表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/40

【第八章】あなたと色づく世界(6)

 お弁当を食べ終わり、片付けをしながらハチと話すうちに、ふと考えてしまう。ハチと付き合うことにはなったけど、ハチが明日、東京に戻ってしまう事実は変わらない。


 だったら……私も、東京について行っちゃおうかな。

 でも、それってどうなんだろう? 付き合って早々に、東京までついてくる彼女なんて、ハチにしたら重いかな。


 遠距離恋愛なんてもどかしい……ハチがどこにいても、私はいつでも会いに行けるのに。それを体裁のためだけに我慢するなんて無理だよ……

 そんな思いが、ぐるぐると頭を駆け巡る。


「――ハチは明日、東京に帰っちゃうんだよね」


 思わず呟いた私の声は、自分でもわかるくらいに小さくて、切ない響きを帯びていた。

 続けて、「私も東京に行きたい」と言おうかどうしようか迷っていたら、ハチがふいに言葉を口にした。


「またすぐに会えるよ」

「え?」


 思いもよらぬ返事に、私は思わず顔を上げた。


「だから、ほんの少しだけ待ってて」


 ハチの瞳は、まっすぐに私を見つめている。その目は、何かを決意したような強さを宿していて……それが嘘じゃないことを感じさせてくれた。


「ここで待ってればいいの? ほんとに?」

「ほんと」


 ハチの言葉は短くて、でも、とても力強かった。

 どういうことだろう。すぐにその意味を聞きたい気持ちがあったけれど、それよりも、胸の奥に広がる喜びがそれを打ち消した。

 離れたくないって思っているのは、私だけじゃない――それが何よりも嬉しかった。


「約束……ね?」


 小さく呟く私の声に、ハチは頷いて微笑んだ。

 吸い込まれるようなハチの瞳を見つめていると、ハチの顔がゆっくりと近づいてくるのがわかった。

 私は目を閉じた。

 ハチの温かい唇が、私の唇に触れた瞬間、時間が止まってしまったように感じた。

 ハチの体温が伝わる。

 息遣いが聞こえる。


 頬を撫でる風と、夏草の匂い。川のせせらぎ。

 すべてが混じり合って、一つの世界を作り出している。

 ここが現実の世界じゃないってことが信じられないくらいに、私の五感を優しく刺激した。

 すべてが優しくて、温かかった――。


   *


 帰りにラーメン屋さんに寄って、窪くんに私たちの報告をした。


「そうか! つきあうことになったのか! おめでとう! いやぁ、俺が言った通りだっただろ? 背中を押した甲斐があったぜ!」


 窪くんはまるで、自分のことのように喜んでくれた。

 お店を出たあと、今日は家の前までハチに送ってもらった。


 街頭の灯りに照らされる帰り道。

 今日が終わってしまうことが、こんなに名残惜しいと感じた日は今までなかった。

 ハチと離れたくないなぁ、なんて思っていたら、想いが通じたのか、ハチがそっと優しく抱きしめてくれた。


「また連絡する」


 耳元で囁かれるその声に、胸がぎゅっと締め付けられる。

 私は「うん」と小さく頷いた。

 帰り際、ハチは何度も振り向いて、手を振ってくれた。

 そのたびに、私は笑顔で手を振り返す。

 ああ、なんか恋人同士みたいだなぁ。――って、違う、私たちはもう恋人なんだ。


 昨日に続き、幸福感に満たされながらログアウトする。

 でも、自分の部屋に戻ってくると、一気に現実に引き戻される。

 夢みたいなものだな、と思う。だってあそこは、ハチだけの世界だから。


 私の世界はこっち。ここ(現実)には、私を好きだと言ってくれるハチはいない。

 この先、ハチとどうなっていくのかわからないけど、この体験は現実ではない、という事実はどうしてもついて回る。鏡に映る自分の姿を見るたびに、それを痛感する。

 でも、今だけは、この幸せに浸っていたい。


 静かな部屋に「ぐぅ」とお腹が鳴る音が響く。

 〈MAHORA〉とは違いβ世界(ハチの世界)は、現実とはつながっていないので、半日何も食べていなかった私は、ログアウトした瞬間、空腹に襲われた。こればっかりは仕方がない。


 キッチンでカップラーメンを作り、とりあえずお腹に放り込む。

 湯気が立ち上るラーメンを夢中ですすりながら、ハチとの幸せな時間を思い出し、胸の中でその余韻がじんわりと広がる。

 さっき別れたばかりなのに、もうハチに会いたい。


 次の日、仕事を終えたあと、ハチの病室を訪れた。

 これまでずっと、ハチの寝顔しか見ることができなかった。

 でもこれからは、ハチの笑顔も見れるし声も聴ける。一緒に歩いて、語り合って、たくさんの思い出を作っていける。


「久しぶりにハチに会えて嬉しかった」


 眠っているハチの耳元で囁く。

 少しだけ微笑んだように見えたのは、気のせいだろうか。

 また、ハチの世界で会おうね――そう、心の中で呟く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ