11月
ある昼休み。
琴音が教室へ飛び込んできた。
「大変大変! 和泉が女嫌いになった!」
「ほぇ?」
好物のパンを嬉しそうに頬張っていた亜姫が顔を上げる。と、琴音がそれを取り上げながら叫んだ。
「あの和泉が! シてないんだって! 一ヶ月前から!」
興奮した琴音がパンをちぎって口にする。それを取り返しながら、亜姫は首をかしげた。
「それがどうしたの?」
「別にいいんじゃない?」
麗華も興味なさそうだ。
「よくない! 今、大変なことになってるよ!」
ある日突然、和泉が誘いにのらなくなった。断るのは昔からだが、これまでと違うのは頑なに拒否するようになったこと。更に、女が近づくだけで強い嫌悪感を示すようになった。
断られた者が何人もいる。彼女達はしつこく付き纏ったが、和泉は揺るがなかった。
女を選ぶようになったのではないかと、我こそはという者が突撃。
特定の女ができたと噂が噂を呼び、問いただしに行く子が多発。
逆に、誰か一人に絞るつもりならと候補に上がるべく近づく子。
関わった女達が何かしでかしたのではと、至る所で犯人探し。
「学校中そんな子達で大荒れ! 既に関わった子達も約束を放棄して、和泉の周りもすっごいことになってる!」
「へぇ……。イズミとやらって本当に人気があったんだ? すごいねぇ、まるで芸能人みたい」
「まぁ、だいぶ楽しんだみたいだし? もういいやって思ったんじゃないの?」
「もー、二人とも! ちゃんと聞いて!!」
興奮する琴音をよそに、パンに夢中な亜姫と和泉に興味がない麗華は他人事だ。
「亜姫? 今なら、和泉の周りにたかるプルプルおっぱいの群れを見られるんだけど?」
「えっ! それはちょっと拝みたい!」
「でしょ? 後で連れていってあげるから、ちゃんと話を聞きなさい」
うんうん、聞こうではないか。亜姫は簡単に釣られた。
「で? 本人は例のごとく、喋らないわけ?」
麗華もどうやら付き合うことにしたようだ。
「飽きた、って言っているみたい」
「じゃあ、やっぱりヤり過ぎたんじゃない? 何事も程々にって言うしね」
「でもそんなに騒ぐことかなぁ? 別に意外だとは思わないよね、だって元々乗り気じゃなかったんでしょう? どうしてそんなに大騒ぎするんだろう?」
「さすが亜姫! いいとこに目をつけてる!」
琴音はこの先を言いたかったらしく、目に見えて張り切りだした。
「以前、行為後にやたら溜息をつくって話があったでしょ? そこから、実は好きな女がいるんじゃないかって噂になって。その真相を知りたいってのが、騒ぎの大元」
「え……本人が飽きたって言っているのに!?」
亜姫は驚きに目を見張る。
「頑なに断るだけじゃなくて、ちょっと手が触れたりするだけでもあからさまに嫌がるんだって。今まで、どんなに纏わり付かれても振り払ったりなんてしなかったのに。それが噂に輪をかけてる」
「んん? どうしてそれが騒ぎの元になるの?」
「誰か一人だけが特別なんて許されないし、和泉が誰かを選ぶのも許せない。だって和泉は皆のモノなんだから。って言うのが皆の建前。でも本音は『特別なのは誰か』を知りたい。
自分かもしれないという期待。自分以外なら認めないと、何かしらの攻撃材料を探したい。誰かを選ぶ和泉を許せないと思ってる子もいるかも。そんなところじゃない?」
「えぇっ? だって皆、イズミとやらのセッ……しか興味なかったんじゃないの? だから、約束守るからってしつこくオネダリしてたんでしょう?」
「今までは、それが和泉に近づく一番いい手段だと思われてたんでしょ。関係を持てるのは特別な事だと思われていて、だからシた子達は自慢げに暴露してきた。
要は、どの子も最初から和泉を自分のものにしたかったって事よ。あんな節操無しの最低野郎にそんな事考えるなんて、私には理解できないけど」
麗華が呆れた顔で吐き捨てる。
亜姫は、何もかも理解できなかった。
「ねぇ、どうして誰も彼の話を聞かないの?」
「え?」
「だって、イズミとやらの自由でしょう? 何をしようが、誰を好きだろうが。
オネダリにも質問にもちゃんと応えてきたのに。どうして彼の話を誰も聞いてあげないのかなぁ?」
「有名人なんてそんなもんじゃない? 芸能のゴシップと一緒だよ」
琴音はそう言って笑ったが、亜姫は彼のつまらなそうな顔を思い浮かべて顔を曇らせた。
彼のしてることは決して褒められたものではない。
けれど話を聞いている限り、彼の行動で誰かが傷ついたりはしていない。どちらかというと、女の子の我儘な望みを彼が叶えていたようにみえる。
自ら進んで行っていたわけでもない。むしろ本人の意志に反した事を無理やり押し付けられ、それが長いこと続いていたわけだ。
そんな彼がこうして強い意志を示したのなら、逆に尊重されてもいいのではないだろうか? なぜ彼が責められているように見えるのだろう、悪いことをしているわけではないのに。
亜姫は想像する。ますますあの顔で過ごす時間が増えているんじゃないかと。
同時にヒロと戸塚の顔を思い出し、彼らが隣で笑っていたら少しは楽しいのだろうか……とちょっとだけ思った。
◇
あれからしばらくして、亜姫は和泉を見にいった。正確に言うと、琴音に連れられ、彼の周りに集う「集団プルプルおっぱい」を見にいった。
その中にあのつまらない顔もあるかと思ったけれど。俯いたまま動かない姿が見えただけで、どんな顔をしていたのかわからなかった。
「すごかったねぇ、集団プルプルおっぱい! あんなに沢山のプルプル、もっと近くで見たかったなぁ……目の前で見たらどんな感じなんだろう……」
亜姫は興奮冷めやらぬ様子で手をワキワキと動かし、「揉む動きをするんじゃない!」とまた麗華に叩かれる。それでも頭の中は沢山のプルプルでいっぱいだ。
「あのプルプルおっぱい……皆、どうやって作ってるのかなぁ?」
うっとりした顔で呟く亜姫に、麗華と琴音が冷たく言い放つ。
「あの中にはパッドで作った偽物も沢山あると思うけど?」
「わざと小さいサイズを着て、胸を強調する子もいるしねぇ」
すると亜姫が目を輝かせて叫ぶ。
「それだ! シャツを小さくしたらプルプルおっぱいに見えるかも!? 麗華、今すぐ交換しよう!」
「亜姫と同じサイズで買ったじゃない。忘れちゃったの?」
「あ、そーだった」
そして自分のゆとりがあるシャツと、マシュマロみたいなおっぱいで張りのある麗華のそれを見比べて「なぜ……」と項垂れた。だが、まだ負けじと叫ぶ。
「あ!! じゃあ買い直して……」
「無駄よ。小さくしたところで、亜姫の胸があのプルプルになるわけじゃないんだから」
「それ、パッドと同じ小細工。自前のプルプルにこだわるんじゃなかったの?」
またもや冷たく一蹴された亜姫。
「プルプルおっぱい……手に入るのはいつになるやら……」
亜姫がガクーンと首を折ったところで、後ろからブハッと噴き出す声。
振り向くと、そこにはヒロがいた。
「おっぱいを連呼する変な奴……と思ったらお前かよ!」
「あ、ヒロ。久しぶり。元気……じゃ、なさそうだね?」
ヒロは見るからにゲッソリしていた。いつもの調子で笑っているけれど顔がやつれているし、疲れ果てた空気を醸し出している。
「……大丈夫?」
「おぉ。って言いたいとこだけど、ちょーっと疲れてるかな。……見てわかっちゃう?」
「うん。顔、けっこう酷いよ?」
すると、琴音が遠慮がちに問いかけた。
「和泉のあれが影響してる?」
「あー、やっぱ知ってんだ? まぁ、こんだけ騒ぎになってりゃわかるか」
困った様子でヒロは苦笑する。
「あー……っと、俺には何も聞くなよ? 聞かれても何も答えられないから」
ヒロが先に断りを入れ、さすがの琴音もそこは素直に頷いた。
「いやぁ、なかなかキッツい毎日で疲れてたんだけどさぁ。亜姫のお陰でちょっと元気出た」
「ん? なんだろう……バカにされてるのかな?」
「してねーよ、褒めてんの」
「んん? なんだか、微妙に嬉しくないのはどうしてだろう?」
「ははっ。今度から、襲撃を受けてる時はこの話を思い出すことにするわ」
「何の話?」
「集団プルプルおっぱいを近くで拝める喜び、だっけ? 亜姫の代わりに噛みしめることにするよ」
「それも聞いてたの? って、えー! いいなぁ、私も近くで拝みたい!」
亜姫のおかしな返答に、ヒロはまた声を上げて笑う。
「自前のおっぱい、プルプルになるよう頑張れよ?」
そう言って遠ざかるヒロの後ろ姿は、やっぱり疲れて見えた。
ヒロですらあの様子なら、当のイズミとやらはもっと疲れているんだろうな……と、増々つまらなそうになる顔を想像して。ちょっと可哀想だな、と亜姫は思った。
校内を騒がせている和泉の噂は「彼女、もしくは好きな女がいる」という内容一本に絞られ、相手を特定する動きでしばらくの間殺気だっていた。しかし、多数の候補者が上がる中で特定には至らず。
そして「黒髪で笑顔の子」が候補に挙がることも一度もなかった。
和泉とその子に接点が無い。それが大きな要因ではある。しかし、和泉の好みは巨乳で色気のある女だと思われていた為、真逆のその子は対象外で誰も勘ぐりすらしなかったからだ。
だが、もし接点があったとしても、やはり誰も勘ぐりはしなかったであろう。その子の隣には、色気たっぷりな巨乳の美人がいたから。
だから。その子が和泉の思いに気づくことも、もちろんなかった。
その後はヒロ達の協力もあり、関係を持った子達は約束通り関わることは許されず。未だにチャレンジしたいと思う子が近づくことはあるものの、しばらくした後に騒ぎは一応の収束を迎えた。