六十四話 一人を死なせないということ
「まず根本的な原因から説明しましょう…………月夜はあなたが死ぬことを恐れています」
「それは、どういう意味合いですか?」
「外的要因によるものもそうですが、一番は確実に訪れる死でしょう」
人は寿命で死ぬ。永遠には生きられない生物だからだ。
「あの子はあなたが死んで一人になることを恐れました」
「…………」
それは九凪も懸念として一度思い浮かべたことだった。自分はいつか死ぬが神である月夜は死ぬことがないからいずれ彼女を一人にしてしまう…………だけど彼はすぐにそれを棚上げにしたのだ。
「でも、それはまだ先の話ですよね」
自分が死ぬにしてもそれはまだ遠い未来の話であり、その間に月夜にも変化があるかもしれないからと。
「ええ、人間にとってはそうでしょう」
真昼は同意するが、あくまでそれは人間の話だと続けた。
「しかし長い時を生きる神にとって百年やそこらなんてほんの僅かな時間です。月夜の封印されていた時間と比較してもそれはとても短い」
長い孤独の果てにようやく手に入れたものが瞬く間に手から零れ落ちていくようなものなのだ。それでは苦しみに対してあまりにも報われる期間が短すぎる…………けれどその感覚は九凪にはわからなかった。
ただの人間である彼には百年はやはり長い。月夜や真昼が神であると知らされてもすごい力を持っているくらいにしか彼は思っていなかったが、人と神では時間に対する感覚が違うのだとここで思い知らされた。
「とはいえこれは私にとっても誤算でした。人も神も浮かれている時には都合の悪いことなど思い浮かばないものですから」
「それは…………それは多分僕が」
九凪は思い出す。あの日、奏の告白を断った日に月夜はもしもの未来を想像して不安を抱いてしまった。だけどそれは彼が少し慰めれば落ち着く程度のものだった…………けれどその時に九凪は将来の懸念に気づいてしまったのだ。いつか必ず自分は月夜を残して死んでしまうということに。
もちろん気づいただけなら普通は何でもない。少なくとも九凪は表面上にその不安を出さなかったし、すぐにそれは将来の課題と棚に上げて意識しないようにした…………実際今日までそんなことは忘れていたのだ。
だが、九凪は巫覡である。
そしてその日その時はその力を自覚していなかった。
「だから、すぐに明かして…………あんな提案をしたんですね」
考えてみれば巫覡の力を真昼から説明されたのはその翌日だ。そして突然の思いつきのように月夜と子供を作ることを推奨されたのも理解できる…………あの時抱いた九凪の不安は巫覡の力によって真昼にも伝わっていたのだろう。だから彼女は慌てて九凪に巫覡の力のことを教えたし、将来月夜を孤独にしないための対策として子作りを推奨した。
「全ては私のミスですよ。あなたにもっと早く巫覡であることを教えておけばこんなことにはならなかったはずです」
本来であれば事情を明かした時に一緒に説明するべきだった。しかしうまくいく二人に水を差したくなくて…………いや、正直に言ってしまえば九凪に嫌われたくなかったのだろう。それに彼の心地よい感情をこれからも隠されることなく感じ取りたかったという欲もあった。
「結果として月夜は知ってしまった」
九凪のその不安が伝わらなければ…………月夜は幸せな生活の中でそんな懸念を抱くことはなかったかもしれない。もちろんいずれは気づくことではあるのだけど、それまでに彼女も受け入れるだけの精神的な成長や別の支えが生まれていたかもしれないのだ。
「ここまでは理解できましたけど…………それがなんで二人が争うことに繋がるんですか?」
九凪の抱いた不安が伝わり月夜が彼が死ぬ将来を不安に思ったことは理解できた…………しかしそれがなぜマンションが爆発し、真昼が慌てて九凪と合流して月夜から逃げるようなことになるかがわからない。
「簡単です、月夜があなたを死なないようにしようとしているからですよ」
「…………すみません、それはどういう意味なんですか?」
最初と同じ質問を九凪は口にする。死なないようにすると言っても方法はいろいろある。ましてやそれが超常の力を持つ神であれば九凪が思いもよらない方法があるかもしれない。
「簡単に言ってしまえば月夜はあなたを神に近しい存在に変えようとしています」
「えっ!?」
それは彼が完全に予想のしていなかった方法だ。
「そうなれば寿命もありませんし、外的要因で死ぬようなこともほとんどありません。結果だけ見れば月夜の望みを叶える最良の方法といってもいいでしょう」
「そう、ですね」
同意しながらも九凪の胸には不安が渦巻く。それで良しとするのであれば二人が争う理由がない。それが良い方法でないからこそ真昼は反対し、月夜が強行して今のような状況になっているのだと彼にもわかる。
「何が、問題なんですか?」
「結論から言えば今の世界が滅茶苦茶になります」
「…………なんでそんなことに?」
言ってしまえば九凪一人の存在が変化するだけのことだ。そうなった後に彼がその力を使って世界を滅茶苦茶にするというのならそうだが…………仮に神に近しい存在になったとしても九凪はそんなことをしないだろう。変わらずに月夜とひっそり生きることを望むはずだ。
「神にとってこの世界は粘土のようなものです」
「粘土、ですか?」
話が急に変わったが、それが説明に繋がるのだろうと九凪は相槌を打つ。
「粘土が乾くと固まるように、世界も時間と共に固まって完成されていきます。しかし神々はその固まった粘土に水をかけ、自由に形を変えることができる…………それが神の持つ力です」
それによって存在しない生物を作り出したり起こりえない現象を神は引き起こせる。
「問題は、柔らかくなった粘土は神でなくとも形を変えられるということです。もちろんそれは簡単なことではありませんが、例えば大勢の人の意識が集まったり、衝撃的な出来事で爆発的な感情を絞り出すようなことがあれば影響を与えることもあります」
それは例えば噂話が重なることによって都市伝説の発生に繋がったり、絶望的な出来事の中で死した人間の今わの際の慟哭がその写し見ともいえる怨霊を生み出したりといったりだ。他にも数多くの逸話が語られることによってただの道具が特別な力を得ることもある。
「そして一度柔らかくした世界を神は固めることができません。それに関しては時間に任せるしかないのです」
神は世界を柔らかくして自由に形を変えることができるが、だからこそその力で固めるようなことはできないのだ。
「遠い昔、神々はこの世界で自由に力を振るいました。その結果固まりかけていた世界の理はどんどんと揺らいでしまい…………世界には神の手を離れてその影響によって生まれた神秘が溢れてしまいました」
世界の揺らぎによって生まれた本来存在するはずのない神秘。問題はその神秘そのものも世界の理を揺らがせる力を持っていたことだった。妖や怪物が跋扈し、陰陽師や魔法使いなどがそれに対峙する。神々の存在した当時は神秘が独り歩きしてもはや収拾のつかないような状態になってしまっていた。
「だから、神々はこの世界を去ることにしました」
いくら神秘に対処したところで神々が存在する限り世界は揺らいで再び神秘が生まれる。だから神々はその後始末を任せた月夜のような紙を残してこの世界を去った。
「そして月夜があなたに行おうとしている行為は、今の世界に新たな神秘を数多く生み出してしまうことになるでしょう」
それは、真昼がこの世界に残ってしてきたことを否定する行為なのだ。
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