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翌日(1)

 翌朝。

 和泉は亜姫の家の前に立っていた。

 

 昨夜は帰宅してすぐ横になったが、殆ど眠れなかった。

 連絡は一度も来ていない。泣いていた亜姫が心配でたまらなかったが、寝ているかも……とこちらからの連絡するのは憚られた。今朝、「迎えに行く」とメッセージを入れたが返事はない。

 

 何度も送り届けて見慣れた家。

 だが親がいるのは初めてで、さすがにちょっと緊張してしまう。インターホンを押すのに躊躇して、しばらく門の前に突っ立っていた。

 

 何事にも動じない質だと自負していたが(亜姫に振り回されることは別として)、好きな子の親──特に父親──に会うかもしれない……そう思うと冷静ではいられない。

 母親には昨日会ったけれど、情けない姿を晒しまくった自覚があるのでこれまた会いづらい。

 

 亜姫から連絡がないのも不安だった。

 何かあったのだろうか、家にちゃんと居るだろうか。

 

 今すぐ無事を確認したい気持ちと不安で現実を知りたくない気持ちが拮抗する。

 

 亜姫のことになると、なぜか気が小さくなってしまう。

 怖じ気づいている自分に失笑する。

 

 あれだけ考えて、覚悟を決めてきたんだ。しっかりしろ。

 

 そう自分を叱咤して、和泉はようやくインターホンを押した。

 

 

 

 玄関はすぐに開き、亜姫の母が出てきた。

 その顔を見て和泉は驚愕する。明らかに寝ていないと分かるからだ。 

 優しそうな雰囲気だったその顔は一晩でゲッソリとやつれ、今にも倒れてしまいそうだ。

 

「おはようございます。……具合、悪そう……大丈夫ですか?」

 

 母は笑顔を返してきたが、その顔は昨日の帰り際に見た亜姫と同じだった。

 

「そんなに酷い顔してる?」 

 明るく話そうと努めるその様子に、この先の会話をするのが怖くなった。

 そんな気持ちを飲み込み、和泉は言葉を繋ぐ。

「亜姫、何かあったんですか……?」

 

 

 母曰く。

 あのあと、亜姫はすぐに泣き止んだ。

 帰る前に病院へ寄り、その後普通に帰宅。家に着いてすぐ「風呂に入りたい」と浴室へ行き、それきり待てど暮らせど出て来ない。心配になった母が様子を見にいくと、ひたすら体を洗っていた。

 「汚れが落ちない」と泣く亜姫をどうにか引きずり出したが、その時には傷だらけであちこち真っ赤になっていた。

 ようやく布団に寝かせるも、ウトウトしては魘される。その度にパニックを起こして暴れたり怯えたりしていた。

 亜姫が体を触られる事に強い拒絶を示した為、母親はそばで声をかけることしか出来ず。

 それを一晩続けた末、疲れ果てたのか……亜姫は明け方一時間ほど眠っていた。

 そしてまたシャワーを浴びると浴室に入り、そこからずっと出て来ない。


 

「出てこない……? 体を洗い続けてるんですか?」

「浴室からは出てるみたい。洗面所の鍵をかけて、一切反応しないのよ。

 無理やり開けるのもどうかと思って、声だけはかけ続けてるんだけど……返事もしないの。

 今の亜姫は何をするか分からないから不安でね……。もう、こじ開けようかと思っていたところ」

 

 そんなわけで、わざわざ来てもらったけれど登校出来るとは思えないから……と和泉を気遣う母に、

「少し、上がらせてもらってもいいですか?」

 とお願いをして、和泉は家の中へ入った。

 


  

 ◇

 おじゃまします、と靴を揃えて上がる。

 すると右側の部屋にいる男性と目が合った。亜姫の父親だとわかったが会釈するだけに留め、母の後について左側のリビングへと足を進める。

 

 リビングの奥に引き戸があり、そこが洗面所だと言う。

 軽く二回、ノックする。だが返事はない。

 

「亜姫? 聞こえる? ……俺。おはよ」

 

 反応はない。再度ノックするが無反応。 

 母の方を振り向き様子を伺うと、まだここにいても良さそうだ。なので、和泉は改めて扉に向き直る。

 

「亜姫? 昨日は眠れた? ……俺はあんまり眠れなかった。

 最後、顔見ないで帰っちゃったからさ。帰ってからすげぇ後悔した。なぁ、顔……見せて」

 

 衣擦れの音がする。無言だが、言葉は届いているとわかった。

 

「会いたいんだけど。一瞬でいいから開けてくれない? 顔だけ見られれば、また鍵をかけていーから。な?」

 

 何かが動いた気配がして、様子を伺うと。

「いや」

 小さな声がした。 

「なんで?」

 静かに問う。

 

 しばらく無言が続いた。

 

「汚いから……見られたくない……」

 ポツリと呟く声。

 

 この『汚い』は、間違いなくあいつらに触られたことだろう。ずっと苦しみ続けていたことを想像して、和泉はいたたまれなくなった。

 

「おばさんから聞いた。昨日、体中擦ったんだって?」

「取れないんだもん。汚れ、全然落ちない。シミだらけで、汚いの……」

 鼻をすする音がする。

 

 昨日気づかなかった部分が痣になっているんだろうか。姿が見えないと和泉の不安も増してくる。 

「もしかして……あいつらに言われたことを気にしてる? 亜姫は汚れてないよ。昨日も言っただろ?」

 

 返事はない。代わりにすすり泣く声が聞こえてきた。

 

 今すぐ抱きしめたい。こんなところで一人で泣かせたくない。 

 和泉は焦る気持ちを抑え、扉に額をつけた。亜姫の動きを全て感じ取れるようにと、祈りを込めて。

 

「なぁ、亜姫。ここ開けて。もうお前の状態が気になってしょうがねぇよ。

 連絡がないだけで死ぬほど心配してたのに。その上そんなこと聞かされたら、マジで気が狂いそうなんだけど。

 ……そんなとこで泣くなよ。泣くなら俺んとこにしろって」

「見られたくない」

 泣きながら呟く亜姫に、

「一人で泣くなってば……」

 和泉も小さく呟く。

 

 開かないドアを蹴破りたくなる。

 和泉は気持ちを切り替えようと、大きく息を吐き出した。

 

「俺は毎日来るよ。亜姫が会いたくなくても、学校に行かなくても。朝も放課後も必ず会いに来る。

 お前に会えないとか連絡取れないとか、ほんと無理。一晩連絡とれないだけで既に死にそうなんだけど。

 俺がお前のことどれだけ好きか知ってるだろ? 昨日のあれを見ても気持ちは変わんないんだから、今さらどんな姿見ても何とも思わねぇって。 

 俺、朝は弱いのに。今朝はお前に会いたくて目覚まし鳴る前に起きちゃってさ、驚いた冬夜から大地震が来るって言われたよ」

 今朝の冬夜を思いだして、ちょっと笑った。

 

 相変わらず亜姫は無言。すすり泣く声が時折聞こえるが、声は届いていると信じて続ける。

 

「迎えに行くって言ったのに遅刻したら笑えないじゃん。早めに行くって言ったし。実は、かなり前に着いてた。

 でもインターホン押そうと思ったら、柄にもなくなんかスゲー緊張しちゃって。昨日は昨日でおばさんにかっこ悪いとこ見られたし、色々怖じ気づいてさ……家の前でしばらくウロウロしてたんだよ。

 俺、今まで怖いものなんて無かったのに……」

 

 そうだ、ビビってたんだった………。

 和泉は亜姫のことばかり考えて、自分の置かれている状況をすっかり忘れていた。 

 それを思い出したら、もう色々な事に耐えられなくなってきた。

 

「なぁ。今日、学校行く? 休むなら、一度帰って放課後また来るよ。そん時、顔見せてくれればいいからさ。……って言いたいとこなんだけど。

 余計な話をしてたら、自分が今どんな状況なのか思い出してきちゃった……」 

 扉に額をつけたまま、体もくっつけるようにして和泉は続ける。 

「そうだ……俺、なかなか押せなかったんだ……亜姫の親に会うだけでこんな緊張すんのかよって……。

 なのにおばさんの話聞いたら心配になって、オヤジさんと目が合ったのにろくに挨拶もしないでここまで来ちゃったし……。もー、お前のことになるといつも上手く出来ない……」

 

 恐いもの知らずだった頃に戻りたい。

 亜姫が絡むと全然だめだ。かっこ悪すぎる。

 

 昨日乱れまくった感情がまだリセット出来てないのかもしれない。

 人と対面する緊張や恥ずかしさ等、ほぼ未体験の色んな感情が一気に溢れ出てくる。

 その勢いに和泉は飲み込まれそうになっていた。

 

「亜姫。聞こえてるよな………? お前、まだしばらくそこにいる?

 もうさ……気が済むまで閉じこもってていい。その代わり……俺もそっちに入れてくれ」

 

 扉の向こう側で亜姫が身じろぎした。

 

「もう俺、一人でこの家出てくなんて無理。

 ……今、後ろを振り返る勇気が出ねぇ」

 

 中では、亜姫が驚きすぎて泣き止んでいた。

 だがもう和泉に気づく余裕は無い。

 

「初めて会う親の前で、朝から勝手に上がり込んで俺は何をやってんだ……。なのに、お前にまで無視されて顔すら見せてもらえねーし。

 今さらどの面下げて親の顔見ろっつーんだよ。そんな勇気、残ってないって……もう怖くて振り返れねぇよ」

 

 亜姫から返事はない。

 

「なぁ、聞こえてんだろ? 無視すんなよ。お前だけそっちにいるなんてズルくない? ここ亜姫んちで、俺なんて完全アウェーなのに隠れる場所すらねーんだぞ。

 いいって言われるまでそっち向かないって約束するから。なぁ、頼むって……今も俺、ずっと独り言言ってるみたいになってるじゃん……亜姫、いいから開けろよ今すぐ。

 あー、もう! 今なら羞恥で死ねる。穴があったら入りたい……」

 

 精神的限界を迎えた和泉はぶつぶつ言いながら扉にくっつけた体をずるずると降ろし、とうとう蹲った。 

 柄の悪いお兄さん達がするようなしゃがみ方で下を向き、ぶつぶつ言い続ける和泉。

 

 と、上から声が降ってきた。

「ねぇ、なにをしてるの……?」

「入れる穴がねぇか探してんだよ」

 

 そこで声の主に気がつき、顔を上げると。 

 閉じていた扉がほんの少し開いていて、そこから亜姫が覗いていた。 

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