ep.1 不気味な彼” ~side紗枝
彼”との出会いは物心がつく前からだった気もするし、いつの間にか、わたしとコウちゃんの傍にいたような気もするし、その辺のところは少しあやふやだ。
自宅リビングのテレビの横に置かれたキャビネットの上には、たくさんの家族写真が飾ってある。旅先の名所をバックに家族3人で撮ったものから、日常のスナップまで。
その中にはコウちゃんや彼”と遊ぶ姿が幾つもあった。あまり家にいない両親が、さも円満な家庭であるかのようにワザとらしく飾ったものであり、普段は見向きもされない。
3歳から通い始めた幼稚園の入園式の写真に彼”の姿がないことから、おそらく彼”は年中さんから幼稚園に通い始めたのだろうと思われる。
小学生になってからも、彼”はわたしとコウちゃんの後ろをただ付いて歩いているだけで、会話に入って来ることはなかった。殆ど口を開くことなく、頷くか首を振るくらいのものである。
コウちゃんは優しいのでそんな彼”をいろいろ気遣っていたが、わたしは彼”から感じる雰囲気がとても気持ち悪かった。
内気という感じではない。頭が変かと言うと、そうでもない。 偶にちらりと寄こす視線には、意思がなく、感情がなく、人を受け入れない。そんな空洞のような目をしていた。
だから登下校の時間以外、わたしは彼”と距離を置くようにしていた。同じクラスだったが、教室で彼”に話し掛けることはなかった。近所というだけで、何を考えているかよく判らない不気味な子と、これからも仲良くしたいとは思わなかった。
わたしだけでなく、誰が見ても、やはり彼”は異質だったのだと思う。体が小さく痩せっぽっちで、弱そうというのもあったかもしれないが、間も無く彼”はイジめられるようになった。コウちゃんが同じクラスだったなら決して許さなかっただろうが、クラスは別だった。
クラスの男子たちは、彼”を「チビ」「クチナシ」などと揶揄って遊んでいた。
それを見ても、わたしは何も思わなかった。積極的にイジメに加担することはなかったが、止めることもしなかった。その他大勢の中で素知らぬ振りをしていた。
それでも彼”は、何事も無かったかのように、日常を淡々と過ごしていた。
イジメは次第にエスカレートしていった。
一部の悪ガキたちに机に落書きをされていることもあった。教科書をゴミ箱に捨てられたりもしていた。ただ彼”は、少し悲しそうな顔をするだけで、相変らず文句の一つも言わなかった。
「ちょっと、面貸せや」
そんな飄々とした彼”に業を煮やした悪ガキたちは、ついに彼”を引っ張って校舎裏へと連れて行った。
校舎裏には何も無く、仕切である金網フェンスの向う側は、人けがない材木置き場があるだけだった。
おそらく彼”は、そこでボコボコにされるのだと、すぐに想像することが出来た。
クラスの人達はそんな彼”をせせら笑って見ていた。
顔にこそ出さなかったが、わたしも内心でニヤニヤしていた。これがトドメになって、――明日から彼”が学校へ来なくなれば、大好きなコウちゃんと二人っきりで学校へ通える――そんなことを思っていた。
なので放課後、わたしのクラスまで迎えに来たコウちゃんから「あれ? ユウトは?」と訊かれた時、わたしは「知らない」と答えた。
ところが翌日の朝、彼”は自宅の前にいつもと変わらず立っていた。そしていつもの様に三人で登校した。何も知らないコウちゃんは相変らず頷くだけの彼”とにこやかに話をしていたが、わたしは首を傾げた。結論として、結局悪ガキたちは何もしなかったのだろうと少しガッカリしながら歩いた。
教室に入ると少しザワザワしていた。
昨日、彼”を連れ出した4人の悪ガキたちの姿がなかったからである。ホームルームが始まっても彼らが登校してくることはなかった。
当然、その疑問は昨日一緒だった彼”へと向かう。
「なぁ、おまえ、何か知らないか?」
悪ガキたちほどではないにしても、やはり彼”を揶揄って遊んでいた男子の一人が彼”に訊ねる。
「……?」
彼”は少しだけ考える素振りをみせて、いつものように首を傾げるだけだった。
2時限目が終わった辺りで学校が騒然とし始めた。そんな中で彼”だけが先生に呼ばれて教室を出て行った。
急遽授業が無くなり3、4時限目は自習になった。そして、その日は全校生徒が午前中で家へ帰らされた。
ここからの話は、わたしが直接見たわけではない。噂話も含めて後から聞いたことである。嘘や大袈裟な部分も多分に入り混じっていると思う。
わたしたちが下校した後の学校にはたくさんのパトカーが集まっていたそうである。サイレンは鳴っていなかったが、クルクル回る赤色灯がその物々しさに拍車を掛けていたという。
どうやら保護者の訴えによって、傷害事件として警察が動くことになったからだそうで、あの日、悪ガキたちは大怪我をして帰って来たとのことである。
それぞれの保護者はすぐに悪ガキたちを病院へ連れて行ったそうだが、中には骨折や頭部に酷い怪我を負った者までいて、精神状態もかなり悪いとのことだった。
そして悪ガキたちは――彼”にやられた――と口を揃えてそう主張したそうである。実際、怪我の殆どが打撲痕であり、病院からも警察へ通報があったそうだ。
そして一人学校に残された彼”だったが、首を傾げるだけで、「ただ避けていただけ」と言ったとのことである。
すぐに調べられたのは学校にある監視カメラだった。
そこには悪ガキ4人が、彼”を小突きながら校舎裏へ向かう様子がはっきりと映し出されていたそうだ。
殆ど、子供たちが寄り付かない校舎裏に学校のカメラはなかったが、材木置き場には複数の防犯カメラが設置されてあった。
そして、その材木置き場の防犯カメラには、その時の様子がありありと映し出されていた。
その映像は某動画サイトに投稿され、凄まじい視聴回数を叩き出したのだと聞いている。
わたしも父とその動画を観た。投稿者は材木屋の高校生の息子だったそうで、その後すぐに削除されたが、親にも警察にもこっ酷く叱られたそうである。
映像は悪ガキ4人と対峙する彼”。から始まる。
音声は無くとも、悪ガキたちが彼”を囲んでいるのがよく判った。そのうち悪ガキの一人が彼”に殴り掛かった。
ところが、彼”はポケットに手を突っ込んだまま気だるげにヒョイと避けていた。前半はそんな様子が繰り返される。
途中から他の者もそれに加わるが、彼”はまるで武芸の達人かのように3人の攻撃をヒラリヒラリと躱していた。
激昂した悪ガキの一人がフェンスを乗り越え、材木置き場に落ちていた角材の切れ端を数本掴むと再び校舎裏へと戻ってきた。
そして仲間たちにもその角材を手渡し、今度はその角材で彼”に襲い掛かったのである、
それでも彼”は面倒臭そうにポケットから手を出すこともなく、ただただ避け続けていた。その内、悪ガキたちの闇雲な攻撃は同士打ちになり始めた。
見様によっては彼”がそうなるように仕向けているように見えなくもないが、彼”が言った通り――ただ避けていただけ――という証言そのままの映像が映し出されていた。
悪ガキの角材が、別の悪ガキの頭に当り、怒ったその子も仕返しとばかりに殴りかかり、最後は彼”そっち退けで、悪ガキたちは角材で殴り合っていた。
その映像を見せられた悪ガキの保護者たちは顔面蒼白になって言葉を失ったのだそうだ。
自分たちの子供が言っている――彼”にやられた――という主張が全くの出鱈目であり、彼”こそが自分たちの子供の被害者であることが、あからさまに映し出されていたからである。
しかも4人で取り囲んで一方的に彼”を殴ろうとしていた。しかも角材という武器まで使って。子供とは言え悪質極まりなく、その暴行の発端がイジメであることも発覚し、しばらくして担任の先生が変わった。
それ以降、悪ガキたちが学校へ来ることはなかった。おそらく転校したものと思われる。
またそれを機に彼”へのイジメも無くなった。
彼”も彼なりに反省したようで、それ以降、ほんの少しだけ社交的になった。とは言っても、「そうだね」「嫌かな」と受け答えに言葉を添えるようになっただけなんだけれど……。
それでも不気味さはかなり解消された。彼”は少しずつ学校に溶け込んでいった。そしてこれまでが何だったのか? と思う程、能力を発揮するようになった。
運動会では周囲を置き去りにするような走りでテープを切り、あまり目立たなかった学習の方も、いつの間にかクラスで一番勉強が出来る子になっていた。学年が上がって、バスケやサッカー、野球、何をさせても、彼”は周囲から一人頭抜けていた。
自ずと彼”はクラスの人気者になっていった。
「ねぇ、紗枝ちゃんは、悠斗君と康生君のどっちが好きなの?」
この頃ぐらいからクラスの女子にこんなことをよく訊かれるようになった。
本音を言えば、物心つく前から一緒にいるコウちゃんが好きだった。一緒に居ても彼”のことはまだやっぱり少し不気味だし、よく判らなかった。
ただ子供心に、その問いに答えてはならない気がしていた。罠とまではいかないが、そこに何らかの仕掛けがあるように感じていたからである。
だからわたしは「わからない……」と、何も知らない子供のように振舞った。
それが何であるのかは、数年後に確信することとなる。
彼”そのものは相変らず無愛想なままだったが、ラグビーを始めたことと、彼”のお母さんの献身的なサポートによって、ガリガリだった彼”の身体は見る見るうちに逞しくなっていった。 元々が綺麗な顔立ちをしていたというのもあったのかもしれないが、彼”の周りはいつも人で溢れるようになった。
また、その頃から彼”は妙なことを始めた。
目が合うと誰彼構わず微笑むようになったのである。どうやら彼”のお母さんに「もう少し愛想よくしなさい」と笑顔の練習をさせられたのだと後から聞いた。
それが、のちに宮田病院の娘である宮田夏穂によって命名された【スキル:微笑みがえし】だ。その効果は絶大で、彼”の笑顔を目の当りにした大方の女子が「……ぁん!?」って言わされる。
もし、わたしがあの時――コウちゃんの方が好き――と正直に答えてしまっていたら、おそらく周囲の女子達は、わたしとコウちゃんを強引にくっつけてしまって、わたしと彼”を引き離してしまっていただろう。周囲の女子たちにとって、わたしは人気者の彼”の邪魔な幼馴染だったからだ。
あの時、咄嗟に「わからない……」と答えたわたしの勘は当たっていたのだ。
学校の廊下を歩くだけで、女の子たちからきゃーきゃー騒がれる彼”といるだけで優越感に浸れた。彼”と一緒にいる時に、他の女子から向けられる羨望の眼差しは心地良かった。
小学校4年生の秋頃までは、彼”とコウちゃんの3人で近くの川原でよく遊んでいたが、冬休みに川原で幼女誘拐未遂事件があってからは子供だけで川原へ行くことを禁止された。
それからは比較的大きな彼”の家で過ごす日が増えた。週末二人はラグビーの練習でいないことも多かったが、それでも三人はいつも一緒だった。
その頃になると、わたしは彼”をユウ君と呼ぶようになり、コウちゃんと同等の幼馴染になったのである。