翌日(2)
「亜姫!」
和泉は立ち上がり、閉まりそうな扉を勢いよく開ける。
そこには、制服のスカートとキャミソールを身につけた亜姫が立っていた。
「──なんだ。全然汚なくないじゃん。あんな言い方するからどれだけ酷いことになってるのかと思った。でも、昨日と何も変わらない」
何でもない事のように和泉は言った。
実際、和泉にとっては亜姫に会うことさえ叶えば、全ては些細なことだった。
「うそ。こんなの、見てられないでしょう……」
和泉は涙ぐむ亜姫の手を取る。
「この赤いのは、確かに痛そうで見てられない。
これ……風呂で擦って出来た傷?」
亜姫は頷く。
「全然落ちないから……」
足の方は殆どわからないが、首から下の肩や腕、デコルテ部分は擦過傷で真っ赤に腫れ上がり、血も滲んで痛々しい。昨日触られたところをひたすら擦っていたのだろう。
「どれだけ擦ったんだよ。血が出てるじゃん」
和泉は亜姫の背中側までぐるりと確認する。
「これ、服の下も同じ状態?」
再び頷く亜姫の真っ赤な二の腕を、和泉はそうっと撫でた。
「痛いだろ……傷だらけじゃん」
けれど亜姫は首を振る。
「痛くない。汚いからあんまり見ないで……」
倉庫での擦り傷に上書きした首の跡、それと新たに出来た真っ赤な傷。それ以外に目立つような傷や痣は見当たらない。亜姫が何を汚いと言うのか、和泉には本当にわからない。
それをそのまま伝えると、亜姫はとうとう泣き出した。
「うそ。こんなにシミだらけなのに……そんなわけない。
ねぇ、正直に言って。今の私を見てどう思う? 見る人に不快感、与えない……?」
泣きながら訴えられ、和泉は正直に答えた。
「いや本当に、シミっていうのが何なのか全然わからない。どこにあるの? 昨日は見当たらなかったから新しくできてるんだよな?
新しいのは……この赤い傷しか俺には見えない。それ以外は普通に綺麗だけど?
それより、やっと亜姫の顔を見られて……思いがけずキャミ姿まで拝めたことにかなり浮かれている」
沈黙が空間を包む。
「………は?」
「……え? どう思うか正直にって言うから答えたんだけど?」
「……変態……」
「なんでだよ。ようやく亜姫に会えたってだけで浮かれるのに、制服着てると思ってたらそんな格好で出てくるんだもん。そりゃダブルでテンション上がるだろ? 健全男子の思考じゃん。下は制服ってのがまた着替え途中っぽくて……」
最後まで言わないうちに亜姫が怒鳴り声をかぶせてきた。
「変態! そんなこと聞いてない! 私は汚いのをどう思うか聞いてるの!」
「だから汚いとこなんかどこにも無いんだって。何を気にしてんのか知らないけど、普通に綺麗だって言ったろ? シミなんか一つも見当たらねぇよ。
正直に言えっつったのはお前なのになんで怒るんだよ」
「バカッ! もういい! 和泉に聞いたのが間違いだった! もう! 出てってよ!」
和泉は体半分を洗面所に入れていたのだが怒った亜姫に突き飛ばされ、目の前で扉を閉められた。ガチャッとかかる鍵音に和泉は焦る。
「おい、だから俺もそっちに入れろって!」
「着替え中! 終わったら出るから入ってこないで! バカ! 変態!」
扉の向こうで叫んだ亜姫は、そのあともなんだかぷりぷりしている。
すぐに出てくると聞き、和泉は安堵する。そして後ろを振り返り、「…………………あ」と声を漏らして固まった。
そこには。
またもや忘れ去っていた亜姫の両親が、揃って和泉を見ていた。
「あ……なんか……すいません……」
色んな気恥ずかしさが一気に溢れ、でも無視することも出来ず。
和泉は視線を外して軽く会釈した。
そこへ、亜姫の母が優しい笑顔を向ける。
「和泉君、亜姫の準備ができるまでコーヒー飲まない?」
「ありがとうございます。じゃあ、いただこうかな……」
返事をしてる間に、亜姫の父は無言で席についていた。目は合わない。
和泉は、ここに来る時決めていた事が二つある。
亜姫との会話で変な空気になってしまったが、何があってもこの二つはやり遂げると決めてきた。
気持ちを入れ直し、「座って」と笑う母を見る。それから伺うように父を見て、誰に言うでもなく声をかけた。
「すみません。朝から図々しく上がり込んで、みっともないとこまで見せちゃって……。昨日も、ですけど……」
「いいから座って座って!」
気にしてなさそうな母の声を聞き流し、今度は父だけを見る。
「あの、おじさん……挨拶が遅れました。
俺、和泉といいます。和泉魁夜です。亜姫と……亜姫さんと同じクラスで……6月から、お付き合いさせてもらってます」
そこで、ようやく父と目が合った。
その顔に表情はなく、考えは読めなかった。
しかし、まずは一つ目。
視線をしっかり父に固定して、和泉は言った。
「昨日……大事なお嬢さんをあんな目に合わせてしまい、申し訳ありませんでした」
言い終わると同時に深く深く……頭を下げた。
部屋に沈黙が流れる。静寂が一生続くような気がした。息をすることすら憚られ、和泉が少し息苦しさを感じ始めた頃。
「顔を上げなさい」
低い男性の声に体を起こすと、こちらを見据える父と目が合った。やはり感情は読めない。
「和泉君と言ったか。……君のせいではない」
落ち着いた声で言われたが、目は逸らさず「いえ、俺のせいです」と返す。
「俺は石橋が亜姫に執着してるのを知っていました。学校からも、気をつけろ一人にするなと言われていました。
あいつが亜姫を知るキッカケは……俺でした。
亜姫が連れていかれた時、俺はすぐ近くにいたのに気づけませんでした。
全部俺のせいです。謝って済むとは思っていません。だけど……申し訳ありませんでした」
再度、深く頭を下げる。
と、バン! と勢いよく扉が開き「違う!」と亜姫が飛び込んできた。
「違う! ずっと守ってもらってた。昨日もすぐ助けにきてくれたの。お父さん、お願い誤解しないで!」
叫ぶ亜姫を無視して、和泉は頭を下げ続けた。それは、
「和泉君、君が謝る必要はないよ」
と父に優しく言われるまで続いた。
「何度でも言う。君のせいではない。たとえ君がキッカケであったとしても、悪いのは彼らだ。
娘はもっと酷い目にあうところだった。そうならずに済んだのは君達が体を張って助けてくれたおかげだ。
恥ずかしながら、私達は連絡を受けるまで何も知らなかった。頭を下げなければならないのは私達の方だ。
……亜姫を、守ってくれてありがとう」
そう言って、今度は父の方が和泉に頭を下げた。その隣で母も深々と頭を下げる。
「え……っ!! いえ、俺がお礼を言われるようなことは……いや、頭上げてください! マジで、頼みます! いやホントに! うわ……こんなん、俺どーしたらいいかわかんねぇッス!」
想定外の出来事にパニクった和泉は口調が崩れるのを止められず、それを聞いて頭を上げた両親がちょっと笑ってくれてホッとした。
そんな二人に向かい直し、和泉は言った。
「あの、俺……話したいことがあるんですけど。今、少しだけ時間をもらえますか?」
二人は顔を見合わせてから無言で頷き、母もコーヒーを持ち席に着く。
椅子を勧められたが断って、まだ涙目の亜姫だけ座らせた。
「亜姫さんと……亜姫と付き合ってます。俺、ろくでもないところしか見せてないし、見た目もこんなんで印象が悪いかもしれません。だけど……遊びじゃないです、真剣です。本気で惚れてて。
自分なりに……かなり、大切にしてるつもりです」
そこまで言って、大きく息を吸った。
今から二つ目。ここからが勝負だ。
和泉は父の顔をまっすぐ見据え、拳をギュッと握りしめた。




