8月
和泉は夏休みが好きだ。正確に言えば「好き」というより「楽」だ。必然的に外出の機会が減り、最も穏やかに過ごせる期間だから。
と言っても、何もしないわけではない。
和泉の両親は仕事で海外にいて、7歳の頃から17歳上の兄と二人暮らし。
多忙だった親と過ごした記憶は殆ど無く、幼い頃から兄に世話されてきた和泉が暮らしに不自由を感じることはない。
普段は家事を分担しているが、休みの間は大半を彼がこなしている。
和泉は幼少期から何事にも興味を持たない子であった。嫌がらないが喜びもしない。兄の冬夜はそんな和泉に容赦なく家事を叩きこんだ。
兄なりに弟を心配していたのか、冬夜はとにかくよく面倒を見た。何があろうと和泉を一人にせず、行く先々で様々な体験をさせた。
冬夜は運動好きで交際範囲も広く、周りには多様なスポーツ関係者がいた。和泉は彼らに混じってそれらをやらされ、その体は程よく引き締まっている。
何をさせても筋が良く、指示されるまま黙々と動く和泉は何処へ行っても可愛がられた。小さな頃から色々と教え込まれ将来を期待されたが、和泉が興味を示したものは一つもない。どれも嫌いではない。ただ、それだけ。
だが、冬夜は苦笑するだけで何かを強制したことはない。
兄が厳しいのは、家のことや宿題など限られたことだけ。礼儀作法や道徳的な教えは「覚えておけ。忘れるなよ」と優しく諭す程度だった。
そんな環境で育ってきた和泉は、習慣づいた家事を済ませて自室にいた。
今日は何もない。夏休みはこんな時間が多く、何をするでもなく過ごす。そうすると、普段考えないような事に思いを馳せたりする。
最近、その時に頭を掠める映像がある。
校内で時折見かける子。黒髪の笑顔。
そう、校門で見たあの子。
名前も知らない。いつ見ても化粧っ気のない顔と幼い雰囲気。
あの子はいつ見ても笑顔だった。どこにいても誰といても。いつだったか一人で歩いているのを見かけたが、その時でさえなんだか楽しそうだった。
どれも遠目に見るだけだったが、見るたびに思う。
「あぁ、また笑ってる」
ただ、それだけ。
笑った顔を間近で見たのは最初の一度きり。それも一瞬で、顔だってじっくり見たわけではない。
そんなあの子の顔がちらつく。
色気どころか幼さしか感じないその姿がちらついて、なんだか落ち着かない気持ちになる。
その時、妙に気持ちが浮き立っていることに……和泉は気づいていなかった。
◇
「ねぇ麗華。これ、大きく見える! ねぇ、見えるよね?」
亜姫は下着売り場で興奮していた。パッドを挟まずとも盛れるブラを買いにきたのだ。
「あぁ、そうね。確かに少し谷間が大きく見えるかも」
麗華にお墨付きを貰い、即購入。
「谷間が見えるようなシャツでも買おうかな、さっきの店員さんみたいに。あのお姉さん、色っぽくてかっこよかったなぁ……」
「やめなさい。亜姫があの格好をしたら、イケナイものを見た気になる」
「どうして? 麗華はいつも見せてるのに」
「バカね、私のはどうしても見えちゃうの。これはこれで苦労してんのよ」
亜姫は麗華の胸を見たあと自分のそれに視線を移し、大きな溜息をついた。
「亜姫はもともと細いんだし、今でも充分じゃないの。どこを目指してんのよ、全く」
「麗華だって細いのに、プルプルおっぱいがついてるでしょう」
「あんたほど細くないわよ。私なんかより亜姫のスタイル欲しがる人がいるって言うのに」
「こんな体型、嫌だ。女の魅力が全然無いんだもん」
「亜姫が欲しいのは、女の魅力じゃなくてプルプルおっぱいでしょ」
「魅力的な女性にプルプルおっぱいは必須でしょう!」
「そんなわけないでしょ。おっぱいが小さくても魅力的な人は沢山いるわよ」
麗華は呆れて溜息をついた。
亜姫は昔から自分に無頓着だ。それこそ、放っといたら酷い寝癖のまま外に出てしまう。
そんな亜姫の中には理想の女性像があるらしく(ならばまず寝癖を直せと言いたい)、そこに向かって全力を注ぐ様は見ていると面白……いや、微笑ましい。
いったいどこで間違えたのか、全ての努力をおっぱいに注いでいる。
この子、ほんとにプルプルおっぱいのことしか考えてないわ……好きにも程がある。
麗華は心の中で笑う。
おっぱいへの飽くなき探究心は胸が膨らみ始めた頃からだ。ちょっとズレている亜姫に呆れつつ、面白いので放置している。
亜姫はかなり細身だ。だがスリムながらも胸やお尻は程よく肉付いていて、全体的に柔らかそうなラインをしている。
小ぶりながらも形のいい胸と、小さいけれど引き上がったお尻。その間に存在するウエストはやたら細く、キュッと引き締まったそこがくびれたカーブを作り出している。胸とお尻の程よい肉付きが他の細さをやたら際立たせていて、またその全てがすべすべの柔らかそうな肌に覆われており、妙な色気を醸し出す。
だが、普段は服に隠れて見えないので気づかれない。
そして亜姫自身も大きな胸にしか目を向けず、その魅力に全く気づいていない。
初めて会った時、麗華は亜姫の可愛さに目を惹かれた。だが、豪快な寝癖、頬にはなんだかよくわからない汚れ、目と大口を見開いたアホ面──顎が外れているのかと思った──で化石のように固まった亜姫の姿に大笑いしてしまったのだ。
そこからわかるように、亜姫には自覚がまるで無い。
時折幼稚さを感じさせる性格や飾らない人柄。外見に無頓着で恋愛に全く興味を示さない。そんな亜姫を周りが「女」として見ることは少ない。
麗華もありのままの亜姫が好きなので放置していたところ、理想とほど遠い『おっぱい命』な現在に至る。
これまで亜姫に懸想する輩もいたのだが、本人がこれなので恋愛めいた状態になりようがなく。例えアプローチ出来たとしても、例のポンコツぶりで暖簾に腕押し。
人の良さを見つけるのは得意な子なのに、なぜか自分には「足りないおっぱい」しかないと思ってるのよね。そんな亜姫がたまらなく好きだけど。
この子が恋愛したらどうなるのかな。そう簡単には渡さないけど。
麗華は可愛い妹を見守るように亜姫と過ごしていた。