ep.5 ポリアモリー ~side紗枝
ポリアモリー なんて斬新で素晴らしい発想なんだろう。
恋人がいても、他に好きな人が出来てしまうことはある。感情がある人間なんだから仕方がない。人としてのそんな当り前の気持ちを抑えつけることが正しいとは、やはりわたしも思えなかった。たった一人を選んで誰かを不幸にするぐらいなら、選択などせず、全てを愛せば良い。
わたしは、真理に気が付いてしまった。小学生の頃からずっと悶々と抱えていたユウ君とコウちゃんのことも、これですべてが解決するように思えた。
それからはすっかり罪悪感も消えた。遠山先輩とも何の気兼ねもなく体を重ねた。回数を追うごとに快感が増していくのが判った。
ユウ君と遠山先輩のどちらが好きかと訊かれれば、当然ユウ君だけど、体は遠山先輩を求めていた。……そして、いつかはコウちゃんも……と思う様になった。
ただこのまま遠山先輩のことを、ユウ君に隠しておくわけにはいかなかった。フェアじゃない。それこそ浮気になってしまう。遠山先輩との交際を、ユウ君にきちんと認めて貰わなければならなかった。
ユウ君は優しい。そして頭も良い。絶対にわかってくれるはずだと思った。いずれ帰って来るコウちゃんの時の予行練習にもなる。
夏休みが終わりオーストラリアから帰って来たユウ君に、わたしは遠山先輩とのことを伝えることにした。
「わたしね、サッカー部キャプテンの、遠山先輩に、告白されたの」
告白というのとはちょっと違ったが、出々しとして、敢えてその言葉を使った。
その時はまだユウ君の顔色は変わらなかったが、「それでね。わたし、遠山先輩と付き合うことにしたのだけれど、認めてくれる?」という言葉で、一瞬だけ悲しそうな顔をした。
しかしユウ君は無理に笑顔をつくると、「……そうか。わかったよ」と答えた。
わたしはユウ君が判ってくれたことにホッとすると同時に、あまりにもアッサリした返答に、本当に理解しているのだろうかと不安になった。
「――わかったよ――ではなくて、わたしは、ユウ君が認めてくれるかどうかを訊いているの」
これからユウ君には、わたしだけでなく、遠山先輩とも仲良くして貰わなければならない。
「まあ気にすんな 、仕方ないことだ」
でた! ユウ君の【ユニークスキル:魅了の微笑み】。この笑顔は卑怯だ。下腹が熱くなる。不意にユウ君に抱かれたいと思った。
「……ぁん!? そんないい加減な答えじゃなくて、ユウ君とわたしの、これからのことなんだから、もっと真剣に考えてよ」
わたしは気を取り直して詰問する。
そんなわたしにユウ君は首を傾げ「ん?? 紗枝は遠山とかいう先輩と付き合うことにしたんじゃないのか?」と当然のことを訊いてくる。だからわたしは「そうよ」と答える。
「なら、オレには何も言うことはないよ。まあ、今までありがとうな」
「ん? どういう意味?」
「何んていうか……、まあ、お幸せにね」
「えっ……、何を言っているの?」
ここでわたしは、ユウ君が何も理解していないどころか、別れ話だと勘違いしていることに気がついた。
そして早々と立ち去ろうとするユウ君に、わたしはしがみついた。
違う。そうではない。別れるなんてありえない。
わたしは懇切丁寧に説得するが、ユウ君の反応は――紗枝の言っていることが全く理解できない――というものだった。
どうして理解できないのか、私の方こそ判らない。頭の良し悪しと学校の成績はイコールではないとよく聞くが、実は、ユウ君はバカだったのか……。
そして奮闘虚しく、ユウ君はわたしの前から走り去ってしまった。
ポリアモリーの説明をもう一度きちんとしようと、すぐにユウ君の家まで追い掛けたが、いつも開けっ放しになっている玄関の鍵が掛かっていた。ドアを叩き、チャイムを押すが、家の中からは何の反応もなかった。電話をしても、またLINEをしてもなしのツブテだった。
翌日も朝から説得を試みるが、ユウ君はまったく理解しようともず、「別れる」の一点張りで話にならなかった。
電車に乗り込む時は別車両に逃げられ、降りると私を置き去りにして走り去ってしまった。必死で追い掛けるが、彼の姿はどんどん小さくなった。
ようやく校門へ辿り着いた時、ユウ君がいつもの様に夏穂に絡まれていた。
「ちょっとーーー、ユウ君から離れなさーーーい!」
夏穂とは小・中と学校は別だったが、川原へよく遊びに来ていたので、昔から顔馴染みだった。二つ年下のくせに、その頃からユウ君目的なのはあからさまだった。
幼稚園から北頭学院に通っている夏穂は、ユウ君が入学すると待ち構えていたかのように、高等部の校舎に来るようになった。
近頃は、隙あらば無駄に育った胸肉をユウ君に押し付けようとするので、わたしはそれを全力で阻止していた。
どうしてもポリアモリーを認めて貰わなければならなかったわたしは、放課後もユウ君のクラスである8組を訪れたが、ユウ君は頑なに「別れる」と言うだけだった。
別れるはずがないのに……。
その時、中学校が同じだったモモがわたしとユウ君の話に口を突っ込んできた。
「えっ、なに、なに、もしかして、紗枝と高梨、別れるの?」
中学生の頃から化粧やマニキュアをして学校へ来たりする先生も頭を抱える問題児だった。勉強だけは出来たのか、北頭学院高等部に入学してきた。しかもモモは5組であり、わたしは2組。それが少し口惜しい。
「別れないわよ! モモは話に入って来ないでよ!」
高校生になってからは堂々と髪も染めるようになり、今では一端のギャルになっている。
「えーー、ならあーしがカノジョになろっかなぁ~。ねえ、高梨ぃ、あたし、どう?」
さも冗談であるかのような言い方をしているが、モモが以前からユウ君を狙っているのを知っていた。
「ダメに決まってるでしょ。ユウ君はわたしのカレシなんだから、手を出さないでよ!」
わたしは頭に血が上った。ユウ君が、こんなギャルと関わったら、不幸になる未来しか見えない。
「なんで……?」
ユウ君がポツリと溢した。ひとの会話にユウ君が口を挟むなんてことは珍しい。いや初めてかもしれない。それで思わずユウ君を見てしまった。
「だって紗枝は遠山先輩と付き合い始めたんだろ? ならボクが彼女と付き合っても問題ないだろ?」
だーかーらー、それは違うでしょ。それは単なる浮気だ。これまでわたしはユウ君のことをずっと信じて来た。それなのに、信じられない発言だ。
「そ、そんなの浮気じゃない! ユウ君はわたしの恋人なんだから……」
「遠山先輩とは浮気じゃないの?」
また的外れなことを……。遠山先輩は恋人だし、本気だ。決して浮気じゃない。
「へぇ~、紗枝には恋人が二人いて、ボクに恋人が二人いちゃいけないんだ?」
それは……どうなんだろう?
モモみたいなユウ君にとって害でしかないギャルをわたしが『メタモア』として認めることはない。ならば他の女子だったら……? 例えばハナちゃんだったりしたら……。
つまりわたしがユウ君と遠山先輩の二人を好きになったように、ユウ君もわたしと他の誰かを好きになることがある……ということ?
この時、わたしは初めてその現実に気がついた。
そんなのは嫌だ。ユウ君はわたしだけのモノだ。誰にも渡したくない。今更、ハナちゃんに取られるなんて絶対に嫌だ。
「もういいだろ、紗枝」
「イヤァァァァァァァァァァァーーーーーーー」
思考がショートして何も考えられなくなったわたしは、気づくと遠山先輩の傍にいた。遠山先輩は、傷ついたわたしの頭を優しく撫でてくれた。
「今日、部活が終わったら、ウチに来る?」
「はい」
わたしは遠山先輩の優しさにホッとした気持ちになれた。ユウ君のことは今でも好きだったが、考えるのに疲れてしまった。
遠山先輩に抱かれ、少し気持ちは落ち着いたが、それでもわたしのモヤモヤは晴れなかった。
そんな憂さ憂さしていた日曜日に嬉しい出来事が起きた。
なんと! コウちゃんから、突然、電話が掛って来たのである。昨年のクリスマスイブの告白以降、ずっと避けられていた。中学3年生の3学期のことを思い出すと、今でも切なくなる。そして挨拶の一つもなく、コウちゃんは関西へ旅立っていった。声を聞くのも随分久しぶりだった。
『紗枝……。元気にしてたか?』
9ヶ月振りに聞くコウちゃんの声に胸が弾んだ。
「うん!」
わたしは嬉しさで涙が込み上げて来た。
『ところで……悠斗から聞いたんだけど、悠斗と別れるんだって?』
「はっ? 何それ? 別れないわよ」
『でもオマエ、他に恋人が出来たんだろ?』
「それはそうだけど……、違うのよ。コウちゃん。ちゃんと話すから聞いてくれる?」
そしてわたしはポリアモリーの素晴らしいついてコウちゃんに語った。
確かにわたしは遠山先輩を好きになった。だからと言ってユウ君を嫌いになったわけではない。むしろ以前よりもっと好きになっていた。
幼い頃からの一番の理解者であり、一番の味方だったコウちゃんに、その思いの丈をぶつけた。
「だから、ね。コウちゃんからもユウ君を説得して欲しいの」
『……』
コウちゃんはしばらく無言だった。もしかしたらポリアモリーの未来的思考に感動しているのかもしれない。
「それに、ね。わたし、先々はコウちゃんのことも受け入れたいと思っているの」
わたしを好きだとクリスマスイブに告白したコウちゃんなら、今のわたしの言葉は嬉しいはずだ。
『……紗枝』
地を這うような低い声が聞こえた。長い付き合いだからこそ判る。幼馴染だからこそ名前を呼ばれただけで気が付いた。これはコウちゃんが怒っている時の声だ。
「えっ、なに?」
一瞬、びくりとした。何を怒っているのか判らなかったが、コウちゃんが怒っているのなら向き合わなければならない。
『おまえ最低だな。ガッカリしたよ。今後もう連絡しないと思う。それじゃ、元気でな』
電話はそのままブツリと切れた。
「へっ? へっ?? へっ??? へっ???? なんでよ?」