六十七話 葛藤
それは遠い昔の話だった。神々がまだこの現世に数多くいたころ、その性根の真面目さもあったからか真昼は神々のまとめ役のようなことをしていた。とはいえ別に神々の長であったわけではなく、我の強い神々の諍いを収める調停役のようなものだった。
そんな真昼が新しい神の存在を知ったのは他の神々よりも遅れてのことだ。多忙な彼女を気遣ってか問題が起こるまで他の神は真昼にそれを知らせなかった…………つまりその神に関して問題が起こったということでもあった。
経緯を聞くとどうやらその幼神は力の強い神であったらしい。生まれたてで強力な力を持った神など危険極まりなく、当初は誰も彼女に近寄らないようにして様子を見ていたという。しかし力ある幼い存在ともなれば利用しようと考えるものも出てくる。私に話が回って来た時にはすでにそんな愚か者たちが幾人も屠られた後だった。
とりあえず真昼が様子を見に行ってみるとそこにいるのはただの幼子だった。しかしやはりそこは神であるからか聡明そうな目をしていたし、悪意や敵意に敏感であることは愚か者たちが屠られたことから明らかだ…………しかもそのせいで彼女は他者に対して疑念の目を抱いてしまっているようだった。
それを見て真昼は幼神の心が落ち着くまで干渉を禁じることを他の神々に通達した。思えばそれが失敗だったのだろう。あの時真昼は自身が傷つくことをいとわずに彼女に接触するべきだった…………そうすればきっと、全て変わっていたはずだ。
幼神が狼の子を拾ったというのはそれから数十年か経ってからのことだった。彼女は生まれた地である山から離れることはなかったが、神々は真昼の通達通り不干渉を守りながらもその動向は伺っていたのだ。その狼が親を狩られた生き残りであると聞いて真昼は一つの不安を覚えた…………そして彼女に会いに行くことを決めた。
久方ぶりに目にした幼神が笑顔を浮かべているところを見て真昼は安堵ではなく不安が確かであったことを知った。初めて得た家族に明らかに彼女は依存している…………だから真昼は幼神に忠告した。その狼は必ず毒になって彼女を蝕むと。それに対する返答は苛烈に過ぎた。神々の調停役として上位の力を持つ彼女ですら痛い目を見たのだ。
それからしばらくして真昼の不安は現実のものとなった。成長した狼の子は幼神から力を与えられてその復讐をした。直接的な犯人だけではなく人間そのものを恨んだその狼は最終的に神々によって討たれた…………そしてその復讐のために幼神は暴れまわったのだ。
最終的に神々によって幼神は封じられたが、その被害は甚大なものだった。それは神々が自らの影響の大きさを自覚し、この世界から去ることを決意させるほどだった。真昼もその結論に同意したが自身は残ることを選んだ…………償いのためだ。彼女には何度も幼神を助けるチャンスがあったと思うのだ。真昼があの幼神にもっと真摯に接することができていれば、こんなことにはならなかっただろうから。
それから真昼は勤めを果たしながら封印された幼神を見守った。いつかその封印が解けて彼女がこの世界に戻って来た時に、かつてのような過ちを繰り返さないために…………そのはずだったのに。
彼女はまた失敗した。
いくつもの選択をまた誤り、自ら月夜と名付けた幼神と再び殺し合うことになった。それを決して望んでなどいないのに、真昼は止めることもできない。
結局、真昼は遠い昔の頃と何も変わることができなかったのだ。
「ならばせめて今度は」
引き延ばすことなく終わらせようと真昼は思う。当時と違って今の彼女と月夜との間には大きな力の差がある。一段階とはいえ封印を解除した真昼であれば今の月夜を苦しめることなく終わらせられるだろう。
「甘いな」
しかし振り下ろした剣が受け止められる。先度ほどまでと違って大きな力の差があるはずなのに、月夜は苦も無く自身の剣で受け止めていた…………彼女のその剣も、真昼のそれと同じように巨大化していく。
「そんな」
月夜は零落してその力が失われているはずだ。彼女に掛けられていたあの封印にはそういう力がある。だからこそ封印が解けた時に彼女はその記憶も何もかもが擦り切れた状態だったのだから。
「知らぬが、奥底から力が湧いてくるようじゃ」
別に隠していたわけでもない。そもそも月夜は自身のその力について気にも留めていなかった。大した神通力も残っていないと最初彼女は口にしていたが…………記憶も何もかも擦り切れた月夜には力を使う目的がなかった。だから自分の力の限界がどこにあるかを試すようなこともせず、必要最低限の力だけ使ってそう結論を出していたのだ。
しかし今、自暴自棄にも似た心境で月夜はその力の限りを絞り出している。この世界がどうなろうと自身がどうなろうと目的さえ果たせればどうでもいいと。
「仕方、ありません」
再び真昼は月夜から距離を取る。かつてよりも大幅に弱体化しているはずの月夜の力は、それでも自身の想定より高いのだと真昼は見積りを修正する。それであれば悠長に戦うのは逆効果だ。段階的に力を解放して月夜がそれに呼応するように力を引き出しては何も意味がない。
全力で、一気に終わらせるしかない。
「封印、第三段階解除」
自身の封印を完全に解除し、真昼は日輪を背負った。
◇
戦いが始まってから九凪にはそれを見ていることしかできなかった。しかもただの人間である彼からすればその見ているということすら難しく、目にも止まらない攻防は何が起こっているかすら伝えてくれないことすらあった。
だけど、それなのに二人の感情だけは伝わってくる。
巫覡であること自覚したのと、戦うことに集中した二人がその感情を隠す余裕もなく戦っているからなのだろう。
「うう」
その感情に胸が締め付けられる思いだった。真昼がどれだけ月夜のことを大切に思いながら果たすべき責任との板挟みに苦しんでいるかもわかるし…………月夜がどれだけ意地っ張り屋でひねくれものなのかもわかってしまった。
「…………ちゃんと、真昼さんのことも好きじゃないか」
月夜から伝わってくる感情には確かに葛藤があった。口にも態度にも出さなかったくせにちゃんと真昼にも月夜は感謝をしていて、そんな彼女を殺すことに罪悪感も覚えている…………それでも、九凪を優先してその感情を押し殺そうとしているのだ。
「僕は…………」
どうすれば、どうするべきなのかと焦燥の中で考える。例えそれが意図的でなかったとしても二人が争っている原因は九凪だった。彼が月夜に出会うことがなければ…………彼女は同じ神である真昼を心の支えとして今も平穏に暮らしていたかもしれない。しかしそんなIFを夢想したところで今の現実は変わらない。
止める?
今戦場に九凪が割り込んだところでどうにかなる状況ではない。むしろそれがどちらかに対する致命的な隙となって決着がついてしまうかもしれない…………仮に止まったとしても、それは一時的なものでしかない。説得で終わるなら最初からそれで済んでいるのだ。
「ならいっそ…………」
争いの原因である自分が消えればどうだろうかと考える。それで二人が殺し合いをやめてくれるなら躊躇いはあまりない…………けれど解決にはならないだろう。それはただただ二人にショックを与えて、とりわけ月夜を絶望させるだけだ。そうなれば収まるどころか余計に収拾がつかなくなる可能性のほうが高い。
「…………僕が死ぬわけにはいかない」
しかし九凪はいつか死ぬ。けれどその理を変えることを真昼は許容できない。堂々巡りの結論に答えは出ない。この意味のない思考を繰り返している間に二人のどちらかが死ぬ…………そんなことは嫌だった。もう一度考え直す。
「僕はいつか死ぬ」
それによって月夜が絶望しないためには…………彼女が九凪を失った悲しみに押しつぶされないためにはどうすればいいだろうか。これまでと同じ考え方では同じ結論しか出ない…………だから九凪は考える方向を変えてみる。真昼が孤独になりさえしなければいいのだと。
「あ」
一つ、思いつく。それは考えるにこれ以上ない愚かな提案だった。普通に考えればそれを承諾することなどありえない。
だけど、それしかないと九凪は決意を固める…………そして走り出した。
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