五十話 誘いと不安
「高天。ちょっと話があるんだけど…………いい?」
放課後に奏から話しかけられて九凪は驚く。春明からはメールで誘うつもりだと聞いていたからだ。しかしどうやら彼女はその後さらに勇気を出して直接誘うことに決めたらしい…………それ自体は良いことだと思うけど、誘われる本人としてはメールで誘われるより気が重い。
なにせこれから自分は何も知らないふりをしながら奏の頑張りを受け入れて…………最後には台無しにしなくてはいけないのだ。頭では彼女にとってそれは必要なことだと理解していても良心は咎める。
いっそ何もかも明かしてしまえばという考えも浮かぶが、そうするとどうしても月夜のことや春明のやらかしについても話す必要が出てくる。穏便に済ませようとすればそれはできなかった。
「なに?」
だから九凪にできるのは表情を取り繕い、何も知らないような態度で奏に返事することだけだ。遠巻きに春明が珍しく申し訳ないといった表情でこちらを見ているのが見えた。
「ここじゃなんだから、ちょっと移動するわよ」
「うん」
言われるがまま九凪は奏に従って教室を出る。移動すると言ってもそれほど大きく移動したわけではなく、教室から近い階段の踊り場だ。最低限クラスの人間に聞かれないところに移動できればよかったのだろう。
「それで話って?」
いつもの九凪であれば奏の方から話すのを待っただろうが珍しく促す。彼女の気持ちを知らされている彼にしてみれば気まずい時間はできれば少なくしたかったのだ。幸いなことにその些細な違和感に緊張からてんぱっている奏は気づいてはいないようだった。
「あの、そのね」
「うん」
「高天は進路を専門学校にするって言ってたじゃない?」
それはこの間話題を変えるために九凪が話したことだった。将来店を出す希望を抱いた経緯はうまくごまかしたが、その為にもパティシエ系の専門学校に入ることを決めたと彼は二人に説明したのだ。
「それでほら、プロになるんだったらいろんなお店の味も勉強するべきじゃない?」
「そうだね」
それは実際に九凪も考えていたことだ。彼は自分が食べるためにお菓子作りを始めたが、そのせいか味にはそれほどこだわっていなかった。もちろん自分なりに美味しくなるよう改善はしていたがそれは自分の好みに合わせてのものでしかない。だから不特定多数の人に向けての味も学ばなくてはいけないとは考えていたのだ。
「それで、その…………駅前に新しくケーキ屋さんができたのは知ってる?」
「ああうん、有名なところだよね」
東京の方で有名なパティシエの経営している店が支店を出したということでお菓子好きの界隈では話題になっていたらしい。
「私も少し興味があってさ…………一緒に行ってみない?」
本当にそれだけ、下心はないのだと振舞い九凪を誘う奏の表情は本当にいじらしい。しかし事情を知ってしまっている彼からするととても罪悪感を刺激する表情だった…………それでもどう答えるべきかを九凪は考えなくてはならない。奏が軽い誘いだと振舞っているなら自分もそう受け取るべきだろうか? しかし軽すぎてもやはり申し訳なく思える。
「うん、いいよ。今度の土曜日でいい?」
「よかっ…………部活もないからその日で大丈夫よ」
思わずはしゃぎそうになったのを取り繕って奏は頷く。
「あっ、春明とかも誘ったほうがいいかな」
「駄目っ!」
いじわるではなく、普段の九凪であればそう提案するだろうと彼が口にすると思いのほか強い反応が返る。しまった、と九凪は思うがそれは奏も同様だった。どう言い訳するべきかと一瞬その目があさってをさ迷う。
「ええと、あー、朝川のやつは甘い物嫌いなのよ」
「そ、そうなんだ。それなら無理させるのも悪いね」
「そうよ!」
適当なごまかしにのっかる九凪を奏は強引に押し切る。実際のところ春明が割と甘い者を好きなことを九凪も奏も知っている。そうでなければ九凪も春明にクッキーの御裾分けを使用なんてしないし、奏だって九凪よりも春明とは長い付き合いなのでその嗜好は把握している…………ただまあ双方がその認識を確認し合ったことはないし、それでごまかせるのならわざわざこの場で真実を確認する必要もない。
「それじゃあ土曜日にね! 詳しい時間はまた連絡するわ!」
「あ、うん」
これ以上のぼろを出さないためかそれだけ告げて奏は走り去っていく…………今の話の口裏合わせを頼みに春明のところへ行った可能性もあるだろう。
いずれにせよ一人になって、一仕事終えたように九凪は息を吐いた。
◇
「うーむ……………」
広いマンションの一室で月夜はうめきながら窓を見ては視線を外し、また窓を見るということを繰り返していた。九凪が学校へと行ってから彼女はそれ以外何もしていない。正確にいえば最低限の家事はこなして九凪の洗濯物を洗う前に顔をうずめるようなことはしていたけれど…………それ以外はただ窓を見てはということを繰り返しているだけだった。
「何をやっているのですか、あなたは」
「!?」
そんな月夜はいつの間にか自分の領域に真昼が入って来ていたことも気づいていなかった。いきなり背後から話しかけられて慌てて振り返る。
「ななななな、なんで勝手に入っておるのじゃ!?」
「ちゃんとチャイムも鳴らしましたよ」
それでも反応がないから入って来たのだ。
「わしが気づかぬとはどうやって入った!?」
「合鍵ですよ」
強引に鍵を開けて侵入していれば流石に月夜だって気づいたが、真昼はある意味まっとうに部屋へと入って来ていたので気づけなかったらしい。このマンションは彼女の持ち物なのだから合鍵を持っていてもおかしくはない。
「許されん! 返せ!」
「返せも何も別に不当に入手したわけでもないですよ…………そんなことより」
渡すつもりもないので真昼はさっさと話しを変える。
「今は何をしていたんです?」
「っ、なにもしておらん!」
「どうせ千里眼であの子の様子を見ようか迷っていたんでしょう」
「!?」
なぜばれたのじゃという表情を月夜は浮かべる。
「今日はあの子がデートに誘われる日ですからね」
そしてそれを受けると決めてある。
「見せかけだけの話じゃ」
「ですが気になるのでしょう?」
だからこそこれまで九凪を気遣って使っていなかった千里眼を使おうか迷い、窓を見ては視線を外すことを繰り返していたのだ。
「使えばいいじゃないですか」
「しかし覗かれるのなど九凪は嫌であろう」
「そりゃあ喜ぶ人間はいないでしょうが…………納得はしてくれると思いますよ」
今の九凪は月夜の事情を知っているし元から理解はある人間だ。
「そんな気遣いより、私はあなたが我慢してしまうことの方が問題だと思いますよ」
「…………どういう意味じゃ?」
「我慢し続ければいずれ破裂するという意味です」
そして破裂するのが月夜である以上被害は甚大になる。
「お互い腹を曝け出してこそ、だと私は思いますよ」
基本的には甘え放題なのに、なぜ肝心の部分だけは臆病なのかと真昼は呆れた。
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