内緒でお勉強(2)
いつの間にか動画が終わっていた。
今からどんなことを言われるのか。亜姫が体を強張らせると、予想とは裏腹に優しく抱きしめられる。
「動画かよ……お前が直接話して教わったのかと思ってた」
ホッとしたような言い方に亜姫の強張りが少しだけ緩む。
「違うよ、ただ観るだけで」
「どうやって練習した?」
「夜、布団の中で繰り返し観て……」
「今日の為にずっと練習してたの?」
「……うん」
「とりあえず、怒ったことは謝る。完全に勘違いしてた。俺の早とちり。……悪かった」
思わぬ謝罪。亜姫は目を見開く。
「まさかお前があんな事するなんて思わなかったから焦った。一生懸命してくれてたのに、何度も怒鳴ってごめん」
亜姫の目にみるみる水が溜まる。眉と口の端を強く下げ小さな嗚咽を漏らした亜姫を、和泉は腕の中に包み込んだ。
「怖かった……?」
和泉が囁くように問いかけると、亜姫は服をギュッと掴み大きく頷く。胸元に濡れた感触がじわじわ広がり、亜姫が声を殺して泣いているのがわかる。
「亜姫、ごめんな? ごめん。してくれたのは嬉しかったよ。本当に、すごく嬉しかった」
すると、鼻水をすすりながら亜姫が呟いた。
「不満があるなら正直に言っ……」
最後まで言わせず、和泉は亜姫の顔を上に向かせた。
「不満なんかない。本当に、すごく嬉しかった」
亜姫の目から大粒の涙がポトリと落ちる。同時に顔を歪ませて首を左右に振った。
「頑張っても上手く出来ないの。皆は普通に出来るのに。私は……」
チュ………。
和泉が亜姫の口を塞ぎ、優しく微笑んだ。
「誰を基準にしてるの? そんなの人それぞれだろ? そもそも、そんな事をしてもらいたいなんて思ってない」
「えっ?」
目を瞬かせて亜姫は驚きを見せた。
唖然とした表情に和泉はくすくす笑う。
「彼女に色々してもらいたい奴はいるだろうけど。俺は自分が亜姫にしたいんだ。
あと、正直に言うと「女」を匂わされる行為が好きじゃなかった。お前にこんな話をすんのもどうかと思うけど……女ががっつく姿ばかり見てきたせいか、なんつーか……逆に気が萎えるというか。女の汚さを象徴してるみたいで嫌悪してたし、好き勝手に触られんのも不快で」
まさか、自分のしたことが和泉の嫌いな行為だったとは。そんな事、考えもしなかった。
亜姫は愕然とする。
だが、和泉はまたくすりと笑う。
「さっきみたいな些細な触れ合いも含めて、キスとかセックスとかそーゆー類は全て、すごく汚いものだった。……お前に触れるまでは。
お前がそれを変えてくれたんだよ。今では亜姫がすること全部、俺にはたまらなく嬉しい。その拙い仕草を俺が楽しんで喜んでるって……わかってないだろ?」
「え? でも、頑張ろうとするといつも笑う……」
「バカにしてるんじゃないよ。慣れないことを一生懸命頑張る姿が可愛くて笑ってんの」
「う、そ……だって、何もやらせようとしないから……」
悲しそうに呟く亜姫に、和泉はたまらない愛おしさを感じていた。
「ちょっとしたことでも恥ずかしがる亜姫を見るだけで満足してたもん、これ以上何かしてほしいなんて思わなかったよ」
「私には期待してないから、じゃないの?」
和泉が違うと首を振ると、亜姫はまた泣き出した。
ホッとしたようなその泣き方に、和泉は尋ねる。
「不安だったのか?」
すると、亜姫は止まらない涙を何度も拭いながら胸の内を吐き出した。
皆の話を聞いていたら、自分はいつもしてもらうばかり。和泉の為に何もしていない、満足させてあげられてないと思った。
何の努力もしてこなかった自分がどうしようもなくふがいなかった。こんな自分だから和泉は何も期待せず言わないのだと。
だから、今からでも和泉に喜んでもらえるなら……と自分なりに頑張ったつもりだった、と亜姫は言った。
そんな事を一生懸命伝えてくる亜姫はやはり可愛くて。和泉の顔は自然と緩む。
亜姫にとって、近い距離で触れ合ったり体を重ねたりするのは「性欲を満たす行為」ではなく「お互いを幸せにする、純粋な行為」だ。
言うならば、気持ちを伝えたい・伝えてもらいたい為にする確認行為。
そのせいか、新しいことを覚えたり学んだりすることへのひたむきさが勉強を頑張ったりおっぱいについて調べたりすることと同列にある。
その純粋さが可愛らしくもあり、逆にいやらしくもあり……その姿そのものが和泉の気持ちを満たし煽るのだが、亜姫はそのことに全く気づいていない。
色気が足りない、魅力も足りない自分に出来る事は何か。それを探し努力する全ては「和泉に喜んでもらいたい」為だ。
その姿こそがどれほど色気と魅力に満ち溢れ、和泉をどれだけ幸せにしているのか。きっと、亜姫は一生気づかないのだろう……と和泉は思う。
いつの間にか、冷静沈着な自分などどこにもいなくなっていた。
亜姫の不意打ちな行動に翻弄され、こんな早とちりをするなんて。以前の自分からは想像すらできない。
あれじゃ、いつもと逆じゃねーか。亜姫のぶっ飛び思考が移っちゃったかな……。いや、文化祭でも似たような事はやらかしてたか。
和泉は思わず苦笑する。
しかし初歩レベルとは言え、触れ合うことに関して亜姫に主導権を握られる日が来るとは……。
最近、何気ない日常の中でも色気が垣間見える時が増えた。それに周りの男どもが惹かれていることに和泉は気づいている。
亜姫がこの先どれだけいい女になっていくのかを考えると……。和泉の心配は尽きない。
溜息をつきながら和泉は亜姫をギューっと抱きしめた。それに応えるように腕を回す亜姫がまた可愛くてしょうがない。
「お前に不満なんかあるわけ無いだろ。逆に、俺の方がいつか嫌がられんじゃないかと思ってた」
「そんなこと思わない……」
小さな声で言いながらギュッとしがみつく亜姫がますます愛おしい。
「とりあえず、あの動画はもう見ちゃ駄目。覚えたいなら俺が教えてやるから。いいな?」
亜姫が頷くのを確認して、和泉は携帯から動画を削除した。
「不安はちゃんと俺に言えよ。一人で抱えるな。一緒に考えるって約束しただろ?」
囁きながら頬に口づけると、亜姫は素直に頷く。
「私も和泉を喜ばせたいの」
卑猥な意味ではない筈なのに、亜姫のほんのり甘えた声に体が熱を帯びてしまう。
和泉は気を散らしながら軽やかなキスを落とし、じゃあこれからも時々してくれるかと尋ねると、亜姫は嬉しそうな顔で頷いた。
その気の抜けたような緩んだ笑みは自分にだけ見せるものだ。この顔を見ると、和泉は愛おしくてたまらなくなる。
果たして「好き」と言う気持ちに上限はあるのだろうか。
自分の中から湧き出る気持ちに歯止めがかからず、時々自分でも怖くなる。それでも、もう亜姫がいない人生など考えられない。
──お前さぁ、もう少ししっかりしろよ。今のままじゃ、亜姫に愛想つかされても何も言えねぇよ?──
以前、熊澤に言われた言葉が頭に響く。
……わかってるよ、そばにいたいならもっと変わらないと。今のままじゃ、いつか亜姫に置いていかれそうだ──
自身の成長の遅さにはうんざりしてしまう。それを隠して、この日はとことん亜姫を甘やかしたのだった。
後日、和泉から問い詰められたヒロと戸塚は大笑いしていた。
「いやー、亜姫が和泉に内緒で色々教えてって言った時、ぜひとも実践で手取り足取り教えてやろうと思ったよ」
そう言うヒロを和泉は蹴飛ばす。
「想像以上に面白い展開になったなぁ。こんなことなら、後回しにしないで先に色々仕込んどきゃ良かった。
一応、和泉が嫉妬しないように気を使ってあげたんだけど? 俺ら、偉いと思わない?」
だからジュース奢ってと言った戸塚のことも、和泉は蹴飛ばした。
そして熊澤はと言うと。
沙世莉からは何も聞かされておらず、ただ「一緒に亜姫の所へ行こう」と言われていただけだった。
話を聞いた熊澤は「恋愛スキルの低い二人に余計なことをするな」と沙世莉に散々説教したそうだ。




