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【第八章】あなたと色づく世界(2)

 リビングに行くと、ママがパソコンとにらめっこしていた。ママこそ、こんを詰めすぎなんじゃないの?


「紅茶淹れるけど、ママも飲む?」

「飲むー! ありがとう」


 私はお湯を沸かし、ポットに茶葉を入れる。

 その間にママがラングドシャの箱を開け、私が狙っていたそれを手に取ってにっこり笑った。


「食べる?」

「食べる!」

「可琳、昨日も遅くまで起きてたでしょ。夜ふかしは体に毒よ」

「でも、そのおかげで、ずっと頑張ってたシステムが、うまく動いたの!」

「すごいじゃない! 何を作ってたの?」

「んー……内緒」


 ママは小さくため息をつき、ソファに腰を下ろしながらポツリと言う。


「可琳もシステム開発部に来ればよかったのに」


――何度この話を聞いただろう。

 ママは昔から、プログラミングに夢中だった私を、しつこいくらい誘っていた。


「私は趣味でやりたいの」


 紅茶を注ぎ、ラングドシャを食べながら、ママと他愛ない話をする。


「ねえママ。小さい頃の記憶ってどのくらい覚えてる?」

「そうねぇ……小学生の頃の記憶がぽつぽつと。それ以前はほとんど残ってないわね。しかも、歳をとるごとに薄れていくものよ」

「そっか……」

「でも、人によっては小学校に上がる前のことも鮮明に覚えていたりするみたいよ。中には、生まれたときの記憶があるって人もいるけど、そこまでいくとちょっと信じがたいわね。……なにかあった?」


 私はカップを両手で包みながら、少し迷って口を開く。


「ハチは、小さい頃に私と遊んだこと、まだ覚えてるかなーって」

「そうねぇ。あれからずいぶん経ったものね」

「もしも再会できたら、あの頃みたいに話せるのかなぁって」

「そりゃ、話せるんじゃない?」

「そお?」


 ママはくすっと笑ってから、懐かしそうに語り出す。


「あのね、ママ、小学校の頃のお友達と二十年ぶりに会ったことがあるのよ。顔にシワは増えてたけど、みんなあの頃と変わらないの。お互いに昔のあだ名で呼び合って、話題は、病気とか、親の介護とか、そんな話ばっかりなんだけど……空気だけはね、全然変わらなかったの」


 ママの瞳は楽しげに輝いている。


「二十年ぶり? そんな久しぶりに会うのに怖くなかった? みんな、変わっちゃってたらどうしようって思わなかったの?」


 私の問いに、ママはふわりと微笑む。


「怖い? そうね……確かに人は経験を積んで、環境や生き方を変えれば考え方が変わるわ。でもね、話していて一番感じたのは、根っこの部分。人の本質はね、どれだけ時間が経っても、そう簡単には変わらないものよ」


 ママの言葉を噛みしめるように、私は小さく頷く。それでも、心の中のモヤモヤは晴れない。


「私……たぶん、一歩を踏み出すのが怖いんだと思う。物事が悪い方へ向かってしまうかもって……」


 ママは紅茶を一口飲み、優しく目を細めた。


「確かに一歩を踏み出すには勇気がいる。でもね、可琳。何事もやってみなければわからないのよ。良い方に転がる可能性だってあるでしょ? 確かに、一歩を踏み出さなければ悪いことも起きない。でも、その代わりに、つかめるはずだった幸せも逃してしまう。それってすごく、もったいないと思わない?」

「でも……でも! もし悪い方に転がったら? 二十年ぶりに会ったお友達とうまくいかなかったら、ママはどうする?」


 ママは少し笑ってから、肩をすくめて答えた。


「そしたら、『ああ、なんか違ったなー』って、その日で終わりにすればいいのよ。それだけのこと。でも、実際にはそうじゃなかった。むしろ、それからお友達とは頻繁に連絡を取るようになって、大切な人達と、またつながることができたわ。行動しなければ手に入らなかったつながりよ」


 ママの言葉が胸に染み込み、私は静かに息を呑んだ。


「楽しいことはね、いつだって勇気を出したその先にあるのよ」


   *


 紅茶とラングドシャ、そしてママの言葉で、お腹も心もすっかり満たされた私は、自室に戻り再びマウスを握りしめた。

 一回クリックすれば、私とハチの、「今」と「未来」が変わる。


「んんんん!」


 目をぎゅっと瞑り、思い切って「えいっ!」とマウスをクリックする。

 ファイルのアップロードが始まった。

 始まってしまえば、一気に気持ちが落ち着いていく。

 画面に表示された数字がクルクルと変わりながら、少しずつ、ハチの世界が書き換わっていく。


「ふぅ……」

 肩の力を抜いた私は、モニターを見つめながら、ハチと再会したときの会話をシミュレーションする。


「ハチがこう言ったら、私がこう返して――いや、そもそもハチがなんて言うかわからないよね? 小学校の同級生って設定にはしたけど、当時のログは消えたままなんだし……私のことを覚えてなくて『どちら様?』って言われたら、私はどうすればいい?」


 頭の中でパズルを組み立てるように会話を想像してみる。


「っていうか、ハチって呼んでいいの? 大人なんだから、『八幡くん』とか『洵くん』とか? ……あ、でもママは、二十年ぶりでも、小学校の頃のあだ名のまま呼びあってたって言ってたな……」


 思考が渦を巻き、プチパニックな私。

 そんな状況の中、画面の表示は変わり続け――正常に、アップロード完了のメッセージが表示された。

 β世界は、私がハチと幼馴染だった世界に書き換わった。

 時刻はもうすぐ八時。迷っているうちに、ずいぶんと遅くなってしまった。


「やばい!」


 同窓会の会場――そこなら自然にハチと出会える、そう思っていたのに。時間がない。急がないと終わってしまう。

 私は慌ててβ世界へログインした。


 次の瞬間、景色が一変し、私は部屋に立っていた。

 姿見に映る自分を見て、思わず息を呑む。

 見慣れないシルエット――似合わないと思っていた大人っぽい服を、サラリと着こなしている。

 艷やかな髪に、大きな瞳。


「これが……私?」


 そっと髪を撫でる。さらさらと指をすり抜ける質感。

 ほんのり薄いメイクなのに、瞳はキラキラ輝いていて、頬もほんのりピンク色。思わず見とれてしまうくらい可愛い。


「めっちゃ素敵!」


 口元が自然とほころぶ。

 私は夢中で鏡の前をクルクル回る。

 軽やかにふわりと揺れるスカート。こんな綺麗な自分を見たのは初めてだ。


「いけない、急がないと!」


 笑顔のまま、私は同窓会の会場である居酒屋へと駆け出した。

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