亜姫と熊澤(2)
熊澤が去っていき、二人は倉庫で必要な材料を揃える。
そして教室に戻る前。亜姫は和泉を連れて、再び非常階段へ向かった。
亜姫は静かに説明する。
話を聞きながら、和泉はただ亜姫の髪を撫でていた。
「……私も好き、って返事した」
和泉は変わらない。
「ドキドキするのは和泉にだけ、って伝えたら……知ってるって、いつもの顔で笑ってくれて………」
和泉は優しい瞳で、黙って話を聞いている。
「一生大好き、って伝えた。抱きついたら……先輩、笑って……抱きしめ返してくれた」
涙を浮かべる亜姫の瞼に、和泉はそっと唇をあてた。
亜姫が腕を伸ばすと、和泉は優しく微笑みながら受け入れる。
「私……酷いこと、してる……?」
「大丈夫だよ」
和泉はその背中を優しく撫でる。
「先輩、和泉の事も同じぐらい好きなんだって。
和泉の隣で笑う私が一番好きなんだって……笑ってた……」
その声から、亜姫と熊澤の心情が痛いほど伝わってくる。
「和泉。キス、して」
和泉はこれ以上ないというぐらい優しく、自分のそれを重ねた。
「俺にだけ……ドキドキすんの?」
「うん……」
恥ずかしそうな様子に和泉は思わず笑う。
そして、再度亜姫を抱きしめた。
「………先輩、かっこよすぎ。お前が揺らがなくてよかった……」
安堵したように、深い溜息をひとつ。
「自分のしたこと、後悔はしてない。でも、ごめんね……」
和泉はしばらく黙っていた。
「先輩が、気持ちの整理つける為に必要だったんだろ……。お前も、そうなんだろ? 望んだ結果になった?」
亜姫は頷く。
「和泉……大好き」
「知ってる。でも、もう……他の男には絶対触らせんな」
「うん。約束する」
深く頷く亜姫を抱きしめたまま、和泉はしばらく動かなかった。
亜姫は、熊澤と今まで通りの関係を続けたかった。気持ちを聞いた今もそれは変わらない。亜姫にとっては和泉と同じぐらい、大事な大好きな存在だ。
恋ではない。和泉への愛とも違う。
でも確かに、他の人にはない「特別な愛」が熊澤にある。それをちゃんと伝えたかった。
熊澤はそれを受け止めてくれた。そして、亜姫と和泉のことも守ってくれた。
和泉も、これらを理解してくれた。
胸は痛むが、明日からも変わらぬ日々を続けられる。
それがわかってはいても。亜姫は和泉が恋しくて恋しくて仕方がなかった。
和泉が一抹の不安を抱いたように、亜姫も自分のしたことを誤解されたら……と不安に思ったから。
だから。
今日、和泉の家に行きたい。そう願った。
◇
和泉は今、亜姫を胸の中に閉じ込めていた。
今日の亜姫はひたすらダダをこねた。と言っても、和泉にしたら可愛い甘えにしか見えない。だから有り難くその全てを享受した。
「いずみ……もっとギュウッてして」
「はいはい。今日はやたら可愛いなぁ」
和泉はねだり続ける亜姫を宥めつつ、甘やかしてやる。
和泉は最初、抱き潰したいと思っていた。それは自分にしかできないのだと刻みつけたかった。自分の心を満たす為に。
それは良くないことだとわかっていたが、今日は抑えられないと思っていた。
が。
思いがけず、亜姫がやたら素直に甘えてくる。
それは初めて見る姿だったので、和泉は早々に満たされてしまった。
熊澤を信頼してはいる。けれど、平静でいられたわけではない。
だが、熊澤も亜姫も「偽りなく伝えてくれた」と感じられた。そして和泉には二人の気持ちが痛いほどわかった。
全てを知った上で変わらぬ未来を繋ぐこと、それは和泉も希望することだったから。
だからこそとことん甘やかしているのだが、亜姫は未だに不安そうだ。
「亜姫? ……なにが不安?」
心情を言い当てられた事に驚き、亜姫は顔を上げた。
和泉は優しい笑みを返す。
「何かで誤魔化して安心した気になるのは駄目だよ。ちゃんと、言葉で聞かせて?」
亜姫は返事をせず、そのまま唇を合わせてくる。和泉がそれを有り難く受け入れ、何度も食んでいると。
「和泉、大好き」
唐突な告白。和泉は軽い笑いを零す。
「知ってる」
「和泉だけが好き」
「うん、知ってる」
和泉は安心させるようにギュッと抱きしめた。
「……先輩も好き」
「うん、わかってる」
「本当に……?」
亜姫は不安そうに揺らぐ瞳を和泉に向けた。
「先輩が好き。でも、和泉とは全然違う。……それを誤解されたくない。あんなこと二度としない。先輩もそう思ってるって、わかる。
先輩に触れたいとは思わないの。そんな風に思ったこともないし、やましい気持ちだってない。だけど……大事なの。
だから誤魔化したくない。和泉も先輩も好きって、これからも堂々と言いたい。
……だけど。和泉には。ちゃんと、和泉だけだよって伝えたいのに……どうやって信じてもらったらいいのか、わからないの」
声を震わせて亜姫は俯く。
「亜姫、大丈夫だよ。……わかるから」
その顔を上に向かせ、和泉はその瞳を覗き込んだ。
「お前が先輩を想うその気持ち。……俺も、同じだから」
目を瞬かせた亜姫に、和泉はフッと笑みを零す。
「なんつーか、あの人だけはずっと特別なんだよな。
俺もそう。うまく言えねーんだけど、俺にも亜姫にも……すごく大事な存在。麗華やヒロ達を好きだっていうのとは全然違うものだろ?」
な? と、同意を求めるように亜姫を見る。
「俺達に出来るのは受け止めることだけ。
応えることは出来ないだろ? 俺も、お前を譲るなんて出来ない。
でも先輩との関係も失いたくないし、それこそ受け入れられない。亜姫もそうだろ? 先輩もそんなこと望んでないってわかるよな?
その為にお前がしたことだと全部わかってる。お前の気持ち、ちゃんとわかってるから。もう不安がるな」
それを聞いた亜姫は、とうとう泣いた。
泣き止むまで、和泉はただ黙って抱きしめていた。
熊澤がこの話をしたのは、後にも先にもこの時一回きりだった。この日以降、こういう感情を表に出したり気まずさを感じさせる行動は一切とらなかった。
そして、亜姫の兄として、また和泉にとっても頼りになる兄的存在として。長い長い付き合いを続けていくことになるのだった。




