六十八話 わがまま
真昼の背には巨大な光の輪が現れていた。それはただの装飾ではなく強力な光を放ち膨大な熱と共にその前方を白く染めていく。普通の人間であれば瞬時に蒸発し、あらゆる物体を焼き焦げた炭へと変えていく。その中では神である月夜であってもただでは済まないし、耐えられていても白く染まった世界の中では動くことすらままならないだろう。
「今度こそ終わりです」
日輪の出現と同時に真昼の握る剣も様変わりしていた。大樹のように枝分かれしていたその刀身は一本へとまとまり、まるで光そのものを握りしめているような光剣となっていた。それに残る全ての力を込めて月夜を斬る…………それで終わりのはずだった。
「!?」
しかし剣を振るうよりも早く白く染まったはずの空間に黒が生まれる。それは周囲の光を吸収するように広がって強すぎる光の中に消えていたはずの月夜の姿を浮かび上がらせる。彼女は闇を背負っていた。
「全て、何もかも、呑まれよ」
月夜のその言葉を現実のものとするように真昼の光が闇の中へと消えていく。零落したはずの月夜の力が封印を解いた自身の力を上回っていることに真昼は驚愕する…………それが理解できないからではない。あの何もかもを呑み込む漆黒の闇はかつて遠い昔の月夜が抱いていた絶望そのものだ…………何もかも擦り切れてしまうはずの封印でも彼女の絶望を消すことはできなかったのかと真昼は思い知る。自身の自我や記憶のなにもかも擦り切れても彼女は復讐の力だけは残したのだと。
「これは…………拙い、ですね」
光だけではない、自分自身も闇へと引き寄せられ始めているのを月夜は感じていた。出力で負けているのだ。こうなっては下手に耐えて消耗するよりいっそ引き寄せられて…………闇に呑まれる前に残る力の全てを剣に込めて月夜を討つしかない。
「それもいいですか」
諦めたように苦笑する。負けたとて別に構わないと今気づいた…………そうなれば、世界が滅茶苦茶になろうともかつて救えなかった一人の少女は救えるのだから。
「わ、あああぁああああああああああああああああ!?」
「は?」
そう考えた彼女の目の前を、九凪が通り過ぎていって真昼は思わず口を空けた。
「なんで前に出たんですか!?」
真昼の後ろにいればまだ月夜の力の影響は及ばなかったはずだ。それが引き寄せられてしまったということは九凪が自らの意思で前に出たからに他ならない…………二人の殺し合いを今更止めることができないのなんてわかっているはずなのに。
「九凪!?」
そして驚いたのは月夜も同じだった。彼が死なないように真昼が光を消すのと同時に月夜も闇を消す。しかし勢いは消えずにそのまま九凪はちょうど月夜の前辺りまで飛ばされて地面を転がった。
「…………いけない!」
真昼は焦るようにすぐさま二人の元へと走り出す。そしてそれは月夜にとって僥倖だった。求めるべき相手が目の前に自分からやって来て妨害者である真昼は遠い。わざわざ真昼を殺さずとも彼を連れて逃げればいい…………それは彼女にとって最良の結果だ。九凪の意図など今は気にする必要はない。まずは連れてこの場を去る。
「お願いがあるんだ」
しかし伸ばした手がその言葉で止まる。九凪は満足に受け身も取れずに地面を転がったのか全身が擦り傷だらけで痛々しい…………けれどそんな痛みなど気にもせずように身を起こし、まっすぐに月夜を見ていた。
「九凪、今はそのような話を聞いては…………」
「僕は今まで月夜の願いをいくつも聞いてきたよね?」
遮るように九凪の告げた言葉に月夜の喉が詰まる。いくつもどころの話ではない。彼と出会ってから彼女は九凪へとわがままの言い通しだ。そしてそのほとんどを文句を言う事無く彼は聞き届けてくれた…………九凪を第一に思う月夜がそれを無碍できるはずもない。
「なんじゃ。言っておくがわしは考えを改めぬぞ」
「ううん、改めて欲しい」
「九凪、わしは!」
「僕が死ぬのが、それ一人取り残されるのが嫌なんだよね?」
「そうじゃ! だからわしは!」
その苦しみを知っているように月夜は自分の胸の真ん中を鷲掴みにする。何もかも忘れたはずなのに。過去の時分などすべて消えてしまったはずなのに…………消えない穴がそこに在るのだけがわかる。今は埋まっているその穴が再び開いてしまうことがこれ以上にないくらいに月夜には恐ろしい。
「僕も、君を一人置いていくのは嫌だ」
巫覡であることを自覚した今の九凪には月夜の気持ちが痛いくらいにわかる。残された彼女がどんな気持ちで自分のいなくなった世界を過ごしていくのかが想像できる…………だから気と自分は後悔して死ぬだろうと九凪は思う。彼女をそんな苦しみの中に残して死んでいくことに後悔して死ぬのだ。
そんなのは嫌だ。
だから九凪は月夜にお願いをする。もちろん不死になることを望みはしない。それで真昼やそのほかの大勢の人に迷惑をかけたくない。例え不死になったとしてもそれでは幸せな人生を送れない…………月夜に負けないくらいに九凪だってわがままなのだ。
「だから、月夜…………僕と一緒に死んでほしい」
ゆえに九凪は望む。月夜と共に生き続けることではなく、月夜と共に終わることを。
「な、九凪それは!?」
「もちろん今じゃないよ」
優しく九凪は微笑む。
「僕はこれから月夜と一緒に残りの人生を精一杯幸せに暮らす…………そうしていつか僕の死が避けきれないものになった時、月夜にも一緒に死んでほしい。僕は僕のいなくなった世界に君を置いて行きたくない」
九凪は月夜に手を伸ばす。それは不死であるはずの神様を連れていく死神の手だ。それが正しいことだとは決して彼は思わない…………これ以上ないくらい最悪のわがままだとすら思う。
ただ、それでもこれが九凪にできる最良の提案だった。月夜がこれに承諾さえしてくれれば他の誰も不幸になることはない。
「駄目、かな?」
普通ならそれは承諾されるはずもない願いだ。死なずに済むものをわざわざ死ぬことなんて誰もしない。けれど九凪は月夜の命が欲しい…………彼女を一人にしないために。自分が安らかにこの世界を旅立てるように。
「よい、のか?」
頼んでいるのは九凪なのに、まるで月夜の方こそ許しを求めているようだった。そんな彼女に彼はもう一度微笑む。
「死が二人を分かつまでなんて言うけどさ…………僕は死んでも月夜のことを離したくないんだ。だからさ、君は僕が連れて行きたい」
あの世が存在するかどうか九凪は知らない。けれど神様なんてものがいるんだからあの世だってあったっておかしくないだろう…………だったらそこまで九凪は月夜を連れていく。死んだって彼女を一人にはせず一緒にいる。
「わかったのじゃ!」
泣きながら笑って月夜は九凪へと飛びつく。抱き返されるその感触にもっと泣きそうになりながらももっと笑う。
「わしは九凪と共に死ぬ! これよりわしと九凪の命は一つじゃ!」
「うん」
それは言葉だけじゃなく月夜が何かしたのだろう。頷く九凪は何か大きくて温かいものが自分と一つになったような感覚を覚えた…………本当に、二人の命を月夜が一つにしたのかもしれない。
「全く、馬に蹴られますね」
そんな二人の光景を遠巻きで呆れるように見つめて真昼は地面へと座り込んだ。疲れ果ててもう立ち上がりたくもない。とんだ徒労だと思う。彼女が下手に介入せずに二人をしっかり話し合いさえさせれば最初からそれですんでいたのではと思えてしまう。
それなのに、彼女はこれまで生きてきた中で一番心地いい気分だった。
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