五十一話 謝罪と甘々
「九凪、すまぬっ!」
学校から帰って来た九凪を出迎えた月夜は開口一番にそう叫んで頭を下げた。今家に帰って来たばかりの彼には当然理由がわからず戸惑う…………何かされたような覚えはなく、それならば家事で何かミスでもしたのだろうかと伺うがそんな気配もなかった。
「ええと、どうしたの?」
なので彼は尋ねるしかない。
「わしは、わしは…………真昼の甘言に乗ってしまったのじゃ!」
「真昼さんの?」
悔し気に月夜は明かすがそれでもまだ九凪にはピンとこない。とりあえず落ち着かせながらリビングに移動してソファに座る。最近は膝上ではなく横がお気に入りなのか、彼の右腕を持ち上げて自分の首に絡ませる形で月夜は寄り添った。膝上よりはマシかなと思ってしまう辺りもうだめかもしれないと九凪は思っている。
「それで具体的に月夜はなにをしたの?」
「うー、それはじゃな…………」
言いづらいのか月夜は言葉を澱ませ、顔を見せたくないというように彼のわき腹へと顔をうずめる。それがくすぐったくもあり心地よくもあるような感じで九凪は妙な感覚を覚えそうになってしまう…………拙い、と思いパシッと頬を叩く。
「どうしたのじゃ?」
「なんでもないよ………それで?」
促すと月夜は観念したように続きを話す。
「真昼はわしにあまり我慢をするのは良くないと言いおったのじゃ」
「うん」
我慢、そうか色々されていたと思うのにそれも我慢した結果なのかと九凪は思う。そして我慢から解き放たれたら一体月夜は何をしてしまうのか…………不安もありながら期待を抱く自分に気づいて九凪はもう一度自身の頬を叩いた。
「九凪?」
「なんでもない、続けて」
月夜を促す。早く話を進めないとどんどんと理性のタガが緩みそうだった。
「実は、千里眼で九凪とあの娘の様子を盗み見てしまったのじゃ」
「うん、それで?」
「…………それだけじゃが?」
「ええと、見て何かしたわけじゃないの?」
「うむ」
頷く月夜の様子は嘘を吐いてるようじゃなかった。
「…………それだけ?」
「それだけじゃが…………すまぬ!」
合わせる顔もないというようにまた月夜が彼の横腹に顔をうずめる。しかしそれを告白された九凪は正直拍子抜けしたという気持ちだった…………だってそうだろう。月夜は九凪と奏の様子を確認しただけでそれ以上何もしていないのだ。
もちろん盗み見が良いことではないのは九凪も理解している。しかし逆に言えばこれまで月夜は誰にも気づかれずに九凪の様子を確認する手段がありながらそれをしていなかったのだ。
真昼にそそのかされてというか提案されて初めて彼女はその力を使った…………だからこそ後悔しているのだろうけど、九凪としては責める理由が見つからない。
「月夜、僕は怒ってないよ」
「…………本当か?」
「うん」
それが本当であると証明するように九凪は優しく月夜の頭を撫でた。それに彼女はびくりと一瞬震えたが、すぐに気持ちよさそうに体の力を抜く…………猫とか犬みたいだなとちょっと九凪は思った。
「月夜、確かに盗み見は良くないことだよ」
「…………うむ」
「でも月夜が気になった気持ちは僕にもわかる。だからこうして正直に話してくれたんだし僕は君を責めたりはしない…………奏には少し申し訳ないけどね」
正直に言ってしまえばむしろ助かったかもしれないとすら九凪は思う。奏に悪いと思う気持ちは事実だが、彼女の誘いを受ける間それ以上に月夜に対する罪悪感があったのだ。それに人というものは自分で見ていないものに様々な想像を膨らませるものである。
九凪は月夜にあらかじめ話した通りの対応を奏にするつもりだし、それ以上のことにはならないと思っている…………それを直接確認してくれるなら事実と違う想像をされることもない。
「だから、うん。僕と奏が出かけると時も見てもらって大丈夫だよ」
「…………よいのか?」
「それで月夜の不安が晴れるなら僕は構わないよ」
奏には本当に申し訳ないが…………その方が多分いいと思うのだ。月夜は子供ではないと真昼から話されたことを思い出す。彼女がただの純粋無垢な子供ではないからこそ、下手をしてこじれそうな要素は排除しておくべきだと思うのだ。
「他の時でも、よいのか?」
「…………いいよ」
少し迷ったが九凪は頷く。見てほしくないといえばきっと月夜は見ないと約束してくれるだろう…………けれど、彼の側には彼女が見なかったと確認する方法がない。それが彼女の力である以上は自己申告を信じるしかないからだ。
けれど九凪も人間だ。もしかしたら月夜が本当に見ているのではと疑ってしまうことがあるかもしれない…………そうなるくらいなら、最初から見ていいと許す方がいい。
「うー、うー…………見る時は九凪に確認するのじゃ」
誘惑に耐えるような表情を浮かべつつ月夜が言う…………本当に可愛らしい子だなと九凪は思う。こんな子を悲しませたりしたくは無いなと。
「そうだ、奏と出かける埋め合わせじゃないけど……どこかデートに行かない?」
「デート!」
「うん」
「それはわしと九凪の二人きりでか!」
「そうだよ」
そうでなくては意味がない。
「この前出かけた時は二人きりじゃなかったしね」
「おお!」
月夜は顔を輝かせるが、ふと真顔になる。
「しかしデートとは男女の仲を深めるために行くものなのじゃろう? わしと九凪はすでに恋人同士なのだからあまり意味がないのではないか?」
「恋人同士でももっと仲良くなりたいとは思わない」
「思うぞ!」
なるほど、と月夜は納得する。けれど別の疑問もあるという表情だった。
「しかしよいのか?」
「うん?」
「デートはあの奏という娘を振った後でするつもりなのじゃろう?」
「…………うん、そうだね」
勿論そのすぐにというつもりはないけれど、埋め合わせなのだからあまり間も空けられないだろう。
「わしは構わぬが…………九凪は気に病むのではないか?」
「…………かもしれない」
九凪は奏の気持ちを知ったうえで誘いを承諾して告白を振る…………だから彼女に対して申し訳ないというか罪悪感を覚えていた。そんな罪悪感を胸に奏を振って、その直後に月夜と幸せにデートを楽しむというのは確かに難しいかもしれない。
「わしはこうして九凪といられるだけで幸せじゃ。無理はせんでよいぞ」
それまでとは逆に、労わるように月夜が九凪の頭に手を伸ばした。
「うん、ありがとう」
それを受け入れるように頭を下げて彼女にされるがまま撫でられる。
「とりあえず、明日春明を一発殴ろうと思うよ」
「よくわからぬが、九凪がそうしたいなら良いと思うぞ!」
考えてみれば春明が奏の気持ちを九凪にばらさなければこんな罪悪感を抱くこともなかったはずなのだ。
一発ぐらいは殴る権利があるだろうと。九凪はとりあえず決意した。
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