エピローグ
「とりあえず、諸々の事後処理は終わりました」
月夜の一件が丸く収まってから数日、その事後報告のために九凪と月夜の暮らすアパートへと真昼が訪れていた。マンションは二人の部屋を中心として爆発が起こったので流石に修復のめどがまだ立っておらず、とりあえず以前に月夜の住んでいたアパートへと移ることになったのだ。
「あの、それで月夜はどうなりますか?」
ちゃぶ台を挟んで真昼の対面に座る九凪が不安そうな表情で尋ねる…………もっとも彼とは対照的にその膝の上の月夜は気楽な表情だ。彼女の中の最大の不安が解消された今となっては他の全てのことは些事に過ぎないのだろう。
「どうなるもなにもありませんよ。せっかく落ち着いた虎の尾をまた踏むような真似をするわけにいきません…………組織内での私への風当たりは強くなるでしょうけどね」
真昼は神秘に対処する組織の長だ。その長自ら神秘を拡散するような真似をした月夜を許してしまえば当然示しは付かないし反発もされるだろう…………それでもなお月夜を彼女は庇ってくれたのだと思うと九凪は頭が下がる思いだ。
「もちろん埋め合わせに仕事はしてもらいますからね」
「別に構わぬぞ」
目を平らに真昼が月夜を見るが、九凪に体重を預けながら悪びれずに彼女は答える。悪いことをしたと思っていないわけではないが、月夜にしてみればそれが絶対に必要なことだったからやろうとしたまでだ。それに関しては譲るつもりはない。
「で、これからの話ですが」
「何かあるんですか?」
事後処理は終わったと報告されたし、月夜に関しても仕事を割り振ることを罰とすると今口にしたばかりだ…………残るはマンションの話だろうか? 修復に時間が掛かるなら別に九凪としてはこのままアパートで暮らしても問題はない。どうせ月夜と常に一緒で個室があることの意味もあまりなかったし。
「いえ、長い時を生きることの心構えなどを話そうかと」
「…………?」
九凪は首を傾げる。
「えっと、それは月夜に?」
「月夜に話してもしょうがないでしょう」
なにせ彼女は封印されていたとはいえその間の長い時間を過ごした経験がある。つまりは自分かと顔に指さすと真昼は頷いた。
「え、でも僕は普通の人間ですよ」
それを神に近しい存在にしようという月夜の目論見は果たせなかったはずだ。
「ですが、月夜と命を繋いだでしょう?」
「え、あ…………そうなんですか?」
確かにあの時月夜が何かした感覚はあったし、それを九凪は彼女との命が繋がった感覚のように思った。しかし月夜からは直接説明もされなかったし彼の方からも確認していなかったのだ…………とりあえず、月夜も真昼も死ぬことが無く事が終わって安堵していたからだ。
「あの時月夜はあなたの願いを叶えるために、あなたが死ぬときに確実に自分も死ぬことになるようにと二人の命を一つのものとして繋ぎました」
「はい」
それは九凪が望んだわがままだ。彼女をこの世界において自分一人で死ぬことがないようにと自分と一緒に月夜が死ぬことを願った。
「つまりあなた達は互いの命を共有する形になったわけです」
「はい」
「つまりあなたは神の命を宿したようなものなのですよ?」
「…………ええと、それはつまりどういう?」
「不老不死の命に人間の命を足したとして、それがマイナスになると思いますか?」
「…………」
九凪と月夜は人間と神の命を足したものを共有している形だ。そして神の命とはその不老不死を支えるものであり、そこに人間の命を足したとて大海に混ぜられる一滴の水のようなものだろう。
「仮にあなたが致命傷を負ったとしても神の命が支えて死ぬことを許さないでしょうし、寿命に関しても神と同等となったと考えても問題ないと思います…………まあ私もせいぜい一万年くらいしか生きていない身の上なので、神に寿命がないとは厳密には言えないのですが」
神の命を共有しているのだから死に対する影響も同等のものになる。理屈としては単純なのだが九凪がその事実を飲み込むのには時間が掛かった…………だってそんなこと想定していない。
「あの、それは大丈夫なんですか?」
そもそも自分を死なないようにすることで大変なことになる、そんな話だったのに。
「ああ、命を繋ぐだけなら人を神に近いし存在に作り替えるのと違ってほとんど影響はありませんよ」
「…………あの、それなら」
最初からこうしていればよかったのではと九凪は思うが、真昼は肩を竦める。
「残念ながら神である私や月夜には思いつけないことでした。なにせ神が人間と命を繋ぐなんて行為は外付けの弱点を増やすようなものですからね」
九凪は不老不死に放っているかもしれないが今もただの人間だ。彼を狙えば簡単に月夜の命を消耗させ続けることができるだろう。不老不死とは言っているが、同じ神同士であれば相手を殺すことはできる…………そんな弱点があれば尚更簡単だろう。
「寿命を増やしたいだけならそれこそ月夜がやろうとしたように相手の存在を変えてしまえばいいだけです。わざわざそんなことをするという発想自体が我々神々にもありませんでした」
かつて神々がこの世界にいたころには気に入った人間の寿命を延ばすなんてことはありふれた行為だった…………当時であれば世界への影響など考える必要もなく、だからこそ逆に他の方法を考えることはなかった。月夜にはその当時の記憶はないはずだが、それでも神である自分が弱者である人間と命を繋ぐなんて発想はいわば本能的に浮かばなかったはずだ。九凪を変えれば済むことにわざわざリスクをとる発想が浮かぶはずもない。
あの時九凪が自分と一緒に死んでほしいと懇願したからこそ月夜も別の方法を思いついたのだろう。それにしたって単純に命を繋げば一緒に死ねると思っただけで、この結果は考えてもいなかったに違いない。
「まあつまり、今後も長い付き合いをしていきましょうということです」
そう言って微笑む真昼の表情はとても穏やかだった…………考えてみれば彼女にとって月夜は今のこの世界で数少ない同胞だ。多くの別れを経験して来た彼女にとってその別れの必要ない相手。それを九凪はわがままで奪おうとしていたことに今更ながら彼は気づく。
もちろん戸惑いはあるし。この先できっと九凪は月夜と同じ不安や恐れを抱くことだろう…………それでも、目の前の女性の心を安らがせることができたならそれでもいいかと思えた。
「わしのじゃぞ」
そんな彼の心境が伝わってしまったのか、膝の上で体勢を変えて彼に抱き着くと月夜は真昼を睨みつけた。
「わかっていますよ…………ですが、長い時間の中で人の心は移ろうものでもありますよ?」
「九凪は移ろわぬ」
「だといいですね」
にこにこと笑みを浮かべながら返す真昼のそれはささやかな意趣返しだろう…………そうだと思いたい。そう願った九凪と彼女の視線が合った。
「ああ、そういえばもう一つ九凪君に隠していたことがありました」
「え」
「正確に言えば九凪君だけではなく月夜にもですが」
「む、なんぞあったか?」
心当たりがないようで月夜は首を傾げる。
「ええ」
それに真昼は頷く。
「実はですね、私の知る限り封印される前から月夜はその姿のまま変わっていません。神という存在は生まれてから成長する例もないにはないのですが、概ねその見た目は変わることはないんですよ」
「え、つまり」
「月夜はその姿のまま変わらないということですね」
月夜をいさめたり九凪を納得させるために月夜の成長を真昼は引き合いにしていたが、実はそれは全て嘘だったのだ。彼女の知る限り月夜は数千年経とうが見た目に変化はない。
「えっと、それ今までで一番衝撃的な事実かもしれないです」
九凪は動揺を隠せずその事実を飲み込めない。前提が、いろいろな前提がそれでは崩れてしまうのだ。
「むう、そうかわしの体は変わらぬのか…………つまりこれでわしは大人ということか? それならば九凪とまぐわっても問題ないということではないか!」
九凪とは対照的に月夜の表情は明るく輝く。
「よし、九凪! 今夜から早速するのじゃ!」
「ごめん月夜、ちょっとまだ僕の頭が追いついてない…………」
「わしの体が変わらぬならいくら考えても変わらぬ! どうせいずれするなら早いほうが良かろう!」
「わっ、だからちょっと待ってって!」
「…………やれやれ」
目の前で九凪を押し倒し始める月夜に真昼は溜息を吐く。これから先、当分の間は退屈なことにはならなそうだ。
「とりあえず、止めますか」
きっとこんな、騒がしくも楽しい日々が続いていくのだろうから。
お読み頂きありがとうございます。一区切りまで書きましたのでこのお話は一旦完結となります。
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