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【第八章】あなたと色づく世界(1)

 コンコンとノックが聞こえ、ママが部屋の扉を開ける。


「可琳ー、ワイン開けたけど、一緒に飲む?」

「えっと……今日はいいかな」


 私はモニターに目を向けたまま答える。


「こんな時間まで仕事?」

「違う、趣味のプログラミング」

「ここのところ、ずっと頑張ってるわね」

「あともう少しでできそうなんだけど。はー……難しい」

こんをつめちゃだめよ?」

「はーい」


 ママの声が、昔と変わらない温かさを帯びて心に沁みる。


 私はママと同じ会社の品質管理部にいる。本当は〈MAHORA〉のシステム開発部に入りたかった。けれど、自分がしていることの後ろめたさから、会社でのママとは少し距離をおきたかった。ママはシステム開発部に入ってほしそうだったけど。


 ハチの世界に行けなくなってから、私は必死に勉強した。ママには内緒で、ずっと、ハチの世界のシステムを解析していた。アクセスが遮断された状態を解除する方法を、ずっと探していた。


 ハチのお父さんは、亡くなる直前に、外部からのログインを制限してしまった。それは、私が現実逃避してハチの世界に逃げ込まないように、私のためを思っての行動だったと、歳を重ねるうちに理解した。

 あのときはハチのお父さんを恨んだけれど、今は尊敬している。自分の命をかけて、最後までハチの世界を作り続けた。技術者としての尊敬と、父親としての息子への深い愛に。

 それでも……ハチとはいつでも会えるようにしてほしかった。


〈MAHORA〉は私の世界を変えた。

 街の隅々、空の上、海の向こう。体の制約を超えて、私はどこへでも行けるようになった。けれど、それでも――

 ハチがいない場所には、どんな自由も色を持たない。


 この世界には、一番会いたい、ハチがいない。


 また一緒に森や川へ遊びに行きたい。

 なんでもない話をして笑いたい。

 ハチはあの日から、AIたちに囲まれ、β世界にたった一人で生きている。

 今でも昆虫は好き? ゲームを作ってる?

 元気かな。新しい友達はできたかな。楽しんでいるのかな。


――私のこと、まだ覚えてくれているのかな。


 突然いなくなった私のことを、ハチはどう思っているだろう。


 突然、視界がぱっと開けた。

「あ……え? 嘘! 本当に!?」


 β世界へのアクセスが成功した。喜びが一気に体中を駆け抜ける。

 きゃー! やったー! 心の中で叫びながら、思わず両手を高く上げた。

 長かった。何度も挫けそうになった。でもその度に浮かんだのはハチの笑顔。私はここまで頑張ってきた。ようやく、ようやくハチに会える!


 β世界のシステム権限を得て、内部を隅々まで見ていく。そのたびに、胸の中でハチのお父さんへの尊敬が膨らむ。


――あの時代に、これを一人で……。


 ほんとかっこいい。ハチのお父さん……やっぱりすごい。


――そう思った瞬間。

「え……ちょっと待って、これ……」


 目の前が真っ白になった。

 私のアカウント――綺麗さっぱり、削除されていた。

 ログも、全て。

 つまり、この世界に――私は存在しない。


「もう~~~~! ひどいよ!」


 ほっぺたを膨らませ、モニターをじっと睨む。

 ハチの世界の私のログは消えてしまった。

 でも、ハチの記憶の中には、私がまだ――残っているだろうか。

 どうか、私のこと。

 どうか――忘れないでいて。ハチ。


 最後にハチと森で遊んだ日から今日まで、膨大なログを一つずつ確認していく。


――就職先は……東京?

 私は目を見張る。

 ハチはきちんと、自分の夢を叶えていた。ログは語る。

 彼は東京の大学を卒業し、都内のIT企業で働いていた。

 そんなハチが――


「地元の同窓会?」


 心臓が高鳴る。日付は明日だ。

 明日――ハチがこの街に戻って来る。


「会いたい……」


 声に出ていた。

 小さい頃は、ただ毎日が楽しかった。ハチのそばにいることが当たり前だった。

 でも、会えなくなって気付いた。


――初恋、だったんだ

 病室で眠り続けるハチには、もう私の言葉は届かない。

 一緒に笑い、一緒に走り、手をつないで歩くことは、もうできないと思っていた。

 大人になったハチに会いたい。

 でも……本当の私で会える?


 佐奈ちゃんをモデルにして作った当時のアカウントは、今の私の姿と全く違う。

 ハチは覚えているだろうか。あの頃いつも一緒にいた、私のことを。


 ……心が揺れる。

 新しい出会いとして、ハチともう一度関係を築き直すのもいいかもしれない。

 けれど、胸の奥でずっと輝き続ける大切な思い出を、なかったことにしたくはない。


 しばらく悩んでから、私は新しいアカウントを作成した。

 容姿はあの頃の私が大人になった姿をイメージして。


――っていうか、これ、まんま佐奈ちゃんじゃない?

 苦笑いがこぼれる。

 それはそう。私は昔から、佐奈ちゃんみたいになりたかったんだから。


 スラリとした体系。艷やかな黒髪。まんまるで愛らしい瞳。

 人に優しく、いつも堂々としていて、みんなから愛される佐奈ちゃん。

 それに比べて、現実の私は――。


「ああもう! こういうとこだぞ、可琳!」


 自分を叱るように声がこぼれる。 

 この姿でいたとき、私は自信に満ちていた。

 佐奈ちゃんみたいに明るく元気で、何より、自分の言葉に迷いがなかった。

 嫌われることを恐れず、本当の自分を素直に出せた。


 見た目が変わるだけで、言動がこんなに変わるなんて驚いた。でも、現実世界に戻ると全然だめだった。

 鏡に映る自分の姿にがっかりして、相変わらずコミュニケーションは下手で、自分の気持ちをうまく出せない。

 結局、今でも私は、佐奈ちゃんに憧れている。


 私はハチの世界に、「私」を作り上げていく。

 消えてしまった時安可琳という人物を、もう一度。


 夏休みの最後に、親の都合で転校した――それが、私の新しい物語。

 ログには一切触れない。それを変えてしまえば、ハチの記憶そのものを改竄かいざんすることになるから。


 設定を書き加えていけば、AIたちは私との過去を自然に作り上げる。あたかも、昔からいた同級生のように、私を迎え入れてくれるだろう。

 けれど――。


 ハチは、この世界でただ一人の「本物の人間」。

 彼の記憶の中に私がいなければ、私とハチの関係はゼロに等しい。

 そのときは、どうすればいいんだろう。

 何を話せばいい? どんな顔をすればいい?

 期待はしないようにしよう……

 そう、自分に言い聞かせる。

――それでも。


 私の胸は静かに高鳴り、もう一度会える瞬間を思うたびに、どうしようもなく嬉しくなってしまう。

 忘れられていてもいい。名前さえ覚えていなくても構わない。

 それでも……また、ハチに会いたい。


 夜遅くまでβ世界の設定をし続け、いつの間にか眠っていた。

 目を覚ますと、もう昼前だった。変な姿勢のまま眠ってしまい、体のあちこちが痛い。私はうーん、と伸びをする。


 今日は土曜日。仕事は休みだ。

 ご飯を食べてから、再びモニターの前に来る。

 アカウントに不備がないか何度も確かめ、整合性をチェックし、ログを見直し、環境設定を微調整する。ようやく全てを終えた頃には、空が夕焼けに染まっていた。


 そろそろ、同窓会が始まる時間だ。

 あとはこのファイルをまとめてアップロードするだけ。

 そしたら私は、β世界で再びハチの幼馴染になれる……


「んんんんんんーーーーー!」


 ここまで来て、マウスに乗せた人差し指は、固まったまま動かない。たった一回クリックするだけなのに。


――今さらハチと会って、私は何を望んでいるんだろう?

 忘れられているかもしれない。それでもいい、そう思っていたはず。

 それなのに――。


 あの頃の私は自信に満ちていた。

 佐奈ちゃんのように堂々として、ハチと一緒にどこへでも行けて、言いたいことを素直に口にできた。

 本当の時安可琳は、そんなふうに振る舞える人間じゃない。


――ハチが慕ってくれていたのは、偽りの私だ。


 心がずきりと痛む。

 容姿だけじゃない。本当の私には、何一つ、自信を持てるものがない。

 ハチに会いたい、なんて言いながら、私はただ、あの頃の「私」に戻りたいだけかもしれない。

――なんて独りよがりなんだろう。


 ハチがたった一人で寂しい思いをしてるかも、なんて思うのも傲慢ごうまんだ。彼は夢を叶え、東京で自分の人生を歩んでいる。

 私が会いに行かなくても、ハチはきっとしっかり生きている。


 β世界に私の居場所なんて、もうないんだ。


「んんんん……」

 思考の中で、また自分が否定されていく感覚に襲われる。


――ああもう、これだから嫌になる。

 全部否定。自分のことながら情けない。

 はあ……ネガティブ思考、どっか行け!

 拳をぎゅっと握りしめ、心の中で思い切り叫ぶ。


「よし。お茶でも飲もう」


 脳を酷使しすぎたから、甘いものが欲しい。ママがこないだ取引先からもらったラングドシャがあったはず。紅茶と一緒に――うんうん。気分が上がってきた! ネガティブになったときは、自分を労って甘やかすのだ。

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