食う。そんな日々だった。
その後、紆余曲折あって、爺ちゃんと暮らすようになった。その時、最初に出来た友達が、道向かいに住む紗枝とその隣に家があった康生だった。
3人は同じ幼稚園に通い、一緒に小学校へも行った。中学に上がってからも変わらない付き合いが続いた。また康生とは同じラグビーチームに所属して中学3年生の時には全国大会にも出場し、ベスト4まで勝ち進んだ。
何となくだけど、これからもずっと一緒にいるのだと思っていた。高校生になっても3人で過ごしていくのだと考えていた。けれど、それはボクの勝手な思い込みだった。
ラグビーのクラブチームを引退して、受験勉強も真っ只中だった中学3年生の冬休みに入ってすぐのことだ。世間はクリスマスで浮かれていたが、ボクらはそれどころではなかった。難関進学校である北頭学院高等部への3人揃っての合格を目指していたからである。
そんなクリスマスイブの夕暮れ時に康生から呼び出された。その時も、先程まで紗枝といたあの川原だった。
何のことだか判らないまま川原へと赴くと、紗枝と康生が向かい合って立っていた。漂う緊張感に一旦足を止めるが、康生に手招きされて、二人に歩み寄った。
「紗枝、好きだ」
すると、ボクが来るのを待ち受けたかのように、康生がいきなり愛の告白を始めた。
「これまで俺たちはただの幼馴染だったけど、これからは恋人として付き合って欲しい」
康生はぎゅっと目を瞑り、紗枝に向かって、右手を差し出した。
紗枝を見ると、目を見開いたまま、口に手を当てて驚いていた。
二人の間に立たされたボクは、果てしなく居心地が悪く、その身の置き場に困って途方に暮れた。
そして、そのままジリジリとした時が過ぎた。
クリスマスがそんな日だということは判る。判るが、何故、ボクがこの場に呼び出されたのかが判らなかった。これは康生と紗枝の二人の問題であり、幼馴染とは言え、ボクには関係がないことだ。
だから、二人を置いて、そっと帰ろうとした時だった。
「ごめんなさい。コウちゃんが嫌いなわけではないけど、わ、わたし、ユウ君が好きなの」
紗枝は康生の手を取ることなく頭を下げた。
ユウ君とはつまりボクのことである。
「うん、わかった」
混乱するボクを置き去りにして話が進んでいった。
肩を落とす康生。いや。どちらかと言えば、肩の力を抜いたといった感じだった。表情に悲壮感はなく、どこか清々しい顔をしていた。
「ごめんね、コウちゃん……」
「良いんだ、知ってたよ。だから悠斗をここへ呼んだんだ」
そして紗枝と康生が二人同時にこちらを向いた。
「悠斗、紗枝を頼む。俺は関西へ行くよ」
康生はそれだけ言い残すと踵を返した。アバヨとばかりに後ろ手に手を振って土手を駆け上がっていく。
それを見送りながら返す言葉も見つからずにいると、棒立ちしていたボクの胸に紗枝がスポンと顔を埋めた。恐る恐る見下ろすと、そのまま唇と唇が触れた。
「ユウ君、これからよろしくね」
「おっ、おう……」
初めて出来た身近な女の子が紗枝だった。幼い頃に淡い恋心がなかったと言えば嘘になる。けれど康生が紗枝に思いを寄せていたことはずっと以前から気が付いていた。また紗枝も康生が好きなんだと思っていた。
紗枝と康生の関係はそれこそ生れた頃からであり、3歳の頃に突然この街へ来たボクは余所者だった。それを優しく迎え入れてくれたのが彼らだった。幼馴染という二人だけの世界に異物だったボクを混ぜてくれたのである。
だから二人の間に割って入るつもりなどなかった。紗枝への恋心もすぐに消えた。いつか二人が恋人になった時は心から祝福するつもりでいた。
ただ異物であっても許される程度に二人と一緒にいたかった。何より3人の良好な関係を壊したくなかった。
ところが予想外の事態になってしまった……。
ボクは少し鈍感なのかもしれない。紗枝がボクを好きだなんて全く気がついていなかった。おそらく康生もそれが判っていたのかもしれない。とにかくハッキリさせる為にわざわざ道化を演じてまで紗枝に告白したのだろうと思う。
だったら……。
それならば……。
紗枝がボクを好きだと言うのなら……。
康生がそれを望むのなら……。
ボクはそれを受け入れよう……そう思った。
そうしてボクと紗枝は恋人として付き合うようになった。
その後の康生だが、宣言通りに北頭学院高等部を受験することなく、関西の強豪ラグビー部がある高校へ進学することになった。またその後は、ボクと紗枝から意図的に距離を取るようになり、居た堪れない残りの中学生活を過ごした。
幼馴染であり、ラグビーのチームメイトであり、また親友とも言える康生の目論みによってくっついたボクと紗枝だったが、やはりその場の勢い過ぎたというか……、行き当たりばったりだったというか……、結局、上手くいかなかった。
あのクリスマス・イブから、まだ一年と経っていない。
尽力してくれた康生には申し訳なさを覚えないわけではない。けれど、どこかホッとしたという気持ちも否めなかった。
今となっては……だが――
――幼い頃のごっこ遊びの感覚だったのではないか?――
と問われると自信がなかった。
――惰性だったのではないか?――
と追及されると否定できなかった。




