【第六章】重なる世界(3)
時安リーダーからお墨付きはもらえたけれど、現実の可琳との接点をどう持てばいいかわからない。同じ会社で働いているとはいえ、彼女は部署も違うしリモート勤務だ。どうしたらまた彼女に会えるだろう――なんて考えながら日々を過ごしていた。
しかし、そんな心配をよそに、その日は突然やってきた。
新しいプロジェクトの立ち上げに伴い、顔合わせを兼ねた会議が〈MAHORA〉で開かれることになった。遠方の取引先や、リモート勤務の人も参加するため、〈MAHORA〉での打ち合わせだ。
僕達のチームは直接会議室へ行き、そこで〈MAHORA〉にログインする。すでに会議室にはメンバーがほとんど揃っていて、各々が準備を進めていた。
その時――。
「失礼します」
小さく可愛らしい声が聞こえ、僕は思わず振り向いた。そこには可琳がいて、軽やかな足取りで会議室に入ってくる。
その姿を見た僕の鼓動が一気に跳ねる。
可琳は自然な動きで席につき、パソコンを開く。僕はその姿に目を奪われた。
――そうだ。〈MAHORA〉では、彼女は普通に歩けるのだ。こんな当たり前なことに今さら気づくなんて、僕はどこまで鈍いんだろう。そもそも〈MAHORA〉は時安リーダーが教えてくれたように、身体に障害を持つ人達が社会参加できるように開発されたものだ。その始まりに込められた想いを、僕は忘れてしまっていた。
僕の視線はどうしても彼女から離れなくなる。けれど可琳はこちらを気にする様子は一切ない。
このタイミングで可琳と同じチームになるなんて。
偶然だろうか? 時安リーダーはこの場にはいないけれど、彼女がメンバーを選ぶ際に、なにか意図を込めたのだろうか。僕はなんとなく、時安リーダーに背中を押されている気がして、せっかくもらったこの機会を無駄にしたくないと思った。
会議が終わり「飯でも行くかー」と田中さんが声をかけてきた時、僕は意を決して動いた。
品質管理部の鈴木さんと話していた可琳に、思い切って声をかける。
「あの、よかったら一緒にランチ行きませんか?」
僕の突然の声掛けに、可琳も鈴木さんも一瞬驚いた様子だった。近くで見ていた田中さんも目を丸くしている。しかしここで田中さんがナイスアシスト。僕達に近づき、ニッコリ笑って、こう言った。
「そうですね、せっかく同じチームになったんですから、親睦深めるのも大切ですし。一緒に行きますか? 美味しくて安い定食屋さんがあるんですよ」
僕は心の中で、田中さんに全力で感謝した。
可琳は少し困ったように俯いていたけれど、鈴木さんがすかさずフォローを入れる。
「いいですね! 可琳、行こうよ。たまには外食しよう?」
鈴木さんの明るい一言に、可琳は肩の力を抜いたように見えた。
「この子、足が不自由なんで、〈MAHORA〉にログインしたままでいいですか?」
と、鈴木さんが確認すると、田中さんが一瞬「え?」と驚いた表情を見せたが、僕はすぐに「もちろん大丈夫です!」と元気良く答えた。
定食屋さんに着いて、僕達はテーブル席に4人で座った。
慣れた様子の田中さんが、さっと割り箸とおしぼりを配る。その自然な動きに、仕事では少し苦手意識を持っていた田中さんへの印象が少し変わる。
時々痛いことを言われて辛いけど、仕事でも気配りを感じる場面があって、なんだかんだ最近は、田中さんのことを尊敬している。
みんなで、田中さんお勧めの日替わり定食を注文し、料理が運ばれるまで、軽い雑談が続く。その中で、僕は意を決して可琳に声をかけた。
「あの、先日は突然呼び止めてしまって、すみませんでした。知り合いに似ていたもので……」
可琳は一瞬驚いたような表情を見せたあと、小さく微笑んで答えた。
「大丈夫です。少し驚いただけなので」
そう言って恥ずかしそうに俯いてしまった。僕は彼女の言葉に、ひとまずほっとする。
「なんだ八幡、時安さんともう知り合いだったのか。――ああそうか、時安リーダーと仲良いもんな」
「いえ、最近知り合ったばかりです。リーダーに娘さんががいるって知らなかったので」
僕は少し戸惑いながらも、冷静を装って答えた。
「可琳は普段リモートだし、ちょっと人見知りするんだけど、慣れるといっぱい話しますんで! ね、可琳?」
鈴木さんが明るく話しかけると、可琳は顔を真っ赤にして答えた。
「は、はいっ!」
その様子に田中さんが慌てて、
「そんなに緊張するようなメンツじゃないから」
と言うと、鈴木さんが可琳の肩を抱きながら微笑む。
「こう見えて、仕事はバリバリこなすんですよ」
「もう、佐奈ちゃん、私のことはいいから~!」
可琳は顔を赤くして抗議をしたあと、僕と目が合って、照れるようにまた下を向いてしまった。
そんな二人の掛け合いに笑いが起こり、場の雰囲気が和やかになる。
「二人はずいぶん仲がいいんだね」と田中さんが言うと
「妹が可琳と同学年で。小さい頃から知ってるんです」と鈴木さん。
僕が知っている可琳とは少し性格が違うようで、人馴れしていない感じや照れた顔が、どうしようもなく可愛いと思ってしまう。
顔は全然違うのに、眉や瞳の動き方、話すときの口の開き方……そんな些細な仕草がどうしても僕の中の可琳と重なってしまう。
――でも……この子は可琳じゃない。
そう、自分に言い聞かせる。
僕はちらりと鈴木さんを見る。どちらかといえば、外見や性格は鈴木さんに似ているのに、なぜか僕の中の可琳センサーが、目の前の彼女に反応してしまう。
僕は、鈴木さんから可琳に、視線を戻した。
可琳は下を向いたまま何かをしていて、手元がずっと動いている。しばらくして、彼女はダックスフンドの形をした箸袋をテーブルに置き、その上に箸を乗せると、そっと息をついた。
「あ、また折ってるー。可愛いよね」
鈴木さんが微笑みながら言った。
僕の心臓はドクンと大きく跳ねた。
――その折り方は……
「ついクセで折っちゃうんだよね」
そう言いながら、少し照れた顔を浮かべる可琳を見た瞬間、僕の記憶の中で輝くもう一人の可琳の姿が甦る。
僕の世界の居酒屋で一緒に食事をしたあの日。笑いながら、同じように箸袋を折っていた可琳の姿が。
――やっぱり、君は可琳なんじゃないのか?
『つい、クセで折っちゃうんだよね』
記憶の中の可琳が、目の前の彼女と重なる。
必死に抑えていた感情が、一気に揺さぶられる。
――可琳。僕のこと、覚えてる?
喉まで出かかった言葉を、どうにか呑み込む。
――僕は今でも、可琳のことが大好きだよ。
震えそうになる手を、テーブルの下でぎゅっと握りしめた。
「どうした八幡?」
田中さんの声に、ハッとして顔を上げた。
「めっちゃ時安さんの箸袋を睨んでるけど」
「あ、いや、すごいなって思って! どうやって折るんだろう」
田中さんがニヤッと笑う。
「お? じゃあ教えてもらったらどうだ?」
「私も教えてもらおうかな」
鈴木さんが続いてそう言うと、「簡単だよー」と可琳がダックスフンドになった箸袋を広げて、もう一度折り始めた。
その様子を見て、みんなで箸袋を折り始める。僕も手を動かしてみるけど、なんだか指が思うように動かなくて、形にならない。
あれ? と悩んでいると、「ここを、こうだよ」と可琳が優しく教えてくれる。指先がほんの一瞬触れただけで、僕の心臓は恥ずかしいくらいに激しく鳴り出した。みんなのテーブルに、それぞれ個性的なダックスフンドが並ぶ。
お待ちどう様、と料理を運んでくれた定食屋のおばちゃんが、テーブルの上に並ぶダックスフンドに「あら可愛い!」と声をあげた。
そのひと言に場が和み、みんなで顔を見合わせて笑う。箸袋を折る作業に集中している間に、ざわめいていた心も、少し落ち着いてきた。
どちらにしても、僕の世界の可琳は、もう僕の前にはいない。理由はわからないけれど、きっと僕は、何か嫌われるようなことをしてしまったんだろう。もしくは、僕が目覚めたことで、時安リーダーが可琳のデータを削除したのかもしれない。
でも、そんなこと、僕に断りもなくするだろうか?
カツを一口頬張りながら、ぼんやりと目の前の可琳を見る。
箸の使い方、食べ方、表情――どれも僕の記憶の中にいる可琳とそっくりだ。β世界と現実世界が重なり合い、彼女が目の前に戻ってきたような錯覚に襲われる。
――いい加減にしろ。
僕の内側で、僕が叫ぶ。
目の前の彼女は、僕が知っている可琳じゃない。
僕が好きだった彼女は、この世界にはいないんだ……
僕は必死に自分に言い聞かせる。
隣では田中さんが、僕の失敗をネタに楽しそうに話している。
「テスト不足でバグが残ってたりね。まあ俺がフォローするんだけど」
すぐそうやって自分の株をあげるんだから……。
ぼんやりとその話を聞き流していたら、ふいに可琳が口を開いた。
「でも八幡さん、長い間眠っていたんですよね。それなのにSEになってここに入るなんて、凄い努力されたんじゃないですか?」
え? ――僕?
思わず顔を上げると、可琳が柔らかく微笑んでいた。
その笑顔を見た瞬間、僕の心臓はきゅっと締め付けられた。
そう! そうなんだよ! 頑張ってるんだよ僕!
全身から湧き上がる言葉を呑み込みながら、彼女の微笑みに見入ってしまう。
うううう~……可愛い……
「実際、めちゃめちゃ努力してるよな」
田中さんが、可琳の言葉を拾うように続ける。
「俺、実は最初、こいつは時安リーダーのコネ入社だと思ってたんだけど、なかなか気骨があるやつでさ。俺が今めっちゃ育ててる!」
やっぱり自分の手柄にしてるけど、田中さんに直接褒められたのは初めてで、思わず照れてしまった。それに、可琳が僕のことをこんなに知ってくれている事実がたまらなく嬉しくて、心の中がじんわりと温かくなる。
時安リーダーは、可琳に僕のことをどれくらい話しているのだろう。
会話に集中するふりをしながら、僕は気づかれないように、そっと可琳を見つめた。
美味しそうに食べる姿が、とても愛おしい――
箸を持つ仕草や、ふと小首を傾げる瞬間。
何気ない所作の一つ一つが、僕の記憶の中の可琳とぴったり重なる。
頭ではわかっていても、どうしてもその面影を追ってしまう。
――もう、いい加減諦めろ。
今日だけで何度そう、自分に言い聞かせただろうか?
彼女は「可琳さん」であって、僕の世界の「可琳」じゃない。――そうだろう?
――本当にそうなのだろうか?
圭は言っていた。「また会える」って。
可琳はどうして、僕が目覚めたあの日から、消えてしまったんだろう。窪も、母さんも、他のみんなは僕が目覚めても、そのまま変わらず生活していた。なのに、どうして可琳だけ――。
……可琳だけ?
胸の奥で、何かが引っかかる感覚がした。
僕はハッと息を呑む。どうして今まで気づかなかったのか――とんでもない可能性が頭をよぎる。
もし、僕の世界の可琳がAIではなく、僕と同じように現実世界からログインしていた「誰か」だとしたら。
目が覚めてから病院でリハビリしていた時。僕がβ世界にログインしていなかった期間、あの世界の僕は「行方不明」になっていた。母さんも窪も、突然消えた僕を心配していた。
それと同じことが、可琳にも起こっているのでは?
確証なんてない。
可琳が僕のことが嫌いになって姿を消した可能性も、もちろんある。でも、どうしても腑に落ちない。少なくとも、あの日の前日まで、僕たちはとてもうまくいっていた。
だとしたら、誰かが可琳のアカウントを使ってログインしていた可能性も、充分にあり得るんじゃないか?
心臓が激しく脈打つ。
その「誰か」がもし本当に存在するなら、一体誰なんだ?




