【第十一章】僕が創る世界(1)
可琳とβ世界で再会し、一方的に別れを告げられたあの日。
それからまもなくして、可琳がプロジェクトを降りた。
それ以来、僕は可琳と会うことも、話をすることもできないままだ。
気になって、鈴木さんにそれとなく訊ねてみる。
「他のプロジェクトが忙しいみたい」
そう言われたものの、どこか歯切れが悪い。その視線は落ち着かず、小さく揺れていた。
――違う。
可琳は僕を避けるために、プロジェクトを降りたんだ。
やっと……β世界で会えたのに。
あのときの可琳は、感情のままに言葉をぶつけて、そして僕の前から消えてしまった。
車椅子のあの子は、間違いなく可琳だった。
あの場所、あの時間に現れた。それが全てを物語っている。
ただ、β世界での姿形は違っていて、彼女はそのことをとても気にしていた。でも僕にとって、それは些細なことだった。
どんな姿であろうと、可琳は可琳だ。
僕は今でも可琳に会いたい。
でも、可琳はもう僕に会いたくないらしい。
つまり、僕は正式に振られた――ってことだ。
意気揚々と定時で帰った僕が、次の日、明らかにヘコんだ顔で出社すると、田中さんは気を遣って、僕に可琳の話題を一切振らなかった。
意外とそういうところに気が利く人だ。
昼ご飯を一緒に食べるようになってから、なんとなくわかっていたけれど、本当にいい人だと思う。
可琳には振られてしまったけれど、僕はまだ全然納得できていない。
僕のことが嫌いになったのなら、仕方ない。
でも、可琳の言葉は全て、自分自身に向かっていた。
まるで自分を傷つけるように。
何より可琳は、僕に何も言わせてくれなかった。
『僕が好きになった可琳は、現実の世界にはいない』
可琳はそう言った。
でも、本当にそうだろうか?
β世界の可琳も、現実世界の可琳も、どちらも可琳に変わりない。
外見が違ったとしても、中身は同じ可琳じゃないか。
けれどあの様子じゃ、むやみに近づくだけでは余計に距離を置かれてしまう。
どうしたら僕の気持ちを伝えられるんだろう。
僕は現実世界の可琳のことを、まだ良く知らない。
そもそも僕達には、十数年間の空白がある。
可琳がこれまで、どんなことを思い、どんな人生を送ってきたのか――それを知ることから始めないといけない。
僕はダメ元で、鈴木さんをランチに誘ってみた。もちろん、可琳のことで話がある、と付け加えて。
すると鈴木さんは意外な答えを返してきた。
「今日じゃなくて、週末に時間をもらえる?」
思わず聞き返しそうになった僕に、鈴木さんは続ける。
「私の妹が可琳と同い年でね。妹に八幡くんの話をしたら、可琳から少し、あなたの話を聞いたことがあるって。だから、妹も一緒の方がいいと思うの。どうかしら」
「それで、お願いします!」
断られる可能性も考えていたから、鈴木さんからの申し出は本当に嬉しかった。今はとにかく、可琳のことが知りたい。
鈴木さんとは、どこか話しやすい気がしていた。それは、β世界の可琳と、少し雰囲気が似ているからかもしれない。
お礼を言って帰ろうとしたら、鈴木さんが廊下まで僕を追いかけてきた。
「八幡くん」
鈴木さんは声を少し落とし、続けた。
「ひとつ訊いておきたいんだけど」
「はい」
「可琳のことが好き……ってことで、いいのよね?」
予想外の直球に、心臓が跳ねた。けれど、迷う理由はなかった。
僕は顔を引き締めると、まっすぐに鈴木さんの顔を見て――力強く答えた。
「はい!」
鈴木さんはふっと微笑む。
「うん。それを聞いて安心した。それじゃ、週末に」
そう言い残し、鈴木さんは帰っていった。
僕はしばらく、その場に立ち尽くす。
これまで不安が大きかった。可琳とこれから、どう向き合えばいいか――。
でも今、少しだけ勇気が湧いてきた。
可琳に近づくための、小さな希望を掴んだ気がした。
週末、僕は会社の近くの喫茶店で鈴木さんたちを待っていた。
古い作りの喫茶店で、控えめな音量でジャズが流れ、マスターがカウンターでカップを丁寧に拭いている。お客の入りは少なく、都会の、いつ行っても行列ができているカフェとは違い、とても落ち着く空間だった。
ほどなくして、鈴木佐奈さんと、妹さんが現れた。
「ごめんなさい、待たせちゃったかしら」
「いえ、僕が早く着きすぎちゃったので」
二人が、僕の目の前の席に座る。お水を運んできたマスターに注文を済ませてから、僕は意を決して口を開いた。
「今日はお時間を作っていただいてありがとうございます」
佐奈さんはにっこり微笑んだ。
「この子が、私の妹の礼美。可琳とは途中まで小学校が一緒だったの。私より妹の方が、可琳のことをよく知っているわ」
すると、佐奈さんの隣でほっこりとした笑顔を作っていた礼美さんが、楽しそうに口を開く。
「はじめまして。お噂はかねがね」
お噂? なんだ?
可琳が僕のことを、礼美さんに話していたってこと?
何をどんなふうに話していたのか気になって、心が落ち着かない。
綺麗系の佐奈さんとは対象的に、礼美さんはどこか柔らかい雰囲気だ。背は低めで少しふっくらとした体型も相まって、親しみやすい印象だった。
彼女は嬉しそうに目を細め、僕を見て微笑む。
「えっと……その……、可琳は僕のこと、何て言ってたんですか?」
思い切って訊くと、礼美さんは小さく「うーん」と考えてから、穏やかな口調で答えた。
「そんなに詳しく訊いてたわけじゃないけど……眠ったままの八幡さんのお見舞いに、しょっちゅう行っていたことは知ってるよ。可琳にとって、とても大切な人なんだろうなって思ってた」
――え?
いきなり飛び出した、とんでもない情報に、僕の胸は熱くなる。
可琳が、僕のもとに……? 眠っている僕に会いに? 何度も?
喉がカラカラに乾く。
可琳がいなくなってからの、空白の十数年。僕は可琳のことを、名前すら忘れかけていて……けれど、可琳はその間も、僕のことを忘れずにいてくれたんだ。
「本当に……ですか?」
自分でも驚くほど、声が震えていた。
礼美さんは優しく頷く。
僕は拳を握る。
だったら、どうして……?
「やっぱり可琳は、僕のこと知ってたんですね」
呟くように言うと、礼美さんと佐奈さんが、同時に不思議そうに首を傾げた。
「あ、えっと……どこから話したらいいかな……」
言葉を探しながら、僕はゆっくりと、β世界での可琳の話を始めた。
*
「はあああもう、可琳ったら! どこまでコミュ障こじらせたら気が済むのかしら!」
礼美さんが、運ばれてきたばかりのいちごパフェに、豪快にスプーンを突き刺す。勢い余って、パフェが少し崩れるほどだった。初対面の印象は、ふんわりした雰囲気だったけれど、慣れてきた頃にはサバサバとした性格を見せ始めた。
大きな口でいちごを頬張りながら、むくれたように続ける。
「人との間に、勝手に壁を作るのが得意なの! 昔から!」
そう言うものの、次の瞬間には、彼女の手がふっと止まり、表情を曇らせる。そこには寂しさが滲んでいた。
「車椅子になってから、一度私たちとも距離を置かれちゃったしね……」
佐奈さんが、礼美さんの言葉を補うように呟いた。
二人の話を聞くうちに、可琳がどれほど辛い思いをしてきたのかが、痛いほど伝わってきた。事故で両足を怪我し、車椅子になったこと。両親がその頃に離婚したこと。
〈MAHORA〉上では人と仲良くなれても、現実の自分を知ると離れていく。そんな経験を何度も繰り返すうちに、可琳は人を信じられなくなり、深く傷つき、そして、自ら人と距離を置くようになっていったのだ。
僕も結局、その「離れていく人たち」と同じだと思われてしまったのかもしれない。それが――たまらなく悔しかった。
「〈MAHORA〉で障害を持った人たちが快適に過ごせる世界になったのは事実だけれど、そんな簡単な話じゃないのよね」
佐奈さんがため息混じりで呟く。
「だから私は〈MAHORA〉に頼りたくないの!」
礼美さんは勢いよく身を乗り出した。
佐奈さんはくすっと笑う。
「あ、この子、〈MAHORA〉にちょっと否定的なの」
「え……?」
僕は思わず、きょとんとした顔で聞き返した。
「〈MAHORA〉のおかげで、現実世界の福祉機器の開発や、バリアフリーなインフラ整備なんかが後回しになってるの。だから私は、敢えて現実の福祉事業に力を入れてるの!」
ふん! と鼻息荒く、礼美さんが言い切る。
「この子、今ね、AIを搭載した車椅子の開発に携わっているのよ」
佐奈さんが補足すると、礼美さんは誇らしげに頷いた。
「この街にも、もっとバリアフリーを広めたいの。リアルな世界でも、可琳と一緒に自由に出かけられる場所を増やしていきたいの!」
その言葉を聞いた瞬間、僕の心が強く揺さぶられた。
こんなふうに、可琳の未来を本気で考えてくれる友達がいるなんて――。
可琳は気づいているんだろうか。
たとえ離れていく人がいたとしても、本当に大切な人は、ちゃんとそばにいるってことに。
――僕は今日、一つの大きな決断をした。
小さい頃、漠然と東京に行きたいと思った。けれど、それは心から望んでいたことじゃなかった。
〈MAHORA〉の開発に携わるのも、興味がないわけじゃなかった。でも、どこか流されていた。
けれど、今は違う。
生まれて初めて、心の底から「やりたい」と思うことを見つけた。
今すぐ可琳に会いたい。
だけど、その前にやるべきことがたくさんある。
β世界では、いつも焦って順番を間違えて、可琳に笑われていた。
だから現実世界では、しっかり準備を整えてから迎えにいこう。
どうやら可琳は、一筋縄じゃいかなそうだし。
僕はくすっと笑う。
可琳がどんなに分厚い壁を作ったって――
僕はその壁を、必ず壊してみせる。




