表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/40

【第九章】さよならを告げた世界(2)

 ハチが働いているラーメン屋さんの扉を、元気よく開ける。


「こんばんはー。ハチ、昨日はごめんね」


 そう、笑顔で言った瞬間――


「可琳!」


 ハチの大きな声が店内に響き、私は一瞬で注目を浴びた。

 思わず肩をすくめる。周りのお客さんがこちらをチラチラと見ている。


「ちょ、ちょっとハチ! そんな大声で呼ばないで。恥ずかしいから……」


 私は小声で抗議するが、ハチはまるで気にする様子もなく、嬉しそうに私を見つめている。


――まったく、もう。

 でも、その顔を見ると、怒る気にはなれない。

 窪くんが気を利かせてくれたのか、ハチは仕事を上がることになり、私たちは居酒屋で晩ご飯を食べることになった。

 夜、ログインしたとき、ハチからのメッセージがたくさん届いていた。


『おはよう可琳 お母さんとの話はどうだった? 大丈夫?』

『何かあった? 返信もらえると嬉しい』

『何度もごめん 既読にならないから心配で 今日は仕事忙しいのかな 無理しないでね』


 読んでいるうちに、じんわりと胸が温かくなる。

……心配させちゃったなぁ。

 申し訳ない気持ちとともに、ふわりと込み上げてくる幸福感。

 ああ、私、こんなに愛されてるんだなぁ——って。


 今日はハチと、いつも以上にたくさん話した。

 小さい頃の思い出とか、お互いの家族のこととか。

 けれど、ハチのお父さんの話になった途端、ハチの表情が沈んだ。


「仕事ばっかりで、遊んでもらった記憶もあんまりないし、僕に興味なんてなかったんだと思う」


 静かな口調だったけど、その言葉からは痛みを感じた。

 ハチはやっぱり、お父さんのことが嫌いなようで、私は悲しくなる。いつかこの誤解が解けたらいいなと思う。ハチのお父さんが、ハチのことをどれだけ愛していたか、ちゃんと伝えることができたらいいな。

 そして、ハチと話していて、すっかり忘れていたことを思い出した。


「可琳って……一人っ子だったっけ」

「ん? そうだけど?」

「弟が……いない?」


 ハチの何気ない問いに、ドキリとした。

 ……弟? ――そうだ、私、ハチのお父さんにお願いして、β世界に弟を作ってもらったんだった!

 ハチとばかり遊んでいたので、せっかく弟を作ってもらったのに、あんまり遊んであげてなかったなぁ……

 申し訳なさとともに、ふと疑問が浮かぶ。


――今、弟はどうなっているんだろう?


 私のデータは全て削除されている。ということは、もしかすると弟も?

 家に帰ったら調べてみよう。


 居酒屋を出て、家まで送ってもらう途中、急にハチがぽつりと呟いた。


「可琳、明日の土曜日は仕事休み?」

「うん」

「じゃあさ、明日、夕方の六時五十分。この間、二人でお弁当を食べたあの河原で会えないかな」

「うん。いいけど……ふふ。何? その中途半端な待ち合わせ時間」

「大切な話があるんだ」


――大切な話。

 デートの誘いかと思ったのに、ハチの真剣な眼差しにドキリとする。

 ハチの視線に吸い寄せられて、目が離せない。けれど、だんだん恥ずかしくなってきて、私は思わず目を逸らしてしまった。


「わかった」


 頷くのが精一杯だった。恐らく顔は真っ赤になっている。

 なんだろう、大切な話って。

 良い話? それとも……。


――また私の悪い癖。すぐネガティブに考えてしまう。

 大丈夫だよね? 私たち。これからも、ずっと一緒にいられるよね?


「じゃあ明日、六時五十分に、あの河原ね」


 そう言うと、ハチは静かに微笑んだ。


「うん。待ってる」


 その笑顔はとても優しくて……。うん、大丈夫。きっと嬉しい話だ、と思う。

 ドキドキしてきた。もったいぶらずに、今話してほしい!

 そんな気持ちを抱えながら、ハチと別れた。


 期待してもいいのかな。

 ハチが嬉しい言葉をくれるって。

 わくわくと不安が半分半分。

 明日が、とても待ち遠しい。


 ログアウトしてからカレンダーを見て――私は思わず息を呑んだ。

 明日は花火大会だ。

 もしかして、ハチは明日、私と花火を見ようとしているの!?


 胸が高鳴る。そこでする、大切な話って――

 浴衣……着ていったほうがいいかな。せっかくだし、ハチに見てもらいたい気もする。――でも河原は足場が悪いし、転んだら恥ずかしいし……うん、無理はせずに普通の服装で行こう!


 それにしても、あの中途半端な待ち合わせ時間が気になる。

 大切な話って、一体何なんだろう?

 考えるだけで、胸がドキドキする。

 ……そうだ、明日のことも気になるけど、まずは私の弟のことを確かめないと!


 私はβ世界のデータを調べてみた。

 すると『けい』という名前でデータが残っていた。

 私のデータが削除されるまでは、圭の行動ログも記録されている。でも、それ以降、圭のログは見当たらない。動作が停止している。

 単純に、削除し忘れたのだろうか――ただ、私がログインできなくなったその日、圭のデータが更新されていた。


 妙な違和感がある。

 少し悩んで、圭のデータはそのまま残しておくことにした。


 リビングにお茶を飲みに行くと、ちょうどママが晩ご飯を食べ終わったところだった。


「可琳、ご飯ありがとう。美味しかったわ」

「どういたしまして。ねえママ、ハチはどうして、お父さんのことが嫌いなの? あんなに素敵で優しいお父さんなのに」


 ママの手が、一瞬止まった。


「……ママも詳しくはわからないけどね」


 そう前置きをしてから、ゆっくりと口を開いた。


「八幡くんは……『自分は洵くんを傷つけてしまった』って言ってたわ。だから、……もう会う資格はないって。そんなふうに言われたら、何も言えないわよね」


 ママの表情が歪んだ。


「でも、洵くんはお母さんのことが大好きだったらしいから……これでよかったのかもしれないけれど……切ない話よね」


 苦しそうに言うママを見ながら、私は静かに考える。

 確かにハチが、大好きなお母さんと幸せに暮らしているのなら、それでいいのかもしれない。


 でも、病室で見た、ハチのことを想うお父さんの、あの優しい眼差し――私は忘れられない。

 だから私は、ハチに伝えたい。

 お父さんがどんなに素敵な人だったのか。

 どんなにハチを大切に想っていたのか。

 それを、少しずつでも。

 誤解があるのなら、それを解きたい。

 このまま、すれ違ったままなんて、あまりにも悲しすぎるから。


 そのとき、ママのスマホが鳴った。


「あら病院からだわ。こんな時間に何かしら」


 メッセージを確認したママが、突然、声を張り上げた。


「可琳!」

「わあ! びっくりしたー。何?」

「洵くんの脳波に変化があったみたい!」


 ママの声が震えている。


「もしかしたら、意識が戻るかも……って!」


 その瞬間――私は、全身が硬直した。

 ハチの意識が……戻る……?

 普通なら、嬉しいはずなのに。

 なのに、どうして。

 胸の奥がぎゅっと締め付けられる。


 私は……私は、ハチの意識が戻ると聞いて、嬉しい気持ちよりも先に、激しく動揺した。心が揺れに揺れて、どうしたらいいかわからなかった。


   *


 翌日、ママと私は、ハチの主治医に話を聞きに行った。

 ハチの脳波は昨晩から正常に戻り、夜に一度目を開けたものの、すぐにまた眠ってしまったらしい。

 けれど、もうすぐ意識が戻るだろうということだった。


 話を聞き終え、相談室から出たママは、ぱっと明るい笑顔で私に言う。


「可琳! よかったわね。洵くん、目が覚めるのよ!」


 私は昨日、一晩考えた。ハチとの、これからのことを。

 喜ぶママの手を、私はぎゅっと握った。


「ママ……」


 ママの目をまっすぐに見据える。


「どうしたの?」


 ママはしゃがむと、目の高さを私に合わせてくれた。


「私、この世界ではハチに会えない。もし、ハチの意識が戻ったら……私はいないって伝えて」


 ママの顔がゆっくりと曇る。


「どうして?」声には戸惑いが滲む。「可琳は洵くんのことが好きなんでしょ? 洵くんだって。それなら――」

「違うの。ハチが好きな可琳は、ハチの世界の可琳で……現実の私じゃないから……」


 言葉にした途端、喉の奥が苦しくなる。

 声が震える。

 目の奥が熱くなる。


「こんな姿じゃ……会えないよ……」


 瞳から涙が溢れ出した。


「可琳……」

「お願い……お願いだから……この世界に、時安可琳はいないことにして……」


 ママは、ただ静かに私を見つめていた。


「ハチが好きな可琳は……この世界の私じゃないの……」


 自分で言った言葉に、心が引き裂かれるようだった。

 ママが、私の手をそっと握り返してくれた。


「可琳……」


 私の涙はとどまることを知らず、嗚咽が交じり始める。

 ママはゆっくりと、私を抱きしめた。


「この話は、家に帰ってから、ゆっくりしましょう」


 優しく撫でられる髪。その温かさが、余計に苦しかった。

 優しくしないで。こんな醜い私に。


 ハチの意識が戻ると聞いた時、私は――

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、こう思ってしまった。


 このまま、ずっと意識が戻らなければいいのに。


 その瞬間、自分がとてつもなく恐ろしいものに思えて、背筋が凍りついた。

 ……なんて、醜いのだろう。

 こんな私は、ハチを好きになる資格なんてない。

 ハチに合わせる顔がない。

 結局、私は自分のことしか考えていないんだ。

 私は……最低な人間だ――


   *


 六時五十分。

 β世界のハチと、約束をした時間。

 私の目の前には、現実世界のハチがいる。

 ゆっくりとした寝息を立てながら、穏やかな顔で眠っている。

 いくつもつながれていた管が外され、少しすっきりした姿になっていた。

 もうすぐ目を覚ますのかもしれない。そう思うと、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。


 今頃、β世界のハチはどうしてるだろう。

 河原で、一人で私を待っているんだろうか。

 ハチのことだから、きっと来ない私を心配して、必死に探すのかもしれない。


 ごめんね、ハチ。

 本当は会いに行きたかった。

 でも、怖くて行けなかった。


 ハチが好きになってくれたのは、β世界の私。

 元気で、明るくて、可愛くて素直で、ハチのことをまっすぐに好きになれた私。

 でも、現実の私は――

 卑怯で、臆病で、醜くて、情けない……ハチの隣に立つ資格なんてない。


 短い間だったけど、本当に幸せだった。

 ハチと出会えて、好きになってもらえて。

 私もハチが大好きだった。


 そっと、ハチの頬に手を伸ばす。


――温かい。

 β世界で感じた温もりと、まったく同じだ。


 目を覚ましたら、ハチはこの世界で生きていく。

 きっと、素敵な人に出会って、幸せな未来を歩んでいくんだろう。

 でも、その隣にいるのは――私じゃない。


「ハチ、よかったね」


 震える声で、そう呟く。


「今までありがとう。さようなら」


 ハチの頬から、そっと、手を離す。

 それから一度も振り返らずに、私は病室を後にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ