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7月

「見たの? 実際に? どうだった!?」

「琴音ちゃん、苦しい……」

 亜姫は首が取れそうなほど揺さぶられ、琴音に落ち着いてと促した。

 

 先日見た光景は2人で「見なかったことにしよう」と決めていたのに、今、ひょんなことから琴音にバレてしまった。

 

「どうだった、って言われても……」

「相手は? 何してた? どんな状況?」

 琴音から矢継ぎ早に質問が飛んできて、困惑する亜姫の横で麗華が適当に答えていく。

 

「亜姫は?」

「え?」

「見たんでしょ? どうだった?」

「おっぱいが大きかった」

「は?」

「見たのは一瞬だったけど。女の人のおっぱいがすっごく大きくてね、弾力があって柔らかそうで……」

 

 あの日見たおっぱい。実際に触れたらどんな感触だろうと亜姫は想像する。

 うっとりしながらワキワキと手を動かすと、麗華から「やめなさい」と叩かれた。

 

 そう、あの時……服の上からおっぱいに手を添えられていた。服越しでも形がハッキリわかる、はち切れんばかりのプルプルおっぱい。

 大きな手からはみ出したそれはマシュマロみたいで……。

「麗華。あのおっぱい、私のも頑張ったらああなるかな?」

「無理」

 (かぶ)せるように即答され、がくんと項垂れた亜姫に琴音が叫ぶ。

「おっぱいはどうでもよくて!! 生の和泉を見た感想は!?」

 

 イズミとやらの感想?

 亜姫はあの日見た彼の姿を思い出し……。

 

「つまらなそうだった」

「はぁ?」

「楽しくなさそうだった、って言えばいいのかなぁ?」

「亜姫……他に感想ないの? 超絶イケメンだったでしょ? 行為中の和泉を見ただけで妊娠するって噂の真偽はどうだった? これでもかってぐらい色気撒き散らしてたでしょ!?」

 

 色気……ってどんな? 麗華みたいな?

 

「よくわかんない、一瞬だったし。特に何も感じなかったよ。

 ただ、本当につまらなそうだった。見られたと気づいても何の反応も無くて。なんていうか、感情が全然見えない感じ……?」

 亜姫はあの時の彼の顔を思い浮かべたまま、しばらくぼんやりしていた。

 

 

 それから一度だけ、イズミとやらを見かけた。

 その顔はあの時と同じだった。周りの人は皆、楽しそうに笑っていたにも関わらず。

 

 やっぱり、つまらなそうだった。

 

 

 

 ◇

「和泉」

 教室へ戻る和泉を呼び止めたのは、担任の山本だった。

 

 山本は体育を教える40代の男性教師。見た目は厳ついが中身はかなり大らかで、生徒からは「山セン」の愛称で慕われている。

 彼は和泉のことを案じていて、普段から何かと声をかけていた。

 

 山本は和泉が何をしていたか悟ったらしい。

 ちょっと来い、と有無を言わさず連れていく。

 

「やめろって言ってるだろ」

「やめてぇよ」

「ちゃんと断れ」

「断ってる。……知ってんだろ」

「お前なぁ……」

「あいつらに言えよ」

 

 和泉の状況を把握している山本は、大きな溜息をついた。

 

「なぁ、今まで関わった中に気になる奴はいなかったのか? 見た目でも……もうこの際、体の相性でもいーや。ちょっとでもイイなと思った子は? いないのか?」

「なんだよ、突然」

「お前、好きな女は?」

 

 和泉の脳裏を黒髪の笑顔がかすめたが、それは本人も気づかぬほどほんの一瞬。

 

「いない」

 

「彼女でも作れば少し落ち着くんじゃないのか? お前も、お前の周りも」

 

 和泉はうんざりしたように溜息をつき、立ち上がる。そして、扉に向かいながら吐き捨てるように呟いた。

「何もかも、消えちまえばいい」



 

 

 閉まったドアを見ながら、山本はしばらく考えこんでいた。

 

 和泉魁夜。

 確かにいい男だ。ただでさえ妙な色気を(まと)っているのに、あの無気力で気怠そうな雰囲気が更にそれを増す。女でなくとも目を惹かれる。

 絶対に誰のモノにもならない、だが誰でも容易に近づける……それがまた人を惹きつける。

 

 だが山本は知っている。

 その全ては、なにごとにも興味がない──心を動かされることがない──からだと。

 

 和泉は、自身への興味すらない。

 どんな欲も感情も、一切感じられない。

 何も感じていない。

 

 空っぽ。

 

 和泉を表現するにはこれが一番ふさわしい。

 形のいい綺麗な目には何も映してない。

 彼の周りにはいつも人が溢れているのに、その誰にも心を開かない。

 

 こういうタイプには珍しく、男にも好かれる。

 彼らは最初、和泉がどんな奴なのか興味を持ったりおこぼれに預かろうとしたりして近づいていく。しかし彼に悪意や嫉妬を向けることはなく、大抵はそのままそばにいるようになる。

 

 和泉は特別な反応を示すわけでもなく、無気力でつまらなそうなままだ。なのに何故だろう?

 そんな興味から彼を観察すると、無関心に見える端々に優しさや何でも受けとめる懐の広さが垣間見えた。

 おそらく、和泉のそばは居心地がいいのだろう。その証拠に、つまらなそうな和泉を囲んでいるのに周りの彼らはいつでも楽しそうだ。

 

 そう、和泉は優しい。むしろ、優し過ぎるのではないか。だからこそ欲深い人間につけこまれる。

 

 一見、自由奔放に──ろくでなしに見える和泉の噂は山程あるが、実際に関わった人から悪く言う声は出ない。

 なぜなら、和泉は絶対に人を傷つけないから。

 知らぬ間に彼のさりげない優しさへ触れてしまい、逆に惹かれてしまうから。

 

 恐らく、最初から空っぽだったわけではないのだろう。優しさの先に和泉なりの希望もあっただろうし、周囲への変化も願っていたのではないか。

 だが、彼は長い積み重ねの中で諦めたのだろう。周囲への期待も自分の希望も。

 自身を含め、誰かに……何かに興味を持つことを完全に拒否した。彼を取り巻く環境ではそれが一番楽だったから。

 

 なぜなら。

 彼を欲する女が近づくからだ。『和泉が欲しい、独占したい』という一方的な欲を強くぶつける女が。

 誰もが羨む整いすぎた見た目と、深い優しさや大らかさ。これらが彼の(かせ)となっている。

 更に中学からは、性に奔放な者の身勝手なふるまいとそれらが広める間違った噂が追い打ちをかけていった。

 

 小さな頃からそれらに振り回され続け、彼は全てに疲れ果ててしまったのだろう。

 

 和泉がなぜ女と関わるのか。なぜ、校内限定なのか。その理由(わけ)を山本は知っている。

 ただ行為をやめればいい、そんな単純な話ではないのだと。

 

 本来の彼は「空っぽ」ではない。

 山本はそう思っている。

 いや……もう一人、そう信じてる奴がいた。

 山本は冬夜(とうや)を思い出し、頬を緩める。

 

 冬夜は和泉の兄だ。かなり年の離れた兄弟で、多忙な親の代わりに和泉の面倒をずっと見ている。最早、冬夜が親だと言っていいぐらいだ。山本の教え子でもある。

 

 あいつが子育てしてるなんて、未だに信じられないけどな……。

 教え子の昔を思い出して苦笑する。が、次に思い浮かべたのは先日の姿。

 

 ──山セン達に希望を託したい。そう思ったからここを勧めた。先生、あいつを頼む──

 

 そう言って頭を下げた、かつての教え子。

 

 冬夜、まだまだ先は長そうだぞ……。

 ここまで来ると、行為自体を楽しんでくれた方がまだマシだったな。

 教師らしからぬ考えに至り、思わず苦笑する。

 

 和泉が興味を惹かれるモノを見つけられますように──。

 和泉の「心」に触れてくれる子が現れますように──。

 

 山本は、今日も強く願っている。

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